1-7:大秘境
ロランさんの召喚獣、ルナはどんどん高度を上げ、びゅんびゅんと飛んだ。
人が立ち入らない大森林が眼下に広がっている。ロランさんが魔法を使っているのか、それとも同じカゴにいるエアの青い毛並みのおかげか、寒さは感じない。
むしろ体がぽかぽかと温かい。
もふもふに囲まれて、エアに時折なめられて、おじいちゃんみたいな長い毛の犬も私を優しく見守っている。
……ああ、もう怖くないんだ。
お屋敷でも、もしかしたら前世でも、ずっと気を張っていた気がする。気兼ねなくこの優しいぬくもりを受けとっていいんだと思えたら、気付くとうとうとしていた。
――おやすみ、アリーシャ。
ロランさんの声が聞こえた気がする。
お兄さんみたいな人だな、と少し思った。眠る直前、羽の音が緩やかになり、やっぱり優しい人だと思う。
……ちょっと信じて、いいのかな?
◆
目覚めて、ゆっくりと目を開ける。
深い霧の中だ。
ミストを浴びた時のような、濃密な水の気配。そして膝を、もふもふした暖かさが包んでいる。
私を乗せたカゴは草地に着地していた。
目をこすりながら、カゴから外に出る。2頭のちんまいわんこ達――もとい神獣達が、尻尾をふりふりついてきた。
「「わん!」」
「はい、おはよう」
とはいえ、そしてエアはともかくとして。
長毛のお方は、昨日普通にしゃべっていたでしょうに。
すぐそばにメガネの青年、ロランさんを見つけた。肩に
「おはよう、目が覚めた?」
「は、はい……」
「ここはどうだい?」
「どうって、ぜんぜん霧で見えませんけど……」
それもそうか、とロランさん。やっぱりちょっと抜けてる……。
「くぅん……」
「エア?」
子犬サイズのエアが私の前に出てくる。耳をピンと立てて左右を見回し、腰を落とす。
――ウオォォオン……!
遠吠え。子犬の姿だからちょっとカワイイ感じだけれど、周りにあった濃密な霧が少し晴れたような。
頬に風も感じる。
「アリーシャ。この場所は、長い間神獣がいなかった。おかげで吹くべき風が吹かず、ゆえに流れるべき水が流れず、実るべきものが実らなかった」
少し薄くなった霧。
その向こうに、うっすらと山の稜線や、森の影が見える。
「神獣エアに、風の力を使ってもらってもいいかな?」
エアが私を見つめている。何かできるって、この子にはわかっているんだ。
ちらり、と長毛種の子に目をやる。こっちはよくよく見ると、やっぱりちょいおじいさんっぽい顔だちで、促すように小さく頷いた。
……よし。
ロランさんだけじゃなくて、神獣であるこの子達も求めているなら、やってみようっ。
「エア、お願い。この場所に、風を呼んで!」
エアの青い毛並みが光に包まれた。
昨日のような大狼となり、さっきの何倍も大きな遠吠えを放つ。
声は山と山の間、木々と木々との間に、きっと轟いたのだと思う。
だって、劇的なことが起こったのだもの。
「わ、わわ……!」
吹き抜ける風。
牛乳を垂らしたようだった霧が、みるみる天へ吸い込まれていく。上空に空気の渦ができ、霧を吸い込んでいくんだ。
黒髪とスカートを押さえなければいけないほどの大風はしばらく続き、やがてやってきたのは、そよ風。山から谷へ、森から川へ。爽やかさは、淀んでいた空気が嘘みたい。
――ギギ、ギギ……。
遠くから何かが軋む音。
野原を挟んだ向こう側は森になっていて、大きな風車がそびえている。風を受けた風車が音を立て回り始めていた。
「先人が遺した施設だろう。古く、ここに住んでいた神獣召喚士がいた。大昔も大昔、200年以上も昔だけどね」
どんどん霧が晴れゆく。
日光が高原を照らし、雲の切れ目から晴れ間がのぞいた。
こちらの丘と、向かいの森の間には草地が広がり、何かがきらきらと輝く。
「川があるんだ……」
ちょろちょろとした小川、その水面がきらめいていたんだ。
川幅はだんだんと太くなっていく。
水が風車の根元から湧き出し、小川に合流していた。あれで水をくみ上げてるってことかな。
ほうっと息をついてしまう。
あまりにも――美しすぎる光景だったから。
ここは谷に抱かれたような地形で、野原があり、木々が風にそよぐ。緑も水も朝日にきらめいて、きっと私の目だって同じようにキラキラだっただろう。
穏やかに回る風車に見とれる内、ふと気づいた。
「風車で
ロランさんが首を傾げた。
「『田んぼ』を、よく知っているね」
「あ……えへへ」
この人たちの国には、お米があるんだよね?
私は頭をかきながら右を見て――唖然としてしまった。
「……へ!?」
茅葺屋根の、日本の古民家風のお屋敷が、どっしりと構えていたからだ。
何十人も暮らせそうなほど大きいけど、人気はしない。
こんな秘境にあるのに、木戸にも障子にも傷んだところは見られなかった。
ロランさんが言う。
「変わった様式だろう? この建物も、前に現れた神獣召喚士が整備したらしい。そのお方が亡くなられた後は魔力が切れ、そのままになっていたんだ」
呆気にとられる私を、おそらく初めて見る建物のせいと考えたのだろう、ロランさんが付け足した。
「先代の神獣召喚士は、謎の多い人でね。この家屋にも、タタミやショウジといった独特な建材が使われているという」
「は、はは……」
……ワタシ、ソレ、シッテマス。
「あと、そうだな、ミソやショウユといった調味料も伝えたらしいのだけど、どういう経緯で編み出したのかはわかっていないんだ」
それ、その人も――前に現れた神獣召喚士も、日本からの転移者か、転生者だったんじゃないの!?
200年前って、江戸時代……?
「え、ええと……」
私はちょっと頬をかいた。
領地から脱出してきたのはいいけれど、慌ただしい逃亡劇で、詳しい事情はまだ闇の中。いや、霧の中、かな?
だったら霧も晴れたことだし――。
「まずはあの建物に入って、色々聞かせてもらえませんか?」
お茶とか淹れられるかもしれませんよ。
私、たぶん、勝手がわかると思うので。
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