1-10:目指せ大秘境スローライフ
その夜、私は夢を見た。
いや、正確に言いましょう。
夢を、まさに今、見ている。
昔のことを思い出すのは、もふもふや温泉で気が緩んだから?
子犬が消えてしまった後の、実家のケージ。こなすべき業務が山積した、会社のデスク。
どれも前世を思う度に浮かんでくる情景だ。
温かい思い出というと、どうしても子供の時に飼った子犬のこと。結局勉強の邪魔といわれて取り上げられてしまった。親戚の家に行ったというけれど、その後――会えることはなかった。
――今世では、大好きなもの、取り上げられたくない。
今世の家と、前世の家は、少し似ている。
前世では年の離れた兄がいて、受験を失敗。過度な期待を、かけ過ぎていたのだと思う。両親の期待は私と弟、主には私へ向かった。
『優秀』という言葉に、私も家族も取りつかれていたように思う。その評価が欲しくて、あるいはそうみられたくて、それなりの努力をして社会人になった。
けれども、『がっかりさせたくない』という気持ちに突き動かされていた私は、早死にしてしまう。次々に仕事が降ってくるブラックめな職場では、誰かのために頑張っていると、自分の体をすり減らしてしまうのだ。
自分にある、『好き』という気持ちを大事にしたい。我慢して遠ざけるのではなく。
ちょっとだけ飼って、取り上げられた時の子犬の寂しそうな目を、たまに思い出してしまう。今度こそ、ちゃんと最後まで、愛してあげたいなぁ。
◆
私は真っ暗闇の中に1人でいて、辺りをきょろきょろ見回している。小さな手足は、アリーシャの8歳の体だ。
突然の暗闇に本当ならびっくりして怖くなるはずだけど、自分でも『これは夢だ』と気づけている。
だから怖くはないし、声に耳を傾ける余裕もあった。
――アリーシャよ。
「だ、誰ですか? 出てきて」
言った瞬間、暗闇に緑色の光がまたたいた。ちょっと目が眩む。
次に目をゴシゴシして開けると、見上げるような巨大長毛犬、ディーネがいた。
ナイトベルグ領で最初に目にした姿だね。
「ほほ、驚かせてすまんの」
相変わらず、もふもふだ。
昔のこと、思い出しちゃったせいだろうか。エメラルド色のふさふさ毛があまりにも見事で、景気づけにダイブしたくなる……! ちょうどお座りをした体勢で、胸のあたりの毛が私を迎えるようにふんわりと優しげに待ち構えているのだ。
「え、えいっ」
たまらず私が飛び込むと、もふもふに包まれる。太陽みたいに温かくて、私はサラサラのふわふわ毛を目いっぱいに堪能した。
な、ナニコレ、天国……?
「もういいかの」
丁寧に言われて、はっと飛び退く。危ないところだった……もふもふ、恐るべし。
「夢で会うのは、初めてじゃのう」
私を見下ろして、にっこりする巨もふ――もとい、神獣ディーネ。
なんというか、まさに『神様』というような、威厳がありつつも、慈愛に満ちた姿。
「ふわぁ……」
アリーシャ・ナイトベルグとして貴族は何人か知っているけれど、気品だって段違いだ。
「神獣って――」
『神様の獣』じゃない。獣の形をした、神様なんだ。
ごくっと喉が鳴る。
『もふもふ召喚』って、やっぱりとんでもないよ!?
「……ていうか、やっぱり話せたんですね。最初の時以外、話してくれないから変に思ってたんです」
「すまんのう。ワシの声が聞こえるのは、お主だけなのじゃ。独り言のように聞こえてしまうのでな」
あ、そうなんだ。
「変に思われるだけならよいが、言葉を理解できると知られた途端、あの青年に質問攻めにされてはかなわんからの」
「……えと、ロランさんには、あなたが話せること、黙っていた方がいいですか?」
「そこは主である、君に任せよう。青年が信じられると思ったら、話してくれてよい」
ふむ、と私は息をついた。
……質問攻め、確かに、しそうなんだよなぁ。なんだか魔獣大好きな人っぽいものね。
「神獣は意外とシャイなんじゃよ」
うほん、とディーネは咳払いをする。目が急にキリっとした。
「さて、本題じゃ。獣霊神に招かれた神獣召喚士よ」
う、来た! これ、お主に試練を与えよう、とかいうお決まりのパターンじゃない?
大きな力には、大きな責任が伴う、なんて。
「……いいですよ。ロランさんにはああ言いましたけど、私、大抵のことなら平気ですから」
ディーネは悪戯っぽく笑った。
「おやおや、もう決意を忘れたのかのう?」
「え?」
「今世は、自由に生きる、と。前世も今世も、誰かのためにがんばる君は素晴らしい。だが、誰かを大事にするならば、君自身もまた大事にしなければ」
ディーネは、少し辛そうに目を伏せた。
「獣霊神から聞いておるぞ? 前世でも、そりゃあがんばったそうじゃな。努力、努力のし通しだったじゃろうが、最後の仕事は――動物の薬にまつわること、じゃったか」
ああ、思い出した。
私の最後の仕事、最後の激務は、動物用ワクチンの緊急輸入だった。役所への届けや、輸入元からの交渉、細かいところがわかるのが私だけだったから、すごい仕事量になったんだ。
そういう働き方ばっかりしていたから、早死にしちゃったんだろうなぁ……。
「あれは、できるのが私だけだったから……」
「それでも、君は多くの人や動物を救っておる。転生のきっかけは、そのことかもしれんのう」
「救った……?」
……まぁ、そうともいえるのだろうか?
