1-6:さらなるもふもふ!?

 スキル〈もふもふ召喚〉が命じるままに、私は叫んだ。


「獣よ! 境界さかいを越え、我の下へ!」


 頭上で白い光が弾けて、小山のような緑色の塊が、ずん!と大きな音を立てて着地する。

 魔物達はおろか、ロランさんだってきっと呆気にとられただろう。

 地面が揺れて、私はエアの背中からずり!と落ちそうになってしまう。

 森から出てきた闇熊ダーク・ベアと、突然現れたその存在は、しんと静まり返った夜に睨み合った。

 沈黙、しばらく。

 川が流れる音がどこからか聞こえて、私は呑気に『近くに水場があるんだ』なんて思っていた。

 さて。

 私達と魔物らの間に立ちふさがった、緑色の巨大毛玉。幅も高さも5メートルはありそうなその生き物は、ぐりんと身をよじって振り返った。


『これはまた、可愛らしいご主人様じゃ』


 大きな大きな――犬だった。

 エメラルドのようにきらめく緑の毛を地面にまで垂らした、巨大な長毛犬である。揺れる尻尾や、ふさふさの首下毛でまるで地面にモップがけをしているようだ。

 エアがシュッと引き締まった大狼だとすれば、この子はふさふさ、ふわふわのぬいぐるみみたい。

 ただ、私は知っている。

 このタイプは、濡れるとビックリするほど小さく縮んでしまうということを……! 前世で動画を見たけど、そんなわんこも素敵だ。

 ま、それはともかく。


『初めまして、神獣の召喚士』


 また声が聞こえて、私は口をあんぐりと開けて指さした。


「しゃ、しゃべった? 声が、聞こえる……」

『神獣じゃからのう。そっちの子狼は、まだまだ思いを声にはできぬようじゃが』


 ロランさんが声を震わせた。


「に、2匹目の神獣召喚……!?」


 巨大わんこは、森に向かって口を開いた。

 口前に水色の光が生まれ、どんどん大きくなり――どぱーん!と猛烈な勢いで水を噴き出した。

 水の奔流は月明りを浴びてきらめきながら、特大のアーチを描いてロランさんを飛び越し、魔物の群れを直撃する。


「な、なに!?」

「ぐ、ぐおおお……!?」


 小鬼は一瞬で押し流され、一番大きな熊型の魔物――闇熊ダーク・ベアも地面に爪を立てて最後まで頑張っていたけれど、やがて水の勢いに負けた。

 魔物達は水にのまれたまま、大森林の脇にある川へ落とされる。

 そして、わんこの生んだ水もまた、特別な水なんだろう。だってのまれた魔物はただ流されていくだけじゃなくて、水に溶けるように消えていくんだもの。

 倒された魔物は、最初から実体がなかったかのように、魔石だけ残して消失してしまうんだ。

 私を乗せたエアと一緒に、口を真四角にしていたと思う。


「す、すご……」


 エアに続いて、もう一匹が神獣召喚できてしまうなんて。

 これ……私の力、どうなっちゃうんだろう?

 神獣が特別な存在だとしたら、いよいよ私を保護したい思惑もわかってきた。一匹だけじゃなく、まだまだ、もふもふがやってくるのだ。


「……た、戦いは終わりのようだね」


 ロランさんは頭をかいて、杖を振った。余波を受けたのか、ちょっと茶髪から水がたれている。


送還デ・サモン


 月梟ルナ以外の魔獣が光に包まれて消えていった。召喚した魔獣を送り返す呪文だろうか。

 ロランさんは、左腕から川へ月梟ルナを飛ばした。


「――うん。魔物は、すべて消滅したようだ。流された先で被害を生むこともないだろう」

「それはよかった、です、けど……」

「ああ、次だ」


 ごくっと喉が動く。

 次の決断は、この人についていくこと。

 決めかねていると、エアがぴくっと動いた。素早く伏せて、私に上目遣いをする。


「降りて――ってこと?」

「わんっ」


 私を降ろしたエアは、やってきた石壁の裂け目へ向かった。

 裂け目を立ち塞ぐように吠えると、声が響いてくる。


「わん!」

「な、なんだこの大きな魔獣は!?」


 さ、騒ぎを聞きつけたのか、それとも先に逃げていった兵士らが通報したのかもしれない。

 いずれにせよ、みつかっちゃった……!


