3-2:月夜の夢


 みんなで渓流のバーベキューを楽しんだ、その日の夜。

 気づくと、私は大自然の中に一人で立っていた。

 鬱蒼とした森で、空には月。夜風が葉をざわつかせる音に交じって、小川のせせらぎが聞こえてくる。

 そして巨大な崖が、大きな壁のように私の前にそびえていた。

 こんな場所、風谷じゃ知らない。


「あれ」


 声が出て、私は目をぱちぱちした。『子供の声』だ。

 混乱した直後に納得する。当たり前だよ。だって私は、小山湊という27歳ではなくて、アリーシャという8歳の女の子に転生したのだから。

 記憶を取り戻してから、アリーシャと湊がごっちゃになるなんてなかった。

 この――変な場所のせいだろうか。


「ここ、どこ?」


 わからないなりに、なんとなく感じることはある。

 これは『夢』だ。

 風谷に初めてやってきた時、ディーネと話したあの夢と雰囲気がよく似ているもの。昔を思い出すところ、とかね。


 ……でも、なんだってこんな森の中を、夢に見るんだろう?

 首を傾げても、答えなんてくるはずもなくて。

 私はぼんやりと腰を下ろして、空にこうこうと輝く月を眺めていた。大きくて、優しくて、夜のはずなのに周りが銀色に明るい。

 がさっと、前にそびえる崖で音がした。

 見上げると一頭の狼がいて、私は唖然とする。


「エ、エア!?」


 青白い毛並みの狼は、エアに本当にそっくりだ。

 大狼と化したエアが大型犬くらいのサイズに変わったら、きっとこんな感じだろう。

 でも、私はその犬の目つきに、エアとは違う子だと気づく。なんというか、大人の目つきなのだ。

 静かで、落ち着いていて、私に何かを問いかけてくるみたいな。

 思い出して、と語りかけているような。


「――もしかして」


 黒々とした目で私を見てくるのが、記憶を呼び起こす。


 ――クウ?


 自分で自分に戸惑った。

 なんで、そんなこと思ったんだろう。

 クウは前世で私が飼っていた子犬。勉強の邪魔だと言われて取り上げられてしまって、もう20年以上会えていない。

 でも子犬だったクウは、エアの小さな姿にそっくりだった。もし成長したら、エアによく似た狼になるのかも……。


「うおん!」


 応えるように、崖をぴょんぴょん跳ねて降りて来る。

 え、すご!? 3階くらいの高さがあったんだけど!?

 クウ――なのかな?――は私の足元を抜けると、森へ駆けていく。草むらで、ひょいと飛び出した尻尾が揺れていた。


「ついて来いってこと?」


 私は、わんこの後に続く。

 森には、涼しげな霧がたちこめて、すぐに後ろがわからなくなる。怖くないのは――やっぱり夢だってわかっているからかな。

 ただの夢かは、わからないけどね。

 森が途切れると、開けた場所に出た。

 そこだけぽっかりと木々がなくなっていて、月の光が注いでいる。

 広場の真ん中には、見上げるほどの大きな岩。月光が、黒々としたその表面を洗っている。


「わん!」


 クウは一鳴きして、どこかへ駆け去る。まるで役目は終わったとでもいうようだ。


『なんだ?』


 岩が、みじろぎ。2階建ての一軒家くらいの物体が、突如ぐぐっと動き出して、私は腰を抜かしそうになった。

 黒々としていたのは、黒曜石のようなきれいなウロコ。大きな翼が開き、柱みたいに立派な4本足が地面を踏みしめる。

 私は後ろにあった木に背中をくっつけていた。


「ど、ドラゴン!?」


 固く閉じられていた瞼がうっすらと開いて、私を見た。


「わっ」

『ぐ、ぬう……』


 はっとした。

 苦しんでる? なぜか、はっきりわかった。


『む……? なぜ、こんなに小さな者が、この場に紛れ込んでおる!? とくね!』


 な、なんだこの竜!?

 突然の文句に耳が痛くなる。

 苦しそうな姿勢と声なのに、言っていることはまるで気難し屋のおやじさんだ。こういう取引先いたけど――なら、同じようにひるんじゃだめか。


「……事情はよくわかりませんが」


 私は一歩ドラゴンさんに近づく。こうなったら度胸だ。

 この夢に私が呼ばれた意味、考えてみよう。

 ぐいとドラゴンさんを見上げ、指を一つ立てる。


「魔獣の治療は、ちょっと習っています。もしかしたら力になれるかもしれません」

『……なに』

「痛むのは、どこですか? 私の夢に出てきたってことは、神獣さん?」


 モフモフしてないけど。


「体が悪いなら治せるかも、ですよ」


 以前エアを治した時と、基本は同じ。

 今は召喚術だけじゃなくて、ダリルさんのような治癒魔法の勉強もしているんだ。スキル〈もふもふ召喚〉で神獣から力を借りられるせいか、けっこう覚えがいい。

 ドラゴンさんは興味深そうに、巨大な首を下げて来る。


『ふむ、お主――神気を感じるな。力のある神獣を、連れているようだ』


 エアのことが胸を過ぎる。


「……いますよ。強いだけじゃなくて、もふもふで可愛い子が、たくさんね」

『神獣召喚士か』


 ドラゴンさんの真っ赤な瞳が、揺れた気がした。

 それにしても大きな姿――下がってきた頭だけで、ソファくらいあるぞ。


『モリヤだ』


 ドラゴンさんの言葉に、私はきょとんとしてしまったと思う。


『我が名だ。聞くがよい。お主は、この場を支配している神獣の、主人である。そして、我はこの谷に仕えるもの。ゆえに、お主は我が名を呼ぶことで、我に神獣召喚士としての権能を振るうことができる』


 ぱっと思い浮かんだのは、初めてエアを直した時のこと。


 ――名前があるから、呼びかけることができる。


 ただ『ドラゴンさんを治す』と思うより、『モリヤさんを治す』と念じた方が、効果が強いってことだろう。


『……神獣召喚士として、名前を念じ、神気を我に流せ。喉、だ』

「は、はい――」


 私は前に進み出た。

 図工の授業で使う三角定規並みの牙が顎から見え隠れして、かなり怖い。

 できるだけ意識しないようにしつつ、下顎に右手を添え、魔力をこめた。

 喉、気道、そして肺――構造をイメージしながら、腫れが引くように、治るように、祈っていく。

 やがて、真っ白い光がドラゴンさんの喉に宿った。


『……助かる、楽になった。後は自力で治癒できよう』


 光が消えた頃、ドラゴンさんはやっと首をもたげた。


『ふむ、だがこれだけで認めたわけではないぞ! 勘違いするなよ』


 そのツンデレ何なんですか。

 ドラゴンさんは、ぶつぶつと大昔なら一瞬で治ったとか、撫で方がイマイチとか言っていた。


『しかし借りは借りだ。もし気が向いたら、お主の暮らす谷の、麓の川へ来るがよい。礼をするゆえ、そこで驚く用意もしておくがいいぞ』


 そんな会話を最後に、周りで急に霧が濃くなる。意識がだんだんとぼうっとして、夢が終わるんだと思った。

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