第19話 「不思議」を満喫しようと思います


 アバウトとエレナは、本来であれば今日の夕方のうちにノワールへ戻り、スタン爺と決起集会を行って、翌日の朝に内陸の電車に乗って試験が行われるルミナス城へ向かう予定だったのだが。

 予想外の出来事が起こり、辺りは暗くなってしまったので、そのままアエスシティ内の宿泊施設で泊まることにした。


「夢がこんなに早く叶うなんて思わなかった。誰かさんとこの街に住むっていう夢。1泊だけだけどね」


 2人が宿泊するのは、派手な外観をしたアエスシティで最高クラスのホテル...の横にあった、露天風呂付きの宿である。この街では珍しく石造りの古風なデザインとなっており、中では温かみのある落ち着いた雰囲気が漂っている。


「すごくきれいな宿だね、なんでここを知ってたの?」

 アバウトの言葉にエレナが返す。

「あたし前にここで泊まったことがあるの!」



 部屋に入るとアンティーク調の家具が並び、広々としたベッドが堂々と横たわっていた。部屋の広さは一般的な二人部屋ほどのもので、アバウトとエレナにとって快適な環境になりそうである。

「少し休んでから、先にご飯行こうか」

「うん!」

 アバウトの提案にエレナは激しく同意した。


 2人が食堂へ向かうと、この地帯の名産の野菜を使った前菜やメインディッシュの肉料理、フルーツをふんだんに使ったデザートなどが提供された。リリスの奇襲で夕食を取れなかった2人はお腹がペコペコだったので、味わいながらもあっという間に完食した。


 部屋に戻ると、エレナは先に風呂に向かった。アバウトは明日の試験について気になり、調査をすることにした。


「エリシア入隊試験...募集、募集...あ、これか」


 一応ページはあるようだった。しかしやはり情報はほとんどなく、日時や場所以外の有益なものは見つからなかった。


「あ?これは...!」


 ところが試験合格者一覧が記載されているページを開くと、驚くべきことが発覚した。

「な、なんでフォロが!?」

 9年も前。当時5歳にして、フォロはこの試験に合格していたのである。

 つまり、彼女は守護者だったのだ。


(で、少し前まで魔王に仕えるメイドで、今はニートか。なんかすごいな...)


 さらに一覧を見ていくと、アバウトはもう一点、あることに気付いた。


(ノワールの指揮官って、フィレさんだったよな...)


 10年20年と遡っていっても、試験合格者にその名前がなかったのだ。


(記載し忘れか?だって合格しなきゃ...な)

 疑問が残るもののアバウトはページを閉じ、大浴場でゆっくり休むことにした。




 着替えとタオルを持ったアバウトが風呂に向かうとき、同年代の2人の女性とすれ違った。

「メル~!風呂ちょ~気持ちよかったね」

「ほんとそれ~、この宿結構好きかも」

「これで明日がんばれそ!」


 彼女たちはアバウトより十センチ以上も背が高く、バスローブのシルエットからスタイルの良さが現れている。腰の位置は高く、胸のふくらみは大人の女性にも劣らず豊かであった。


(明日...?もしかして彼女たちも、試験に?)


「あ~、喉乾いた...」

「さっき自販機あったじゃない」

「え、まじ...あ、ホントだ。買ってくるね!セルはやっぱり...」


 2人は顔を見つめ合い、そして同時に言った。

「紅茶サイダー!」「紅茶サイダー!」


(...紅茶サイダー!?初めて聞いたぞ?)


 すれ違ったばかりのうちの1人が再びアバウトの前を通り、来た道を戻っていった。

「ウチは...ミルクコーヒーにしよ」


 少し離れた場所にある自販機の前で、その人はぶつぶつと1人でしゃべっている。  

 アバウトは2人の言動が気になり、その足はすでに止まっていた。

「そんなに気になる?」

「わあっ!」

 アバウトの肩にもう1人の女性がポンッと手を置き、耳元でささやいた。


「あはは、びっくりさせちゃってごめーん!」


 アバウトは彼女の顔を見上げた。ぱっちりとした目の位置は、やはりアバウトよりずっと上にあった。


「セルいくよ~」

 自販機の女性はそう呼びかけ、アバウトの目の前にいる女性は「おっけー」と返事をした。飲み物を投げて渡すつもりなのか?でも距離は30mくらいありそうだが...。


 そして自販機の女性は弓矢をいるポーズをし、次の瞬間には「ばひゅん!」という風を切る音がアバウトの目の前を過ぎ去り、そのドリンクは目の前の女性の手の中にあった。


「サンキューメル!」


(...ん?んん!?)


 速すぎて全く目で追えなかった。何が起きたのか理解ができないが、確かに飲み物は高速で移動した。


「え、今の見えたんですか...?」

「うん。これでもまだ遅い方だったかな」


 セルと呼ばれる女性の言葉に、アバウトは信じられるはずもなかった。魔王時代の彼であれば話は別であるが、それも魔力の恩恵であった。


 そんなアバウトをよそに、彼女は走って戻ってきた女性と「うぇーい」と乾杯をし、アバウトに「じゃあね」と言って去っていった。




 彼女たちと別れ、アバウトは風呂へ向かった。

 浴室への扉を開ける直前、再びあの気配がアバウトを襲ったが、その手を止めることはできなかった。

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