1-8:風谷


 私達は、見えていた日本家屋にお邪魔することにした。

 玄関は野原と、対面の森に向いている。ほう、と声が出てしまうほど、立派だ。

 茅葺かやぶき屋根はこんもりと高くて、平屋のはずなのに高さ的には2階、3階くらいはありそう。広さも、生前のワンルームなら軽く10部屋くらいは入ってしまいそうだ。

 8歳の体のせいか、なおさら大きく感じる。


「ここには、大昔に神獣召喚士が住んでいた。そのお方の建物だろう」

「なるほど」


 と、気のない返事をしておく。

 どうして私をここに連れてきたのかは、後で聞こう。てっきり、召喚士サモナー協会の拠点にでも向かうのかと思っていたのだけど。


「今更ですけど、入っていいのでしょうか」

「もちろん」


 ロランさんの即答になんだか含みを感じつつ。

 玄関戸は、私でもあっさり横に開いた。

 目をぱちくり。


「きれい……ですね」


 中は、とってもきれいなのだ。ピカピカである。

 木の床は顔が映りそうだし、奥に見える棚にも埃はない。ただ……なんだろう。

 『空き家』だ、とは感じた。

 生活感というか、人の気配というか、そういうものは何もない。なのにとってもきれいなのが、また不思議。


「入りましょう」


 今度は、警戒と共に。

 私がまず敷居をまたいだ。エア達わんこ組も続き、ロランさんが先へゆこうとする。


「ここからは僕が様子を見よう。神獣召喚士がいなければ、この屋敷には入れなくてね。僕も、中は初めてなんだ」

「あっ」


 私は、ロランさんの土間からあがりかけた『足』を指差した。

 不思議そうなロランさん。どうしようかな、言おうかな、やっぱり言うべきかな……。


「『靴』、脱いで下さい」

「ふむ? どうしてだい」

「……このお屋敷は、そういう作法のような気がします」


 おや、とロランさん。


「そういえば……確かに聞いたことがあるね」


 あっさり従ってブーツを脱いだ。私も靴をぬいであがる。

 エア達わんこ組も空気を察したのか、長毛種のおじいちゃんが、それぞれの足を水流で軽く洗って入った。気が利くね、おじいちゃん。エアの風で乾燥も完璧。

 玄関を抜けて畳のしかれた居間を通り抜ける。神棚っぽい場所に石が置いてあった。


「……本当に、畳だ」

「これも知ってるの?」

「ご、ごほん! ほ、本で読んだので……」


 う、うーん神様。やっぱり前の人、日本人だな。

 でもロランさんは前の神獣召喚士が異世界人と知らなさそうだし、様子がわかるまでは私の前世も隠した方がいいだろう。

 次の部屋は、囲炉裏があった。

 火を使うせいかここは板張り。やはり完璧に磨き上げられていて、不思議さがさらに強まる。

 同じく板張りの間を抜けて、厨房っぽい所へ出た。ここは土間になっていて、お鍋や食器類も棚にきれいに並び、薪まで用意されている。

 不思議というか、ここまでくるとちょっと怖い。


「やっぱり、何か住んでる?」


 視界の端を、何かが過ぎった。


「わっ!? ま、待ってっ」


 叫ぶと、それはぴたりと足を止める。


「きゅう――?」


 振り向いたのは、大きめのリスに似た生き物だった。ウサギのように長い耳に、茶色がかった体毛。胸元からお腹にかけてはふさっとした白毛をエプロンのようにたくわえている。長い尻尾も、毛でふくらんで立派だ。

 でも普通の獣じゃないって何よりも感じたのは――額。

 金色の宝石が小さな角みたいにちょこんと生え、誇らしげに光っている。


「きゅ、きゅ?」


 赤宝石のような目がくりっと動いて、こちらを見上げてくる。な、なに、この……カワイイ生き物っ!?

 ロランさんが前のめりになる。


「おおっ。カーバンクル、神獣の一種だよ」


 エアが早速目を輝かせたので、慌てて抱き上げる。ぬいぐるみに突っ込む子犬の目をしてたっ。

 こっちの魔獣好きも、興奮を隠しきれていないけど。


「……ロランさん?」

「はっ!? し、失礼。うむ、前の神獣召喚士が呼び出して、そのまま居ついたのかもしれない。しかしすごいな――召喚士がいなくなれば、神獣は元いた場所に帰ってしまうのだけど、ここはが濃いからね。気に入ったのだろう」

「きゅきゅう!」


 そのリスっぽい子が短い手を挙げると、柱の影からぞろぞろと同じ――ええと、カーバンクル達が現れた。

 って、多いな!? 7、8匹はいそう!


