1-5:もふもふの力

 エアの背中に乗って、私は夜の森を駆け抜けた。

 速い、揺れる。そして何より――


「す、すごい……!」


 馬車に乗ったことはある。でも今の状況は、その馬車の『屋根』に乗って猛スピードで運ばれているようなものだ。

 月明かりが、チラチラとカーテンのように森へ差し込んでいる。夜鳥や獣が私達に驚いて逃げていく音があちこちから聞こえた。

 普通ならきっと怖いんだろう。

 でも今は、私とエアが一つの体になっているみたい。そして駆け抜けるエアの足取りには、危なっかしさはまったくなくて。深い森を、まるで平原のように駆けていく。


『聞こえるかい、アリーシャ』


 頭に、ロランさんの声が響いた。

 私はきょろきょろしてしまう。


「ど、どこです?」

『君の頭上だ』


 目を凝らすと、夜鳥のようなものが高空を飛んでいる。あれがルナ?


『魔法で君に話しかけている。そのまま進めば、襲われている場所だ。彼らは、狼が跳んだのを見て、捜索範囲を広げたようだね』


 そして広げた範囲が、危険な大森林に被ってしまった、と。


『ところで、君は召喚術の戦い方はわかるの?』

「あ……」


 はたと気付く私に、ロランさんが苦笑したのがわかった。


『エアに「私達を守れ」と命じればいい』

「……そ、それだけ?」

『逆に、力を振るうことを君が許してやらなければ、うまく戦えまい』


 えーと。多分だけど、私が命じた範囲で、神獣は力を振るえるってことかな。


「――やってみますっ」

「わんっ」


 お、エアもやる気十分!

 木々の間を抜け、丘の上に出る。

 月明かりがなだらかな下り坂を照らしていた。この辺りは街道になっているようで、丘を下った位置に石で舗装された街道が見える。

 さらに先には、私の背丈の倍はありそうな石壁が巡り、街道と並ぶように、あるいは街道を守るように延々と続いていた。

 壁の内側が、正式なナイトベルグ領。壁の外側は、まだ開拓中の危険地帯――『大森林』だ。

 丘から、そしてエアの背中から見下ろすと、おばけみたいな巨木の群れがずうっと地平線まで続いている。樹齢、何千年? っていうような樹ばかり。

 ナイトベルグ領は、危険を冒してこの巨木を伐採し、開拓することで大きくなってきた。

 ま、それはともかく。


「襲われてる人がいるって言ったよね? どこだろう」


 エアが身を伏せ、三角形の耳をピンと立てた。私はもふもふとした首筋をよじ登り、耳の間から前を見る。


『その先に、壁が壊れている箇所があるだろう。どうやら、そこから大森林へ入った人がいるようだ』


 走ってくれるエア。

 確かに、一箇所で壁が崩れている。

 人は誰もいないようだけど……みんな、壁の先かな?


