2-2:風谷の一日


 指に何かが触れるのを感じて、私は目を覚ました。

 うっすらと瞼を開けると、エアが布団からはみ出した指を鼻でちょんちょんしている。朝から、私は笑ってしまった。


「起こしてくれたの?」

「わん!」

「ありがとう、エア」


 欠伸をしながら、大きく伸び。

 ぴょんと腕に飛び込んできたエアを、私はぎゅーっと思い切り抱きしめてあげた。もふもふで、あったかくで、これだけで幸せ感が爆上がり。


「きゅきゅ!」

「きゅ!」


 カーバンクル達が、ちっちゃな体で障子を器用に開けて入ってくる。

 この子ら、ちゃんと座りながら障子を開くし、しかも最初にちょっと隙間を作ってから、するすると大きく開けるんだ。旅館並みにちゃんとしてる。


『お嬢ちゃん、起きたかのう?』


 ディーネも部屋奥の座布団で目を覚ました。これで、もふもふ達も勢ぞろい。

 お湯と手拭いで体を軽く拭って、黒髪をすく。着替える衣服は、前の世界でいう作務衣っぽいデザイン。お屋敷で見つけたんだ。カーバンクル達が、ずっと手入れをしていてくれたみたい。

 色は藍色で、袖や襟に薄紅色のラインが入っている。胸元にある花びらの刺繍も、お気に入りだ。

 季節は夏だけど高原だから、もし寒い時はさらに上着をはおるのだけど――今日は平気そう。

 よいしょ、と私は障子を開け、軒先に出る。


「わぁ――!」


 風にそよぐ緑を、初夏の優しい日差しが照らしていた。

 遠くの山で揺れる木。風車がのんびりと回りながら、今日も風谷に水を引き揚げている。そして引き揚げられた水は小川になって屋敷の近くまで流れ込み、みんなで準備した畑や田んぼを潤していた。

 お屋敷近くの野原、つまり私の真正面では、カーバンクルのエート達がせっせと草刈りや採集に励んでいる。


「うん、と……みんな、おはようっ」


 私が声をかけると、カーバンクル達がぴょんぴょん跳ねた。

 動物たちも私に挨拶をしてくれているみたい。『神獣召喚士』だからって、偉いなんてとても思えないし、私も何かお手伝いした方がいいのだろうけれど――朝からこの光景は頬が緩んじゃう。


「アリーシャ!」


 頭上からロランさんの声。

 月梟ルナ・オウルの背中から、ロランさんが手を振っている。巨大なフクロウはズン!と音を立てて着地した。

 うわっぷ!? 風、すごっ!?


「ロランさん! もうお出かけですか?」

「あいにくね! また、都に呼ばれているんだっ」


 風谷についてから、今日で10日目。

 最初の数日はロランさんと風谷を調べたり、お屋敷を探索したり、ナイトベルグ領へ送る手紙を考えたりした。

 特に手紙では、ロランさんは私の印象を改めたみたい。『生家でのエアや私の扱いを匂わせた方がいいかも』――と助言したんだよね。

 嫌なやり方かもしれないけど……『アリーシャは、使えるようならそっちにあげるから、このことは内密に』と向こうから言ってくれれば、互いにとってもいい。


 ロランさんは、私を大人並みにしっかりしている8歳児と扱うことに決めたようだ。

 今のところ、心が異様に成長しているのは育った環境のせいと考えられているみたい。怪しまれてはいない――はず。


 ただそのせいか、5日目を過ぎたあたりから、ロランさんは一日中不在にするようになる。

 代わりに、召喚士サモナー協会から部下を2人連れてきた。その人たちが色々な説明や、風谷の整備を手伝ってくれるのだけど――。


「僕も、エアやディーネ、それにカーバンクル達と色々知りた――もとい、親交を深めたいんだけど、寂しい限りだっ」


 本当に悔しそうなロランさんに、私もがっくりきた。

 そっちか。


「――私も、ちょっと寂しいかも」

「え? なんだって?」

「な、なんでもないですっ」


 って、何言ってるんだ私!? 体が子供だからかな……?