「きゅうっ」

「きゅきゅ……」


 つぶらな目が、みんななんだかキラキラしてる。


「ふむ、君に何かを命じてほしいようだ。この地に風を呼んだ君を、新しい主だと思っている」


 後ずさりながらも、私は悩み、指を立てた。


「……では、お茶をください」



     ◆



 出てきたよ。

 私とロランさんは、囲炉裏の部屋で座布団に座り、お茶をごちそうになっていた。

 木戸は大きく左右に開け放たれ、初夏の陽がそそぐ野原と森を一望できる。大風車を回す高原の風が、涼しくて心地よくて。

 わんこ達はというと、エアは私の膝に半身を乗せ、長毛種の子はちょっと離れた所で、それぞれウトウトしている。

 私はコトリと緑茶の入った碗を置いた。


「あ、ありがとう。美味しいですっ」


 心からありがとうすると、カーバンクル達は照れたようにもじもじし始めた。

 うう、こっちも可愛い……。膝に感じるエアの温もりといい、昨日から胸がきゅうとしてばっかりだよ。

 ぱちっと囲炉裏で炭が弾けると、ロランさんもお茶を置いた。


「さて、アリーシャをここに連れてきた理由を話そう。君にお願いをしたい、役目のこともね」


 おかわりを注ぎにゆこうとするカーバンクルを、ロランさんはやんわりと手で制す。


「とはいっても、現時点で実は――一番大きな仕事は終わっている」

「え」


 と、声が出た。


「いきなりクビ……?」

「ち、違う違う! 君の仕事は、この大秘境に『風』を起こすことなんだ。後は神獣とここで暮らして、状況を維持してくれればいい」


 こほん、とロランさんは咳払い。

 私の膝に顎を載せていたエアが、薄く目を開く。


「くぅん……?」

「この子は、風にまつわる力を持った神獣だ。魔法には土・水・火・風、それぞれの属性があるのだけど、エアは風」


 属性、属性か。

 いよいよゲームみたい。話によれば、おそらく長毛種のわんこは、間違いなく『水』属性だろう。

 同じ神獣というカーバンクル達は――なんだろう? 毛は茶色だけど、額の宝石が金色だったり、ガーネットみたいな赤色だったりするんだよね。

 そしてお茶をもらう時、赤色の宝石が額についた子は、なんと炎を吹いて囲炉裏に火を入れていた。宝石の色が属性ってことなのかな。


「ここは、『風谷』と呼ばれていてね」


 外から風がやってきて、神獣達の毛をそよがせた。


「神獣召喚士がいた頃は、ここから神獣の風を生み出し、一帯に吹かせていた」


 淀んでいた霧と、それが吹き散らされたことを思い出す。


「魔物は『邪気』という黒いもやによって発生する。そして神獣が生み出す風は邪気を払うことができるんだ」


 メガネ越しに目を細めるロランさん。


「覚えているかな? ナイトベルグ領で、エアは魔物を一掃しただろう?」

「は、はい。風がびゅーって吹いたら、魔物が消えちゃって……」

「訓練された兵士なら魔物を倒せるけど、神獣の力はまるで違ったはずだ」


 うん、確かに。

 あれは明らかに違う。例えるなら、HPを削ってゼロにしたわけじゃなくて、いきなり消失させるような。


「実は最近、各地で魔物の発生が増えていてね」


 ロランさんは視線を落とし、くしゃりと茶髪を掴む。


「協会も、警告や原因の調査をしているのだけど、強力な対策はこうした秘境の復活だ。この風谷から、神獣が生み出した風が吹き下ろせば、広範囲で魔物は少なくなる」


 予想外に大きな話に、目を見張ってしまう。


「魔物が少なくなるって……?」

「文字通り、減るってこと。逆にこのままだと、増えすぎて森から街道へ溢れ出たり、強力な新種が生まれたり、危険がありすぎる」


 ロランさんは指を一つ立てた。


「風谷は、風の神獣が棲むことで、魔物を減らす風を広く吹かせられる場所なんだ。そういう、神獣と一緒に特別な効果をもたらす場所のことを、召喚士サモナー協会は『秘境』と呼んでいるのさ」


 どうやら召喚士サモナー協会は、長い歴史の中で神獣召喚士を見つけ、安全に貢献してきたらしい。


「秘境は動かないが、肝心の神獣召喚士は非常に稀でね……」


 そっか。だから、大急ぎで私を迎えに来たってことか。

 でもそんな大事な存在なら、もっと有名でもいいような……?


「情けない話だが、どこまで魔物を減らす風が届くかは、未知数なのだけどね。事例が少ないから。かつてのように大陸中で魔物が減るかもしれないし、せいぜいナイトベルグ領までかもしれない。ただ君が神獣を連れてここに来て、風が吹くようになった、それだけで大勢が助かる――少なくともその見込みがある。そう思ってくれればいい」

「は、はぁ……」


 そう言われても、実感なんて急に湧かない。

 要は、ここは特別な場所で。私は、周りの『邪気』を減らす空気清浄機にでもなるってことだろうか。


「マイナスイオン発生器みたいなものかな……」


 ちっちゃく呟く私に、居ずまいを正すロランさん。


「すまない。わからないことだらけだろうし、戸惑いだってあると思う。けれど、君には……1人の召喚士として、まず礼を言わせてほしい」


 抜けているところもあるけど――基本は、マジメで優しい人なのだろうな。

 でも、これはちょっと困ったぞ。人の役に立つのはいいけれど、大変な仕事を任されたら、また閉じ込められたりしない?


「君のどんな意思も尊重するし、召喚士サモナー協会も僕と君が言えば、むげにはできまい。これでも、僕は『特級』だ」


 協会の召喚士には階級があって、一番偉くて、すごいのが特級らしい。

 ……私がずっと黙っているから、もしかして、お役目にガクゼンとしていると思っているのかもしれない。それも嘘じゃないけど、単純に現実感が湧かないのだ。

 だんだんと、ロランさんはオタオタしてきた。


「ま、まずは――そうだな、ここの暮らしに慣れるといい。じきに、協会からも人がやってきて、便利になるはずだ」


 私は頬をかいた。うーん……。

 こういう時は、あいまいに言って約束をしないに限る! はい、社会人の心得、先延ばしです。


「ま、まぁ、その……ぼちぼちやりますよ、神獣召喚士」

「ぼ、ぼちぼち……」


 結局、家の周りを調べたり、備品を探している内に、あっという間に夜になってしまった。

 星は、めちゃくちゃにきれいだった。

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