1-3:名前をつけよう
焚火の音とちょっとの煙さで、私は目を覚ました。
「起きたかい」
先ほどのメガネをした青年が、私に微笑みを向けた。肩には小さなフクロウ。
私はゆっくりと身を起こす。
いたた――体はいつの間にかマントにくるまれて、下には布がしいてあった。それでもやっぱり地面は固くて、背がちょっと痛い。初夏の季節だから冷たくはないけどね。
ぐいとマントを抱き寄せながら、私は問うた。
「あの、ここは……」
月はすっかり高くなって、時間が経っていることはわかるけど。
青年は、焚火のお鍋をかき回しながら応じる。
「まだナイトベルグ領だよ。追われていたようだけど、その子のおかげで、だいぶ引き離せたんじゃないかな」
言いながら、青年は私の傍らを見やる。
青い毛並みの子犬がすやすやと眠っていた。
「あっ」
そうだ、この子が私を運んでくれたんだ。
いつの間にか、元の小ささに戻っている。夢じゃないと思うけど……さっきはワゴン車並みの大きな狼だったのに。
くすりとする青年。
「君をくわえて、お見事な大跳躍だ。一瞬だったし、追っ手はきっとまだ君が消えた辺りを探してるさ」
子犬も目を覚まし、私にすりすりと頬を寄せてきた。
「ふわぁぁ……」
か、カワイイよ……! 毛並みはすべすべツヤツヤで、毛流れに沿ってなでてあげると、気持ちよさそうに目を細める。
もう終わり? なんて見上げてくるから、抱き上げて頬ずりすると、お日様みたいな香りがした。
でも突然、子犬が痛そうに震える。
「くぅっ」
「あ、ごめんっ」
左の後ろ脚が、痛んだままなんだ。家族に打たれた場所だろう。
巨大な狼になったけれど、怪我まで治ったわけじゃないんだ。
私は、子犬をそっと降ろす。
「痛かっただろうに、跳んで逃がしてくれたんだね……ありがとう」
本当に賢くて、いい子だ。
「スープは飲むかい? ちなみに、子犬にはさっきお肉をあげたから平気だよ」
「あ、ありがとうございます……」
もう一度だけ子犬をなでてから、私は手渡されたスープを飲んだ。塩であっさりと味付けされた、干し肉のスープ。キャベツの甘みが疲れた体に沁みいるよう。
夢中で飲み切って、ほうっと息をついて、私は『そういえばこの人はどなただろう』という当たり前の疑問にぶつかった。
優しそうで、ついでに美形の人……と思うけれど、只者じゃないのは確かだ。今更ながら、そして失礼ながら、状況的に『誘拐』なんて言葉も浮かぶ。
器を返しながら、とりあえずお礼をした。
「マントも、お料理も、ありがとうございます」
「どういたしまして。僕はロランだ」
「あ、アリーシャ……です」
念のため、『ナイトベルグ』という姓は隠す。
「うん、よろしく。さっきも言ったと思うけれど、
召喚士――又は
ごくっと喉が動いた。
さて、思い出してきたぞ。
魔獣という強力な獣を操る人達のことだ。単に魔獣をけしかけるだけなら、たとえば訓練された人でもできるかもだけど、
魔法の力を使って、遠くにいる魔獣を呼び出す――召喚することができるのだ。
おそらく、私が初めて子犬を呼び出したのが、召喚というやつだろう。
もっともナイトベルグ領どころか、この国、聖リリア王国全部でもほとんどいない。隣国でみられる力だった。
ロランさんは、焚き火に薪を放り込みながら言う。
「僕は任務で、この領地に現れた神獣を調べていた」
この人が只者じゃなさそうなところ、もう一つ見つけた。
穴を掘って、その中で火を焚いている。
これ、煙が出にくくて、遠くから火が見えないやり方って、前世でも聞いたことがあった。異世界だし、キャンプ好きのお兄さん――ということは、まさかないだろう。
歳頃は20くらいで、白を基調にしたローブ風の衣服は学者さんみたい。
けど明らかに、隠れて暖を取ることに慣れているんだ。
「神獣……」
息をのみながら、繰り返す私。
