第2章:大秘境、風谷

2-1:トリシャ・ナイトベルグ

 アリーシャが去った後のナイトベルグ領に、朝がやってきた。

 ふかふかのベッドで、妹トリシャは目を覚ます。

 一回だけ伸びをして、目をごしごし。レースをふんだんにあしらった寝間着で、天蓋付きベッドから7歳の小さな身を起こすと、布地の海からあがってきたみたいだった。

 トリシャは、ちらりと壁際のヒモに目をやる。引くと隣の部屋でベルが鳴り、身支度のメイドがやってくる仕組みだった。

 ただし今日のトリシャには、先にやることがある。

 窓に近づいて、お屋敷の別館を眺めることだ。


「お姉様……」


 ふわふわの金髪をなで、ほうっと息をつく。

 細められる青の瞳は、姉の薄い茶色と異なり、華やかで美しい。母譲りの色だ。

 つい昨日まで、1つ上の姉アリーシャ・ナイトベルグは目の前の別館に住んでいた。いや、押し込まれていた。


「どこにいったのかしら?」


 昼過ぎに始まった、姉の脱走劇。よくもまぁそんな根性があるものだとトリシャも感心したが、父は胸を張って言ったもの。


 ――アリーシャは捕まえ、修道院に送った。


 嘘だ、と思った。

 聖光神から頂戴したスキル、王の中の王ロード・オブ・ロードを使わずともわかる。

 父は嘘をつくとき、トリシャの目を見ない。大きな瞳が鏡になって、そこに嘘つきの顔が映るのを恐がっているみたいに。

 お屋敷に帰ってこない兵士が何人もいる。

 まだ姉を探しているのだ。

 父が心配するとは思えないから、修道院からの望外な謝礼を惜しく思っているのだろう。


「無事に逃げられていれば、いいけれど……」


 トリシャは、姉アリーシャを心配していた。

 胸を過ぎるのは、初めて引き合わされた時。

 養子縁組で爵位をあげてまで辺境伯家にやってきた、母とトリシャ。これから敵になるであろう妹に対して、アリーシャは微笑んだ。


 ――はじめまして! こんなに素敵な妹がいたのね!


 2年前。当時、アリーシャは6才、トリシャは5才だ。

 生活が変わって不安がるトリシャを、姉は愛情深く迎えた。

 母は、めかけではなく正妻として屋敷に迎えられれば、素敵なことばかりが起こるとトリシャに言い聞かせてきた。子供心に『貴族界はそんなに単純なものか』と思っていたが、出会った優しい姉だけは確かに素敵だった。


 ――馬鹿なの?


 最初、トリシャはそう思った。

 次いで、『気味が悪い』、と。

 なぜなら愛情を失っていた前妻の娘と、今まさに愛されている後妻の娘、どちらの立場が強くなるかは5歳児にも明らかだったから。

 けれども姉を知る内に、トリシャは気づく。

 確かにぼんやりしたところがある。おまけに豊かな貴族のくせに、妙に使用人に優しいし、残さず食べようとしたり、魔獣に興味を示したり、言動がおかしい。転生者として目覚める前の記憶が、姉の行動に影響を与えていたのだが――トリシャはそこまでは知らない。

 ただ、それでも、トリシャは思う。

 姉は愛情深い人だ。そして自分の存在を、辺境伯家への繋がりと見ていた母以上に、アリーシャは初めて見る妹を愛そうとしてくれた。

 まるでそうするのが、当然のように。

 『妹はかわいいものでしょう?』と言わんばかりの無邪気な愛情が、すれたトリシャには嬉しかった。


 問題はそれに感づかれると、母も父も不機嫌になるということ。特に母は、アリーシャをけなす言葉に同調しないと、ひどく苛立つ。

 母は、前妻の黒髪を引き継いだアリーシャを嫌悪していたようだ。最初は前妻が遺した使用人がしっかりとアリーシャを守っていたが、人数は徐々に減らされる。前妻の実家も政変で力を落とし、アリーシャは敵だらけの家に取り残されていた。

 大人たちの動きを観察することは、トリシャを要領のよい、大人びた子供にさせた。


 ――今更、ツゴウがいいだろうか?


 勇気がなかった。

 時折、誰にも気づかれない程度に、姉をかばってはいたけれど。姉は脱走する前、両親に打たれた犬を治療するために離れへ戻ろうとした。警戒する両親にそれを許させたのも、実はトリシャである。

 『犬が怖いから遠くへやってほしい』というと、母はあっさりアリーシャが犬を連れて下がるのを認めたのだった。

 トリシャは壁際のヒモを引き、隣室のベルを鳴らす。メイドを呼んで身支度を済ませると、隅の小部屋に目星をつけておいた兵士を呼んだ。


「なんでしょう」


 現れた兵士の手を掴み、トリシャは念じる。


 ――私の声が、聞こえる?


