1-9:秘境の温泉

 ほうっとついた息が、湯船にたゆたうもやを吹き散らした。

 いやまさか、あるとはねぇ……。

 お風呂。


「ん~……」


 今日の疲れを思い出しながら、私は湯船で思い切り伸びをする。

 露天風呂と、空一杯の星。

 極楽ってここですか?

 火照った頬に、夏の夜風が心地いい。


「こっちのお風呂で大正解だぁ~……」


 お風呂は2種類あって(!)、屋内にあるのは薪でお湯を沸かして入るもの。もう一つはこの露天風呂だった。

 カーバンクル達から案内され、どっちに入るかと身振りで問われたのだけど……温泉の誘惑に勝てなかった。


「ふわぁ~」


 2回目のため息。

 正直、中身が27才の女としては、ロランさんという男性もまた同じ屋敷にいることも考える。でも今は8才。あまり気兼ねしても仕方がない、と割り切った。

 ……でも温泉ってことは、近くに火山でもあるの?

 どういう原理? まぁ、深く考えても仕方がないか。

 今は、疲れがお湯に溶けていく……こんなにのんびりできたの、人生1回目でも、2回目でも、初めてかもぉ……。


「わん!」


 露天風呂を隠す衝立、その向こうからエアの声がする。

 いい子だけど、さすがにお風呂まではね。


「大丈夫だよ~!」

「わん……わん!?」

「平気だってば」

「くぅ……」


 返事してあげると、声はようやく静かになった。

 ちょっと甘えんぼ……なのかな?

 頬が緩む。


「ふふっ」


 でもエアってすごい。

 私を逃がす大ジャンプもそうだけど、大秘境の霧を吹き飛ばすような風を生み出し、おまけに世界中の魔物を減らせる(かも)だなんて。


「……何者なんだろう……?」


 もう片方の神獣、長毛種の子もだ。

 エアと同じように考えようとして、ふと気付く。


「あの子にも、名前を決めた方がいいのかな……?」


 同じ神獣さんであるなら、やっぱりエアと同じように決めた方がいいのだろう。


「――でも、悩みってそれだけじゃないよね」


 ちゃぷん、とお湯がはねた。

 私は、この『風谷』という場所で神獣達と暮らせばいいらしい。


 キーワードは、魔物。


 魔物という存在は、魔獣のように生き物として生まれるのではなくて、条件が揃ったら発生する。災害なんかの自然現象に近い。

 もう少し詳しく思い出すと、この魔物が発生する条件がロランさんも言っていた『邪気』なんだ。 


 私達が戦ったような魔物は『邪気』というもので発生する。これはナイトベルグ領でも常識だった。

 濃密な『邪気』は、禍々しい黒いもや。魔物を倒した時に出た、あの黒いガスのことである。あの闇色の空気が結晶することで魔物になる……と言われていた。

 今思うと、水の粒子が集まって雲や雨になるような話だね。


 この『邪気』を払うものとして、『神気』が知られている。


 ナイトベルグ領では、神殿を建てたりして『神気』を放散、魔物の発生を抑えている。大森林との間に壁はあるけど、『神気』が壁の内側に満ちているので魔物が入って来れない仕掛けだ。

 ロランさんの国『セレニス王国』でも似たような神殿はある。けど、さらなる切り札として『神獣』が密かに探されていた。


 神獣は非常に強い『神気』を生み出すことができる。

 エアが領地で見せた、魔物を払うきらめく風、あれが神気。

 そして風谷のような秘境にいることで、その神気を風や水といった自然の流れに――風谷の場合は、文字通りに――乗せて、広い範囲に届けられる。


 その力の強さと、数百年に一度しか使い手が現れない希少性から、神獣の存在はセレニス王国でさえ秘密にされているようだった。


 ……あのまま領地にいたら、私は捕まって修道院でスキルを奪われ。

 エアだって、どうなっていたかわからない。

 神獣とバレてたら、もっとひどい目にあっていたかも。


 この秘境で『神気』の風を生み、広く魔物を減らせるなら、誰にとってもハッピーだ。


「……私を売ろうとしていた家族達以外は、ね」


 今更に思うと、ロランさんのような召喚士は、とても強い。

 だけど、故郷の聖リリア王国ではまず現れないスキルだし、魔獣を忌み嫌う教えでいても活かせない。

 だから研究されている――らしい。せめて弱点や性質を掴もうということだろう。

 送られるはずだった修道院も、罪人から取り上げたスキルで色々な調査をするところだったはずで、つまり私は売られるところだったのだ。

 つくづく、脱出は正解だって思うけど――


「うまくできるかな」


 ロランさん曰く、私は普通に暮らしていればいいらしい。

 この場に神獣、つまりエアがいる限り、神気の風は吹き続ける。

 一瞬、日本昔ばなしのような野原を大きな青狼に乗って駆け回る情景が浮かんだ。

 ……和洋折衷にもほどがあるな!?