「特別な力を持った獣、と思ってほしい。
子犬はふわふわの首を傾げる。
さっきはあんなに凛々しい狼だったのに。いや、でも、あんな変身を見たら、確かに特別な存在なのかも。
「そこにいる子犬は、立派な神獣だよ」
それから、話題を変えるようにちょっと頬を緩めた。
「その子の名前は?」
「――決めてないです」
一緒にいられるかどうかもわからないのに名前をつけることは、どうしてもできなくて。
「そんな顔をしないで。事情がありそうなのは、わかってる。でもね、動物は賢い、名前をつけなくても気持ちは伝わるものだ」
子犬が立ちあがって、尻尾を振りながら私にじゃれついた。後ろ足が傷むのか、まだちょっと引き摺っている。
健気さが、きゅっと胸を締めつけた。
私は、ロランさんに頭を下げる。
「お願いです。この子の怪我、治りませんか?」
この人、魔獣の知識もありそうだし、治癒とかの魔法も使えそうだ。
ロランさんはじっと私と子犬を見つめる。
「頭をあげて。君の気持ちはよくわかったから。まず名前をつけるといい」
「名前……?」
「召喚した神獣と、召喚士をつなぐのは、『名前』だ。君がこの子に名前をつけることで、この子は正式に君の召喚獣となる」
「え、ええと……?」
ロランさんは、ふむと唸りメガネを直した。
「かいつまんで言おう。召喚獣と君の間に、魔法的な繋がりが確立する。その子は未熟で魔力操作がまだ上手くない。傷の治りが遅いのもそのせいだ」
「あの」
「だから、君が代わりに『傷よ治れ』と念じてやる。これは簡単だが奥深い召喚士のやり方で、名前、正式には『真名』を鍵として個体に呼びかける方式は――」
ぜんっぜん、かいつまんでないよ!?
ロランさんは、肩のフクロウからコツコツと頭をつつかれるまでずっと喋っていた。
「こほん、失礼。つまり名前をつけて、『傷よ治れ』と呼びかければいい」
「名前を、この子に……」
星空よりきれいな、つぶらな瞳が見上げてくる。
「わん!」
……これだけ、助けてくれたのだもの。
治せるなら、試さないなんてできない。
「私、やってみるよ」
子犬が、痛めた左後ろ脚を上にしてぺたんと伏せる。
私はその背に触れ目を閉じた。春風のように爽やかなイメージが広がる。
「よし、決めた! あなたの名前は――『エア』!」
直感でつけたけれど、前世で飼っていた『クウ』に近い感じになった。晴れた日に捨てられて弱っているのを助けたから、『空』の意味を込めて名付けたんだよね。
眩しさに目を開けると、子犬、エアの後ろ足に青い光がまとっている。
「治って! エア!」
ええと、確か魔法で大事なのはイメージ。怪我しているのは、左後ろ足の靭帯。傷ついた細胞が、腱が、治っていくのを想像する。
――治って!
光が治まると、赤黒く打撲のようになっていた箇所は、きれいに消えていた。エアは尻尾を振ってくるりと回り、私の頬をなめる。
目がうるんだ。
「な、治りました! ありがとう、ロランさ――」
嬉しくてたまらなくて半立ちになると、なぜかロランさんがどきりとするほど真剣な目をしていた。
「やはり君が、神獣召喚士」
座っていた岩から降りて、わざわざ地面に膝をつく。
硬直する私に、首をひねるエア。
え……私、このお兄さんに
「来てもらいたい場所がある。君がいれば、大勢が救われる。至急、僕と……いたたた!」
肩口のフクロウが、ロランさんの茶髪頭をクチバシでドドドド!と連打していた。
「わ、悪い! 説明がまだだし混乱するよね……」
ずれたメガネを直しながら、ロランさんは眉を困らせる。肩では、一仕事終えた顔のフクロウさん。
…………こ、この人、大丈夫だろうか。
くあぁ、とエアが大あくび。治った後脚で耳の裏をかいていた。
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