 その兵士はびっくりしたように目を見張る。


「これは……」

「私のスキル、〈王の中の王ロード・オブ・ロード〉よ。こうして一度触れた後なら、遠く離れた場所にいても会話ができます」


 おそらく、大勢を指揮するためのスキルなのだろう。

 普通、スキルは個人単位の戦闘を有利にするもの。神官らに言わせれば、これは神々が魔物との戦いを想定しているためらしい。

 ただ変わり種はあるもので、『統率』関連のスキルがそれだった。


「あなたの位置や、状況、周りに敵がいるか、そうした状況も私は知ることができます」


 より習熟すれば、魔力を送って強化を付与してやることも可能なようだ。

 今のトリシャなら、お屋敷にいたまま大森林の捜索をも指揮できるだろう。


「お姉様の捜索で、わかったことを都度教えなさい」

「それは……」

「見付かってないのでしょう?」


 兵士は観念したように語る。


「確かに、まだ見付かっていません。ですが私も部下も、別の調査も抱えていまして」

「別のとは?」

「アリーシャ様を守るように、犬の魔獣らが大森林で暴れたんですよ。ただ、妙なんです」


 目つきで促すトリシャ。


「その魔獣は水や風を出したようなんですが……大森林の周りで、急に薬草類が実りだしたんです」


 兵士は頭をかく。


「もともと、その辺りは薬草が収穫できるんですけどね。今は季節じゃありません。でも水や風を浴びた辺りでは、そうして実ってるんです。おまけに……魔獣が出た付近には川が流れてて、その川から水をひいてる畑では、なぜだか麦まで実り出していて、もう何が何だか」


 トリシャは思った。

 姉の力もまた、スゴイものではなかったのだろうか。

 お父様とお母様は、領地に必要な人を追い出してしまったのでは――。

 でも今は、無事を確かめよう。


「――何かわかったら、私に教えて下さい。このことは、お父様とお母様にはヒミツに。誰かに話そうと思えば、スキルでわかるから」


 実は、これは嘘だった。

 命令を下したり会話をしたりはできるようだが、さすがに考えを読むことまではできない。

 兵士は驚いた顔をしていたので、トリシャは嘘がばれたらとハラハラした。


「……その、姉上のことは、てっきりお嫌いかと」


 ああ、そのことか――トリシャは口を尖らせた。


「自分でも、よくわからないの。いなくなってから気づくなんて……」


 父や母と同調しながら、いざいなくなって心配する――都合がいい善意。

 それでも、会えなくなったら心配するくらいには、トリシャは姉が好きなのだ。母も怖かったというだけで。


「ね、お願い」


 上目遣いにねだると、その兵士は困り眉で了承した。




 ただ、トリシャの不安は杞憂に終わる。

 10日後、ナイトベルグ領に隣国セレニス王国の高位貴族から手紙が届いたからだ。

 アリーシャと名乗る少女が魔獣に乗り大森林を越えてきたので保護している、と。

 手紙には、アリーシャが家で十分な扱いを受けていなかったこと、召喚術のスキルがあるため念のため教育と保護を続けたい旨が書かれていた。

 また、『出身はナイトベルグ領と思われるが、正確にどの家の子かは、少女の話が錯綜してわからない』とわざわざ記されている。


 ナイトベルグ領としては、『うちの子だから返せ』といえば、虐待同然、そして修道院に軟禁し実験しようとした事実を認めることになる。

 貴族間の手紙にはたいてい裏の意味があり、ナイトベルグ辺境伯の子と当然に向こうも気づいているだろう。揺さぶっているのだ。


 さらに弱みもあった。ナイトベルグ領には、魔物が多い。

 先代、先々代と大森林の開拓によって富を得てきた。

 中でも魔物から得られる魔石は武具や宝飾品の材料となる儲けの源泉。

 そのため、魔石の採取量を増やすため、大森林を伐採し生息域を狭めるかたわら、神官の祈祷を抑制、魔物が多い状態を意図的に保っていた。近年、ナイトベルグ領で発生した魔物が隣国へ移動し被害を出したこともある。

 このうえ醜聞が明らかになり、さらなる弱みをさらすことは避けたい――。


 弱ったナイトベルグ領は『調査のため、しばらく待ってほしい』と時間を稼ぐしかなかった。

 こうなれば、むしろアリーシャの力は貴重であった方がいいとさえ願った。先方がアリーシャに興味を持つなら、カネで売り払ってやってもいいのだから。

 トリシャの頑張りは空振りに終わったのだが――数十名の兵士を見事に指揮して効率的な捜索を行った賢さと、〈王の中の王ロード・オブ・ロード〉の力は、辺境伯から注目されることになる。


 辺境伯の興味は、頭角を現した娘に移っていった。

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