「ま、なんとかなるでしょ」


 どうせ、2回目の人生。

 記憶も戻ったことだし、難しく考えず、もふもふと自然を満喫しよう!

 ぐっと背伸びをして、ほっとため息。

 きれいな空気と見上げる星空が、体中をぎゅうぎゅうに縛っていた疲れや重圧の糸を、ほどいていくみたいだ。

 私はたっぷり暖まって、お湯からあがった。元の服を着て脱衣所から出ると、青い毛並みの子犬――エアが足元に飛び込んでくる。


「くぅん……!」


 エアが嬉しそうこちらを見上げていた。

 その後から、長毛種の子も顔を出す。

 お湯でほぐれた心が、さらにほぐれた。


「おいで」


 両手で、2頭の顎下のふわふわをなでてあげていると、エアは露天風呂に目を輝かせた。


「わんっ」

「あ、危ないよ!?」


 そんなちっちゃな体で、溺れたらどうすんの!?

 でもエアはダッシュで湯船にどっぱん。

 跳ねる水。もろに浴びる私。

 犬には『お風呂が好きな子』と『嫌いな子』の2種類がいる。エアは、絶対に好きな子だ。


「わん! わん!」


 はすはす息をつきながら、湯船の浅いところで遊び回るエア。こっちの顔はびしょびしょで、服も濡れた。

 エアは急に湯船から上がり、左右に毛をぶんぶん。すごい、全身が扇風機みたい。

 ……当然、私はエアから飛び散った水をさらに浴びるわけで。


「エア」


 拭いたばかりの黒髪から水滴を垂らしながら、呼びかける私。風呂場を駆け回るエアが、ぽわんと水の玉に包まれた。


「うぉん」


 見ると、長毛種のわんこが、注意するように目を細めている。この方はこの方で、水を操るお力で桶に湯を貯め、小型バスみたいにして暖まっていた。

 じたばたするエアだけど、水の中ではどうにもできない。そのうち水玉から顔だけ出てきた。


「ナイスです、おじいちゃん」


 ぐっとサムズアップすると、おじいちゃんは尻尾を軽く振った。『いいってことよ』って感じ?


「エアぁあああ……?」


 笑顔で言うと、エアが水球でぷるぷる震える。

 さて、どうしよう? 私はロランさんから借りた魔獣お手入れ用石けんを思い出した。

 桶を取ってきて、その中に水玉ごとエアをイン、石けんとお湯を投入。わっしゃんわっしゃんとエアを洗った。

 青い毛並みが、泡で羊みたいに。


「お風呂はね、急に入っちゃだめだよ♪」

「くぅぅうう――」


 耳を伏せて、すごく情けなさそうな顔をしてる。

 私は緑の毛並みの、長毛種の子に目をやった。エアに続いて仲間にした、水を操る神獣である。


「ありがとう。ええと、あなたは――」


 桶に浸かりながら、その子は目を細める。『名付け』を受け容れてくれるみたい。

 ロランさん、この子は水属性、『水神ウンディーネ』の一種と言っていたよね? だったら――


「ディーネ、かな?」

「うぉん」


 満足げに頷く、わんこ。長い毛がちょっとおひげのようで、年長者の貫禄がある。

 くすりと笑って、私は神獣達とも初めての温泉を楽しんだ。



     ◆



 ただ、『名付け』はそれだけじゃ終わらずに。

 お風呂から上がった瞬間、困惑顔でメガネを直すロランさんがいた。


「アリーシャ。お風呂の前に、彼らの行列ができていたよ」

「えぇ……」


 それは、一列に並んだ10匹ほどのリスに似た神獣――カーバンクル達。

 みんなして、つぶらな目をキラキラさせている。


「ほら、ディーネに名前をつけただろう? それで……」

「な、なるほど」


 彼らも名前を欲しがっているようだ。

 一番前の子と目が合う。


「あ、あなたは、えーと……」


 その子は目を輝かせて、ぴょんぴょんする。


「きゅう! きゅう!」

「ちょっと!? 『エート』は名前じゃないよ!?」


 でもその勘違いは神獣達の間で訂正されることはなく。『エート』を筆頭に、私はカーバンクルらの名前を考えることになる。

 14通りも!

 ひー、覚えらんないよ! 途中で紙と筆を借りたけども!


 お風呂の後、夕食はロランさんの保存食と野草を組み合わせてエート達が作ってくれた。

 とってもおいしかったです。

 なんのお出汁か聞いておこうと、私は食後の眠気と戦いながら心に誓ったのだった。

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