「こんな厳重な壁の向こう、わざわざ探しに行くかな?」


 ちょっと変に思いながら、エアを見下ろす。エアも、丸太みたいな首を傾げた。

 一応、この壁には神官さんによるお祈りと魔法がかけてあって、たとえちょっと壊れてても大森林の危険生物は通れないようになっているんだよね。

 スキルのようにゲームっぽい例えでいうなら、壁の向こうは魔物と遭遇エンカウントする、一種のダンジョンってこと。

 逃げた令嬢が行くなんて、普通は考えないと思うけどな。

 その時、壁から声が聞こえたんだ。 


「大儲けだぜっ」

「こういうタイミングでもなければ、なかなかここには入れねぇからなぁ!」

「へへ、ちげぇねぇ! 俺達だけでも、ずらかるぞ!」


 ――ああ、なるほど。

 私は脱力して、エアのもふっとした首に顔をうずめた。


「くぅん?」


 エアが上目遣いに私を見上げる。

 壁の向こうから大勢が駆けて来る音がしたので、エアと一緒に付近の茂みに飛び込んだ。


「わんっ」

「うわ、尻尾がはみ出してるっ。小さくなって!」


 エアが元の子犬サイズに戻って、ほっと一息。

 馬に乗った人達が5人くらい、壁の裂け目から帰ってくる。そのまま袋を担いで一目散に逃げていった。

 私とエアは茂みからがさっと頭を出して、彼らを見送る。


「あの鎧、ナイトベルグ領の兵士だ……領地が広くて兵士が足りないって聞いたけど、あんな人たちも雇ってるんだね……」


 危険生物がうようよいる大森林は、普段はきちんと見回りされている。

 ただおそらく、そんな真面目な兵士達が私の捜索に駆り出された。

 で、別の荒っぽい――いわば山賊スレスレの兵士達が禁止区域での『副業』にやってきたというわけか。

 大森林の素材はかなり貴重で、密猟している人もいるって噂だった。


「なんだかな」

『まだ壁の向こうには人がいる』

「え。な、仲間を見捨てたの?」

『それか囮役として連れてきたのかもしれない。お金に困っている人も、領内には少なくなかった』


 ぶんぶん頭を振って、気持ちを固めた。


「じゃ、助けましょう。せっかく来たのだし」


 エアにもう一度大きくなってもらい、背中に乗る。ひとっ飛びで壁を乗り越えると、だだっ広い草地に出て、その向こうに巨大樹の森があった。

 一本一本の高さが4、50メートルはある、冗談みたいな巨大樹。それが集まっているのが、国の辺境、大森林だ。

 古代樹の上に、フクロウの影が躍る。


『僕は、森で戦おう』


 ひらりとロランさんが飛び降りるのが見えた。


『魔獣よ! 境界さかいを越え、我の下へ!』


 お、おおう! ロランさん、他の召喚獣だって呼び出せるんだ。それにあの高さから平気で飛び降りたり、危険地帯に颯爽と向かうのって、もしかしてかなり強い?

 悲鳴と共に、大森林から兵士達がまろび出てくる。

 5人ほどの彼らを、子供くらいの大きさの真っ黒い影が10体ほど追いかけていた。

 まるで、人型に濃縮した闇。

 ぞくと背筋が寒くなる。


「ま、魔物……!」


 大森林には魔獣、そして魔物が棲んでいる。

 魔と魔、ちょっと紛らわしいけれど、見分け方は簡単だ。

 だって魔物は、明らかに普通の生き物じゃないから。そして大森林が危険地帯となっているのは、この魔物という存在のせいだった。


「エア、あの人達を守って!」

「わんっ」


 エアが吠えると、突風が起きた。短い草を巻き上げながら、風は小鬼たちに迫り、黒い影を竜巻のように上空まで運んでしまう。

 きらり、きらり、とその風は輝いているようにも見えた。

 一方、地面に落ちた黒い影は霧のように消えてしまう。後には、拳くらいの大きさの、透明な石が遺された。

 闇が濃縮したみたいな黒い姿と、倒された後に魔石を残すのが、魔物の特徴。

 今の小鬼は、正式には『闇鬼ゴブリン』と呼ばれるタイプだと思う。


「わ、強い……」


 一瞬だ。

 助けられた兵士達はぽかんと口を開けていた。


「な、なんだあのでかい犬――」

「って、見ろ!」


 兵士達が指差した先で、闇鬼ゴブリンの群れが波のようにどっと現れた。

 エアが走る。

 兵士達と魔物の間に割って入り、吠えた。


「わんっ!」


 巻き起こる風。吹き飛ばされた魔物達は、きらめく風の一撫でで、ほどけるように塵になる。


『神獣には、魔物を払う力がある』


 兵士達が逃げるしかない魔物を、こんなにあっさり消せるなんて。確かにスゴイ。

 涼しい夜風がエアの空色の毛を波立たせる。月明りのせいか、エアの黒々とした目が、きらっと光った。


「グウウウ」


 低く唸るエア。

 大森林の中から、小鬼らを引き連れ大きな黒影が現れた。


闇熊ダーク・ベアだ!」

「に、逃げろぉっ!?」


 兵士達が武器を放り出し壁の裂け目へ走っていく。

 こ、これで助けられたけど――今度は、大きな魔物だ。

 熊の形に凝固した闇。あるいは、熊から影をひき剥がしてきて、立ち上がらせたような。

 目の位置から真っ赤な光が私とエアを睨んでいる。

 巨大樹の上で、ばさりと羽音が起きた。


『さて、森の中にいた魔物は片付けたし、兵士の目もなくなったようだ』


 夜空に、月を背負う大きなフクロウ。

 その足にはロランさんが捕まっていて、闇熊ダーク・ベアから私を守るように飛び降りる。ロランさんは、いつの間にかきらめく水晶のついた立派な杖を持っていた。

 一振りすると、炎をまとった獅子や、宝石のようなウロコの竜が現れる。

 小さくなったフクロウを左腕にとまらせて、ロランさんは私に微笑んだ。


「頑張ったね。後は、僕がやるよ」


 ……この人、実はすっごく強い人?

 ほっとするやら胸が熱くなるやらで固まっていると、ロランさんとはぜんぜん違う声が、急に聞こえだしたんだ。


 ――お嬢ちゃん。


 それは、優しいおじいさんのような。

 エアの背中で戸惑ううちに、心の中で、スキルが、〈もふもふ召喚〉が起き上がる気配。


 ――助けてあげようかのう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る