『なんだ? 彼らは、味方じゃないのかのう?』


 くい、とふさふさのわんこが首を傾げる。

 口を開くとさっきのように水が出て、石壁の裂け目へ降り注いだ。坂を登ろうという人がいたのか、流される悲鳴が聞こえてくる。


「あ、わわわ……! やめてやめて」

「……ほうほう、水を操る神獣、ウンディーネの一種か。しかし、まさか2匹目の神獣とは! 調べたい、いや調べなきゃ……!?」

「ロランさん……!?」


 吸い寄せられるようにおっきな長毛犬へふらふら向かうロランさんを、私は全力で引っ張った。


「はっ!? あ、ああ、すまない」

「まったく……」


 『待て』を教えるのはわんこだけにしてもらいたいもんだ。

 任務もあるけどそもそも神獣というか魔獣が大好きなんだな。

 それに、ピンチはまだ終わってない。兵士だって、今は大狼となったエアを警戒しているけど、いつ壁に入ってくるか。


「……今更ですけど、大事になっちゃいましたね。ごめんなさい」


 私はロランさんにぺこりと頭を下げた。


「ふむ?」

「後で、隣国が私を連れて行ったって、問題になるかもしれないですよ。戦うところ、見られちゃいましたから」


 修道院でスキルを奪われ残りの人生を軟禁で終える直前だったとはいえ、やってることは家出や誘拐とそう変わらない。

 ロランさんは呆気ないほどの気安さで苦笑した。


「ああ……アリーシャはともかく、僕の姿は見られていないと思うけどね。フクロウは夜の狩人だ、遠目からでは見つかりにくいし、空では隠れ身の魔法も使っていた。すぐ発てば問題ない」


 ただ、と言い添えるロランさん。


「無謀な捜索をしないよう、君を保護している旨は追って連絡しよう。そこは国同士というか、貴族同士の手続きだ。うまくやるさ」


 うん? さらっと言ったけど、この人って貴族なのか。

 改めて思うけど、私、この人のことまだ何も知らないんだな……。

 ロランさんはメガネ越しに、静かな目で私を見据える。


「君こそ、土地を捨てる覚悟はいいかい?」

「う……」

「君の話は信じている。しかし今の力を示せば、もしかしたらナイトベルグ領でも大事にされるかもしれない」


 ごまかしもないし、優しくもない言い方。

 でも、かえって誠実なやり方なのだろう。

 きちんと、選ばせようと、してる。

 私は口をきゅっと結び、ついでに拳も作った。


「――いいえ」


 スキルが〈もふもふ召喚〉と明らかになってから、家族は私を別館に押しやった。

 そこで使用人もしないような仕事をさせられ、あてつけのように食事も粗末になる。『今まで生かしておいて損だった』とまで、お父様に言われた。

 使用人たちの話から、私は『ぼうっとした子』だと思われていたらしい。トリシャもそんなことを言っていた。

 でも、本当は違うと思う。

 記憶が戻る前の私は、アリーシャは――ぼんやりした態度で心を守らないと、壊れてしまうって感じていたんじゃないだろうか。

 お屋敷で、幸せになれるとは思えない。エアだって、力があるってわかったら、かえってひどい目にあうかも。


「この領地を、出たいんです」


 ロランさんを真っすぐに見た。

 二度目の人生、一番欲しいのは自由。

 今度は、自分の心が望む方を選ぶ。


「承知した、神獣の召喚士」


 ロランさんは、背中に回していたカバンを地面に置いた。


「これは、魔法がかかったマジック・バッグでね。大量のものが入る。念のため避難者救助用のゴンドラも入れておいたんだ」


 持っていた杖は、その魔法のバッグにするすると入ってしまう。まさに『飲み込まれた』としかいえない。


「ここに君を乗せるのに丁度いいものが……あれ、どこいった?」


 ロランさんは、某ネコ型ロボットみたいに四次元ポケット的なカバンから色々なものを出してはしまい、出してはしまい。

 ……本当にこの人、大丈夫か~?


「ん? でも、マジック・バッグって、確か持ち主の魔力の大きさで、容量が変わるんだよね?」


 普通は、せいぜい同じ大きさのカバンから、容量が倍になるくらい。それだけじゃ大した利点にならないから、高級品なのも相まって、あんまり普及していない。

 でもこの人は――マジック・バッグに、モノを失くせるほど詰め込んでいる。

 この人、どんだけ魔力あるんだろう?

 遠くで、エアが吠える。


「わんっ」

「って、そんな場合じゃないよ!」

『ほほ、さっき追い払った兵士らが、仲間を連れて戻ってきたようじゃのう』


 は、早く出ないとっ!


「ロランさん!?」

「よいしょっと」


 ロランさんは大きな板――みたいなものを取り出す。

 パタン、パタンと折りたたまれていた部分をくみ上げて、あっという間に小型バスタブくらいのカゴになっていた。


「救助用のゴンドラだ。これに乗ってくれ。後はルナが運ぶ」

『よし、ワシも同乗するぞい』


 長毛種のわんこは、ぱっと緑の光に包まれると、ひざ下くらいの小型犬に縮んだ。


「ついてくる気、満々ですね」

『ダメかのう』

「……いいですけど。話せる子なら心強いし」


 私は、壁の方へ声を張った。


「よし、エアも乗るよ!」


 私と長毛種の子がまずカゴに飛び乗り、次いでエアが壁際から走り寄ってジャンプ! 空中で小さくなると、私の腕に飛び込んできた。

 その頃には、壁の向こうからヒヅメの音が聞こえてくる。

 大フクロウとなったルナが、巨爪でカゴを掴んだ。ロランさんはルナの背中で、後ろに向けて魔法を使ったらしい。急に生まれた夜霧が私たちの存在を隠していく。


「では、秘境に案内しよう」


 私達は空へ上がり、領地を飛び出した。


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