みんなで旅に出よう。
朝からまちは不機嫌だった。
小学校の頃も中学校の頃もそうだった。ギャン泣きからちょい泣きへ、そして今となっては泣くこともなかったけれど、根本のところは変わらない。
寂しがりで情緒的で、だからこそ可愛くて厄介だ。
とはいえそこまで直接的に不機嫌アピールするわけでもなく、見る人が見れば、というレベル。さすがに高校生、自分の機嫌で他者を動かそうとするほど子供じゃない。
「ぶっすー」
前言撤回。はちゃめちゃにふてくされてる。
「まち、飯を食え」
「食っとるわぁ」
「まずいか?」
「うまいわぁ!」
なんなんほんとに。
これは本当に、不機嫌
今日は趣向を変えて、しっかりめに焼いた醤油風味の卵焼き。ふんわりとろっとした卵料理が好きなまちだけど、たまにこうして変えていくのも大変に喜ばれる。
醤油だしのオニオンスープに、ブロッコリーのチーズ焼き。いつものようにトーストにはいちごジャムを。
「昼飯はどうするんだ?」
「お弁当作るよ。簡単に」
「そっか。別に学食でも購買でも、好きにすりゃいいけど」
「気が向いたらねぇ。まだ一回も行けてないし」
「そういやそうか。俺も行ったことない」
「えー。じゃあ、帰ったら一緒に行こうよ」
「おー。じゃあ初学食は一緒に行くか」
そこそこ評判のいい学生食堂は、学生らしい一品料理だけでなく、バランスのとれた定食もあるようだ。高校に上がって一年と少し、一度はと思いながらも結局は行けずじまい。
まち曰く、俺の作る弁当ってのは結構評判がいいらしい。友達に羨ましがられるくらいで、たまにおかずをいくつか交換してはその味を誇っているそうだ。なぎさを始め、俺の友達からの評価も悪くない。
そういう意味じゃ思い出作り。あるものを一度くらいは経験してみないと、もったいない。
最後にオニオンスープを吸い切り、ふと息をつく。
「さてじゃあ、歯ぁ磨いたら行くか」
「うぅ……さびしい」
「まぁ、慣れろ。進路によっちゃ、俺も実家を離れるかもしれんし」
「……そうだよね、そうなるよね」
「できる限り近くでとは考えてるけどな。それもわからん」
「そういう意味じゃ、お父さんお母さんも、タイミングよかったのかなぁ」
「かもな」
歯を磨きながらも話を重ね、ひとまずこの修学旅行も一つの「予行演習」ってことで落ち着いた。
荷物を詰め込んだボストンバッグを左肩に背負い、まちはいつもどおりの通学鞄を持って。玄関前で彼女の髪を梳くけれど、それじゃあまだ足りない、みたいな表情をするものだから。
恥ずかしいのをぐっと堪えて、その背と頭に、それぞれ腕を回して抱きしめた。それに応えるように背中へ回される細腕に、思わず苦笑いが漏れる。
「まったく……お前ももう高校生だぞ?」
「ごめんなさい」
「アイドルやってる時は、俺よりしっかりしてるくらいなのに」
「……うん。じゃあ、そんな感じで、がんばる」
「おぉ、がんばれ」
ぱっと離れて、玄関のドアを開く。
通学路の俺達は会話も弾み、しんみりとした空気はどこへやら。玄関で分かれる時も、笑顔で「行ってらっしゃい」って言ってくれて、だから俺も笑って「行ってきます」と答えた。
教室に一度集まって点呼を取り、その後校門前に学年全体で集合、並んだバスにクラスごとで乗り込んでいく。席は自由で、それとなれば仲の良いグループで固まっていくのが当然で。結局いつも教室で見るようなグループが変わり映えなく、バスのそこかしこで固まっている。
俺達もまた同じ。裕二に直也、なぎさに菊原さん。運良くといっていいのか、最後尾の席に座ることができた。
なぎさと裕二に挟まれた俺は、そのど真ん中である。
「こっから四時間くらい移動時間だっけ? どうかと思うわ」
「それな。なんか持ってきてねぇ?」
座って早々、愚痴り始める裕二と直也。ならば俺の答えは決まっている。
「スマホ持ってきた」
「誰だって持ってんだよ。……でも、それしかねぇよなぁ」
「逆にスマホあってよかったわ。ない時代とかマジでどうしてたんこの時間」
「ガチでそう。雑談で四時間とかもはや拷問」
「そう? あたし余裕だわ」
「な。男子は雑談力が足りんな」
というかそもそも、なぎさは一人でも数時間雑談を続けるツワモノだろうが。ツッコむのもなんだか野暮な気がして何も言わずにおいたけれど。
