第18話 「非常事態」を満喫しようと思います
アバウトは何が起きたかもわからず、エレナをかばうようにテーブルの下に身を隠した。
間もなく周囲には、豪雨のように漆黒の矢が降り注いだ。アバウトの中に封印された魔力が一斉に騒ぎ出す。感じたことのあるこの気配に、いやな予感がした。
数秒の出来事だったが、海の家とその周囲の砂浜は大きく様子を変えていた。エレナと共に伏せていたアバウトはふと顔をあげ、信じられないものを目の当たりにした。
「リ...リアムさん!起きてください、リアムさん!」
リアムはその場に倒れていた。放たれた矢のうちの1つがリアムを貫き、その魔力を残して消失したのだ。リアムの身体は突然侵入してきた魔力を異物として判断し、受け入れることが出来ず拒否反応を起こしたのだった。そしてすでに、彼は息をしていなかった。
「そんな...なんで...」
エレナもひどく動揺している。そして海のほうから聞こえてきたのは、アバウトが聞き慣れていた声だった。
「久しぶりね、アバウト」
いやな予感は的中した。3人の配下をつれて立っていたのは、かつて魔王アバウトが従えていた、最強メイドに次ぐ実力者だった。
「覚えているかしら?私のこと。まあ、覚えてないというなら、今ここであなたを殺すけど」
アバウトは自分の後ろにエレナを隠し、体を声の主に向けて答える。
「...リリスだろ。それにお前たちまで」
アバウトはもちろん、リリスもその配下のことも知っていた。
「正解。やっぱり来て良かったわ」
満足げにほほ笑むリリスに、アバウトは問う。
「何しに来た?」
「あなたを連れ戻しに来たのよ」
リリスはアバウトに向かって歩いてくる。今になってみれば、魔王だった自分の直属の配下である彼女の威圧感はすさまじいもので、エレナはアバウトの身体を後ろからぎゅっとつかんだ。アバウトは平静を装い、疑問をぶつけた。
「なぜここがわかった?」
「ずっと監視させてもらっっていたわ?だってあなた、フォロといつも一緒じゃない。私じゃあの子には勝てないから、あなただけになるこの瞬間を待ってたのよ」
この3人を監視役として忍ばせていたということか。全く気付かなかった。
「でも...ほかの人たちまで殺す理由はないはずだ」
「そうね、でも守護者もいたようだったから。話の邪魔かなって」
リリスの強い口調にたじろぎつつも、恐怖を押し込めてアバウトは言う。
「お前と話すことなんて何もない。今すぐここから出ていけ」
「はぁ、しょうがないわね。あなたに乱暴なことをするつもりはなかったのだけど」
そしてリリスは再び闇の魔法を操り、漆黒の矢を作った。
「さあ、決めなさい。おとなしく私に従うか、強引に魔王城へ連れ戻されるか」
リリスに対してアバウトは大きくため息をつき、そして余裕のある表情を浮かべて言った。
「そうか...なら仕方ない。このときのためにとっておいた、最大魔力を解放しよう」
「...え?」
「光の世界にこんにちは———」
「う、嘘よ。はったりに決まってるじゃない。だってあなた、魔力が使えなくなってるはずだもの」
「闇の世界にこんばんは———」
詠唱を始めたアバウトの手の中には、こぶしくらいの大きさの禍々しい光の珠が出来上がった。
「何...この反応...こんなの、知らない...」
「魔力を超えるわが力よ、ここに集え———」
「ま、魔力を超える...?待ってよアバウト、いったん話を...」
「エクリプス・ノヴァ———」
「わわわ、わかったわよ!今日のところは帰るから許して!」
リリスのその言葉を合図にアバウトは詠唱をやめ、光の珠は少しずつ消えていった。
「い、今の魔術、しっかりと覚えたからね!次は私が勝つんだから、覚えてなさい」
そう残したリリスは、逃げるように配下たちを連れてどこかへ消えていった。
ずっとアバウトの身体を後ろから抱くように掴んでいたエレナはようやくその手を放し、アバウトと目を合わせ、そして2人は達成感のある笑みを浮かべた。
「やったね、アビー!」
「ありがとう、エレナ。助かった!」
実は先ほどのアバウトの魔術、もちろんアバウトのものでもなければ魔術でもなかった。アバウトのはったり詠唱のタイミングに合わせ、アバウトを後ろから掴んでいたエレナは、その手に隠し持っていた光焔武具を応用し、霊力の珠を出していたのだ。これは1か月間共に特訓を積んできた2人だからこそできた芸当であった。
おかげでアエスの街に大きな被害はなかった。しかしそれでも、リリスの奇襲でリアムと数人の観光客が犠牲となってしまった。復興のために守護者たちが駆けつけてきた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「リアムさん、本当にありがとうございました」
「ありがとう、リアムさん」
アバウトはエレナと手を握り合い、彼に最後の別れを告げた。明日の試験、2人で絶対に合格して見せますというように。
そのとき、アエス灯台から光が発せられ、まっすぐ海を照らし始めた。船舶がその行く末に迷うことの無いよう、暗い海を明るく染めている。エレナはその光を見て、静寂の中に口を開いた。
「あの光、リアムさんだと思う」
アバウトは彼女の言葉に耳を傾ける。
「この街が暗くならないように、みんなの暮らしを平和に導いてくれるの。普段は目立たないところで必死に訓練して、その時が来たら全力で輝いて」
エレナの目には涙が輝いている。
「きっとあたしたちの思いが届いたんだよ」
「そうかもな。オレたちのありがとうに返事をくれたんだよ、きっと」
そのとき、エレナは突然、「ほッ!」と声をあげた。
「どうした急に...って、それ!」
武具を持っていないはずのエレナの手には、明るく輝く霊力の塊が渦巻いていた。エレナはとても嬉しそうに、
「いま、一瞬だけど霊力はっきり感じたの!それで、今ならできるかなって!」
とアバウトに猛アピールした。
アバウトはエレナの目に浮かぶ涙をハンカチで優しく拭き取り、
「やったね、エリー!」
と言った。
「あ、その呼び方」
「久しぶりに呼んでみたくなっただけだよ」
そして波の穏やかな夜の海に、2人の笑い声が響いた。小さく見えるライトアップされたルミナス城は星々とともに輝き、この先の未来を暗示しているようだった。
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