前だけしか見ない。
足の回転速度を上げていき、前傾姿勢から少しずつ体を起こしていく。後ろなんか絶対に見ない。ただ僕は後ろから声がかかるのを静かに待つ。
テイクオーバーゾーンの半分を越える。後ろから足音が聞こえてくるが、まだ追いつかないのか。
テイクオーバーゾーンの四分の三を切っている。だけど、お前が言ったんだ。
―――お前を振り切るくらい本気で走れ。
木山がそう言ってくれた後の練習では一度しか成功しなかったけど、僕はお前を信じているぞ。だが、あと三歩でテイクオーバーゾーンを越えてしまう。
「ハイッ」
僕は反射的に右手を後ろに出した。その瞬間、プラスチックの筒が僕の手に当たり、パンッと乾いた音が聞こえた。
あと一歩でテイクオーバーゾーンを越えてしまうところで、僕は右手に力を込めて、右腕を前に振った。間違いなく僕の右手にはバトンが握られている。
「行け、大智」
背中から熱風を受けた気がした。だが、その熱風は僕にとって追い風になる。
ああ。任せろ、雅人。
僕はギアを上げて、ぐんぐんと加速していく。だが、後ろから足音が聞こえ、僕の視線の端に青色のバトンが見えた。
大川だ。
陸上部に二年半所属して、部内で短距離が一番速いと言われている大川がただの帰宅部なんかに負けてはいられないのだろう。その上、僕は二か月で陸上部を辞めた半端者だ。絶対に負けられない、という気迫が足音からわかる。
だが、知ったことではない。
僕にだって負けられない理由がある。背中に受けた追い風が僕をここまで連れてきたんだ。カーブを曲がり切り、あとは直線。僅か三十メートルほどしかない。
僕は最大限ギアを上げて、足の回転数を上げていく。それと同時に足のストライドも少しずつ広げていく。隣には陸上部で綺麗なフォームで走っている大川がいるが、そんなことはお構いない。きっと傍から見たら僕のフォームは滅茶苦茶だろう。
肺が酸素を求めて焼けるように苦しい。
全身が高熱を帯び、内側から何かが飛び出してきそうな感覚に襲われる。
だけど、目の前にはもう誰もいない。白線しか見えない。
ああ、そうだ。
この快感だ。
僕はこの快感をずっと求めていたんだ。
僕の体はナイロン素材の白線を切り裂いた。
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