会社が諦めた輸入交渉に、入社5年目の私が粘りに粘って、最後に審査が通ったのだ。大学受験の頃から続けていた、語学と歴史の勉強が役立った。
「まぁ、ワシにも他の世界の仕組みはよくわからん。ただ、君が他者のために頑張ったことだけは、獣霊神から伝え聞いている」
「あなたは獣霊神と、話せるってことですか?」
「いや、あやつは獣や人にそう干渉はせん。君に召喚される直前、そんな事情を聞かされただけじゃ。その意味じゃ、君と同じじゃな」
「私と同じって……あ」
ちょっと、ぼんやりしていた記憶が蘇る。
私は転生する直前、神様っぽい人にもふもふの素晴らしさを力説した。あれが、獣霊神だったのだろうか。
「さて、アリーシャよ。改めて問う」
ディーネはくいっと首を傾げた。
「――明日の朝、何が食べたい?」
そ、そんなことかよ!?
硬直する私の頭に、ぶわーっと星空や露天風呂やもふもふや、日本での悔いが過ぎっていく。
「……ご」
「ご?」
「ご飯。真っ白い、ご飯……」
俯いて、顔を赤くする。
いや、だって、分かるでしょ? 温泉に入って、一息ついて、こんな里山みたいな光景を見たら、つい懐かしくなっちゃうよ!
こっちのお料理はお料理で美味しいのだけど、当然ながらお米はない。
今日の夕食もカーバンクル達が用意をしてくれたけれど、材料はロランさんが持っていた保存食が中心だった。
風谷でどんな作物がとれるのか、わからないけれど……
「し、使命のためだからって、あんまり不便なのは嫌かなぁ、なんて」
そんな主張を押し通すと、神獣さん、ディーネはにっこりした。
「おやすいご用じゃよ」
ディーネの姿がふっと消えると、意識がぼんやりとし始めた。
どうやら、私は本格的に眠るらしい。
「愛情の深い子よ。あの子を、エアを頼むぞう」
◆
翌日、目が覚めた。
……結局、ディーネは何の用だったんだろう? 景気づけ?
眠気まなこをこすって、寝床から縁側へ。ロランさんが呆気にとられた目で、外を眺めている。
「……アリーシャ」
メガネを直すロランさん。
私が首を傾げると、ロランさんは目の前を示した。
「え……!?」
金色の稲穂が、お屋敷から見下ろせる田んぼに実っている。昨日は、一面の原っぱだったはずなのに。
私が硬直していると、
「わん!」
子犬サイズのエアが、田んぼ脇の原っぱを駆けていく。高原を流れる小川は、一部が田んぼに流れ込んでいた。
「あ、昨日の風車――!」
あれが動くと、田んぼに水がひかれる仕組みだったのか。
一匹、緑色の小型犬――ディーネが、水を生み出してスプリンクラーみたいに別の畑に水をあげていた。
水がかかったところから、にょきにょき芽が生えてきて、あっという間に野菜が実る。
額に金色の宝石をつけたカーバンクルは、土属性だったらしい。なんでわかるかというと、土がぽこぽこと盛り上がり、埋まっていたニンジンやダイコンといった根菜類を、ぽーん! ぽーん!と放り投げるように宙へ飛ばしてカゴでキャッチしていたからだった。
私もロランさんも、目が点になったと思う。
「……きょ、今日は、真っ白いごはんが食べられそうですねぇ」
ロランさんは興味深そうに畑を眺め、やがて、笑った。
「ふ、ははは!」
「ロランさん?」
「ご覧、自然というのは――いや、神獣というのは、僕らの想像の上をゆく」
こ、これを自然といっていいのだろうか!?
でも、そうか。神獣は、まさにこの世界の動物で。神獣の力によって作物がたちどころに実るのも、この世界の自然なんだ。
ロランさんはメガネをとり、目の端の涙をぬぐう。
「さて、ごはん、か。お米を知っているなんて、君はいよいよ物知りだね」
「ええ、まぁ……」
風に揺れる稲穂に、頬を緩める。
きらめくわんこ達の毛並みが、陽光が、稲穂が、灰色の記憶を消し飛ばしていく。
「――ふふ」
私にも笑いが起きた。
新しい人生なんだもの。やってみようか、この大秘境で、スローライフ!
私はこれが『好き』なんだ。
エアがこちらに目を向け、わん!と吠える。クウ、あなたとは違う子だけど、この子とはずっと一緒にいられるよう、頑張ってみるよ。
……私に好きという気持ちをくれて、ありがとうね、クウ。
両手で拳を作り、ブンブン振った。目だってキラキラしているかもしれない。
「よっしゃ! ロランさん、私達も収穫しましょうっ」
「――はぁ、これはまた……当代の神獣召喚は、たいそう賑やかになりそうだ」
私とロランさんは外へ飛び出す。きらめく緑は、私達を抱きとめてくれるかのようだった。
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