1-2:大ジャンプ

 夕刻の森で、私は追われていた。

 スキル選定の儀式から3週間で、追放と修道院送りが決まっていた。

 腕には召喚した子犬。暮らしは使用人以下に落とされたけれど、この子がいてくれたおかげで、気持ちは大分マシだった。

 ただ薄暗い別館から屋敷に呼び出された今日、この子――オスだった――は両親らに打たれて、左後ろ脚を痛めている。追放される私から引き離されそうになって、抵抗したせいだ。

 私はその時、一か八か、賭けてみることに決めた。

 子犬を手当てしたいと抜け出し、そのまま逃げ出したのだ。


「はっ、はっ」


 幼子の体のせいか、もう息が切れる。

 お父様とお母様は、辺境伯家の恥である私を修道院に閉じ込めて、スキルを奪うことを決めていた。

 勘当である。

 たった8歳の娘にすることかと思うが、スキルが低質、つまり『神に愛されていない』とはそれだけ重大なことなのだ。

 神殿にはスキルを人から取り上げる魔法があり、罪人などに使われる。子犬は家に閉じ込めて、魔法の実験に売り渡すと盗み聞いた。


「もう、取られるのは嫌……!」


 抱えた子犬はもふもふで、ふかふかで、こんな時でも気持ちいい。

 私の追放はいい。家に帰るのは、この子を安全な場所に預けてからだ。


「なんとかしてあげる」


 私は子犬に笑いかけた。

 近くに、魔獣の学者さんが来ているらしい。この国では珍しい魔獣好きらしく、その人に会えれば、引き取ってくれる可能性はある。

 両親も『遠くで逃がした』といえば、探しはすまい。

 記憶を取り戻してから、私だって何もしなかったわけじゃない。召喚術について調べたり、本当のお母さんの形見で侍女から情報を買ったりして、準備してきている。

 今のナイトベルグ夫人、お母様は、前妻である私のお母さんが死んでから迎えられた。

 私、特にお母さん譲りの黒髪は、さぞ目の毒だったのだろう。

 スキルがわかってから、遠からず子犬にも、私にもよくないことが起こるのは、わかりきっていたから。

 子犬をぎゅっと抱いてやる。


「短い間だけどね。私、けっこうあなたのこと、好きになってきたよ」


 家族にも使用人にも一夜にして見放された日、この犬だけは側にいた。まるで『大丈夫?』と心配してくれているみたいに。

 この子だけは、守ってみせるんだ!


「こっちで音がしたぞ!」

「逃がすな!」


 屋敷を出てから、大分逃げてきた。

 ぞっとしながら、薄暗い森を抜ける。フクロウの声、獣の遠吠え、どれもひどく不気味だ。


「あっ――」


 足を滑らせ、崖から落ちる。

 それでも子犬は掲げて庇った。

 着地の瞬間、風が舞い上がって、衝撃を和らげてくれる。


「い、今の……?」

「わんっ」


 起き上がると、子犬が私を見返す。

 その時、がさりと茂みが揺れた。夕日が木々の隙間から差し込む中、人影が現れる。


「ひっ」

「ああ、ここにいた」


 出てきたのは、メガネをかけた青年だった。豊かな茶髪の下で、タレ目が優しげに細められる。

 令嬢たちが頬を染めそうなくらい、整った顔立ち。ついでに森にいるのに、マントの下はまるで学者さんみたいな品のある装束だ。

 その人は地面に膝をつく。

 尻もちをついたままの私と、抱いた子犬に目線を合わせてくれたようだ。


召喚士サモナー協会の者だ」

「きょ、協会っ」


 私は急き込んだ。

 な、なんだか学者さんっぽい名前。それこそまさに、私が探していた人達じゃないっ?

 ……でも、なにか、気になる言葉がくっついていたような。


「……召喚士サモナー?」


 男性はしゃがんだまま、顎に手を当てにっこりする。

 う……やっぱり美形だ。

 ばさっと羽音がして私が身を縮めると、飛んできたフクロウが男性の肩にとまった。


「彼女が、君らを見つけてくれた。それにしても、いい毛並みだぁ。聖狼種の新種かな? 学名は、そうだな……モフモフオオカミとでも……」

「え、ええと、この子? 確かにもふもふであったかい、とってもいい子ですけど」

「ふふ! はすべからくもふもふしてるんだ」


 さて、と男性は笑う。


「失礼するよ」


 言葉の直後、そして、男性が子犬に触れた直後。

 まばゆい光が傷ついていた子犬にまとった。

 子犬の体が大きく膨らみ、ふわふわと柔らかい毛が私を包み込む。子犬は一頭の巨大な狼に変じると、木々を震わせるような遠吠えを放った。


「え、ええ?」


 う、うん。整理しよう。

 私の腕の中にいたはずの、子犬。

 その子は、メガネの青年に触れられた瞬間、馬車よりも肩高がありそうな巨大狼に変身した。

 ……自分でも、何言ってるかわかんないよね。

 狼は遠吠えをやめると、首をくいっと傾けて私を見下ろす。


「え」


 動揺する私をぱくりと口の端っこにくわえると、狼は身をかがめた。


「えええぇえええ!?」


 大、ジャンプだ。一瞬で地面が遠ざかり、木が爪楊枝みたいな小ささになる。

 大、大大大ジャンプ……!


「う、うわ、うわわ」


 変な声が出る。ていうか、変な声しか出ない。

 耳元で風がビュンビュン鳴り、狼がくわえている肩の布地が外れたり破けたりしないよう、祈るしかない。

 上昇は終わり、薄闇の空。浮かぶ雲を沈みかけの陽が照らし、景色だけはきれいである。

 ……これからきっとジェットコースター並みの急降下が始まるってことを忘れればね!


「……ん?」


 私は、頭上にもう一つの影があることに気が付いた。

 さっきのメガネの青年が、巨大なフクロウの足に捕まって、ゆるゆると私達を追ってきている。

 下から徐々に風が吹き始める。落ちているのだ。

 落下に悲鳴をあげながら、私は指差し叫びたかった。

 ずるいぞ、同じ飛ぶなら、私もそっちがよかったよ!?

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