 慌てて誤魔化した。


「な、何か手伝えることがあったら、言ってくださいね!」

「ありがとう! でも、言っただろう? 君の手は、できる限り煩わせない! むしろ、できる限り気楽に過ごしてほしいっ」


 そうこうしている間に、ロランさんはひゅーっと空へ飛んでいった。

 ちなみにそんなロランさんだけど、召喚術の大家である伯爵家、その嫡男だった。領地への手紙は、ますますプレッシャーになるだろう。

 家格の割には自由すぎる、なんて思っちゃいけない。

 一転、静かになった風谷に、山鳥の鳴き声が響き始めた。


「――ま、私は私のできることをやりますかっ」


 まずは、朝ごはんを食べよう。



     ◆



 目の前の器に、真っ白いご飯が盛られている。一粒一粒がきらんきらんと輝いて、私の目も心も、きっと同じくらい輝いているだろう。


「いただきます!」


 感謝をこめて、まずは一口。

 うん、これ。これなのだ。

 ふわっと口に広がるお米の優しい香り。噛むとほんのり甘くて、付け合わせのお漬物やスープが進むこと進むこと!

 日本のお米がどうであったかは、もう記憶があやふやだけど、きっと負けてはいまい。思い出補正と空腹補正はいつだって最強だ。


「わんっ」

「エア、もう食べ終わったの?」


 エアは口の周りを、ごはんでくわんくわんにしていた。お料理は神獣のカーバンクル達がやってくれる。

 今日も、人間のごはんかと思うほど美味しそうなものを、エアやディーネたちに振舞っていた。


『今日もなかなか』


 ぺろっと舌を出すディーネおじいちゃん。

 苦笑しつつ、私は食卓の対面を見やる。

 やっぱり一人ご飯は、ちょっと寂しいな。

 ロランさんの他、もう2人が風谷にはいるのだけど、朝ごはんの時間は合わないんだよね。

 ……私が早起きすれば一緒に食べられるのだろうけれど、知らない間に私もかなり魔力を使っているようで、『むしろ寝てください』と2人に言われた。風谷が力を取り戻してまだ間もないし、私に好きなだけ睡眠をとらせることも役割なのだろう。


「に、しても……」


 言いながら、私はご飯粒をお箸でつまんだ(セレニス王国には、お箸もあった!)。

 口元がひくっとなる。


「……前々から思ってたんだけどさ。お米、なんだか光ってない?」


 たぶん、日光とか、目の錯覚じゃない。このお米、内側からキラキラ光ってる。

 私はじろっとディーネに目を向けた。


『なんじゃ、今更じゃのう』

「なんなんです、これ」

『神気の光じゃなぁ。神獣が力をこめて作ったお米に、お野菜じゃ。だから神気がこもって、光っておる。神獣召喚士の魔力や体力も、これを食べていれば全回復じゃ』

「……なるほどねぇ」


 一応、私の体を気を遣ってのことなんだね。

 あ、だから、夢で何が食べたいか聞いたのか。


『食べたいもので回復できれば、それが一番じゃ。他にリクエストはあるかのう?』

「やっぱり、次はお味噌汁! あと――卵焼き! それからね、それから……」

『お屋敷に味噌蔵があるでな、お味噌は鋭意制作中じゃ。神獣の作物とはいえ、あれはちと時間がかかる』


 そっか。発酵食品だもんね。


『楽しみに待っとるがよい。卵は、さすがに卵用の鳥をどこからか手に入れる必要があるのう』

「そっか、そうだよねぇ」


 しかし、とディーネは身を揺らした。


『お主、爺臭い趣味じゃのう。ぷくく』 

「エアっ」


 謎の突風が起きて、ディーネを吹き飛ばした。草刈りをしていたエート達が、ぽーんと落ちてきたわんこにぎょっとする。


「ごちそうさまです」


 さて、それじゃ本日の、最初のお役目に入りますか!

 やるぞ、おー! なんて右手を挙げたら、エアも一緒にぴょんっとジャンプをしてくれた。

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