バスの移動時間は長く、話は尽きない。一段落つけば動画を共有したり、ゲームを一緒にしたり、そしてそれらを種にまた雑談を続ける。長い、拷問だと言っていた移動時間はあっという間に過ぎていき、二時間ほど走れば休憩地点のサービスエリアだ。
降りた瞬間、凝り固まった身体が伸びを強要する。後ろから降りてきたなぎさに背を押され、ぴっちりと並んだバスの隙間を縫うように進んでいく。
周囲は自然豊かな山の中。平日の朝ということもあって人手はそこそこ、冷えた空気が肺を満たすとなんとも心地良い。
「たそがれてないでさっさとトイレ行きなよー?」
「わかってるって。出たらコーヒー買うわ」
「あたしもー。じゃあ買ったらあっちの店横で一緒に飲も」
「了解」
トイレ前でなぎさと別れ、混み合うトイレへ。
とはいえ男子のトイレなんてのは回転率が早く、なぎさがトイレに消える前にはもう出てきてしまう。裕二と直也も一緒に出てきたものの、俺の目的がコーヒーのみと知るや否や二人で売店に行ってしまった。
売店、カウンター横の自販機でドリップコーヒーを買い、カップ片手に店外へ。店舗横のスペースは同じように同級生が駄弁っていて意外にも人が多い。
花壇の縁に腰掛けなぎさを待つものの、その間に冷めてもな、とコーヒーを一口含む。思いの外しっかりと香るコーヒーに、思わず「お」と感嘆が漏れた。自販機のコーヒーなんていつぶりだ、ってくらいのもので、ある意味ナメていた自分を反省してみる。
「おまたせー」
やがてやってきたなぎさも隣に座り、賑やかなスペースを眺めながらコーヒーを啜る。
「お、おいしい」
「な。自販機ナメてたわ」
「コンビニコーヒーに引けを取りませんなぁ」
両手でカップを持ち膝の上に乗せると、なぎさはこちらを向いて柔らかく微笑んだ。
「旅行来たなぁって感じするよねー、サービスエリアって」
「わかる。朝の、ってところがミソだよな」
「それー。車がバンバン流れてて、でも休憩してる人達はのんびりしててねー」
「まさに移動中って感じだな」
かく言う俺達もまぁずいぶんのんびりしていて、推しが、好きな人が隣に座ってるっていうのにドキドキもしなけりゃ緊張もない。
なぎさが転校してからこちら、誰よりも一緒にいるようになった。一番仲の良かった裕二や直也より、教室に着けばまず真っ先に彼女に話しかける。最初は「推しだから」という下心から。そのうち単純に話すのが楽しくなって、今は隣を歩くのが自然になった……気がする。
いつだったかなぎさが言っていた通りだ。彼女の隣は、
ちらりと彼女の横顔を見ると、目ざとく気づいてにこりと微笑む。
「なぎさ」
「なに?」
「……なんでもない」
「なんだよー」
けたけたと笑うなぎさに曖昧な笑みを返して、内心で胸を抑えた。
危なかった。本当に危なかった。笑顔があんまりにも可愛くて、勢いで告白してしまうところだった。
きっと今じゃない。こんななんでもない時間に衆目の中、さらっと済ませていいものじゃないはずだ。多分、きっと、そのはずだ。
……でも、「好き」を実感する時ってのは大抵、こういうなんでもない時なんだよな。俺の作った料理やお菓子に浮かべてくれる笑み、ゲームをプレイする時の楽しそうな顔、打てば響くような言葉のやり取りも。
朝のサービスエリアは忙しなく、けれど穏やかな時間が流れている。六月の朝は過ごしやすく、吹き抜ける風が時折なぎさの髪を揺らした。
「……そろそろ戻ろっか」
「だな。そういや俺ソフトクッキー作ってきたんだけど」
「食べる! 食べたい!」
「コーヒー残しときゃよかったな」
「まぁ、単体でおいしいからだいじょぶだよ」
「そりゃ光栄だ」
バスに戻ればほとんどのクラスメイトが既に着席済みで、当然俺の貴重な友人達も揃っていた。
ソフトクッキーをそれぞれ分けて振る舞えば、いつも通りになかなかの好評で、思わず口元が緩む。
幸先の良い旅立ち。まだまだ「いつもの日常」から抜け出たような感覚はないけれど、それでもこの旅行が心底楽しみだと思えるような。
バスは規律正しくゆっくりと走り出す。少しだけ窮屈で、エンジン音と揺れが多少の眠気を誘うけれど、それでも賑々しく時間は過ぎていく。
やがて車内に小さな歓声が上がった。裕二の方に身を乗り出して外を見れば、ああ、これは確かに、歓声も納得の景色が目に入った。
「海だぁー」
肩越しに上がる声。同じように身を乗り出したなぎさが、俺の肩に手を添えてその顔を覗かせていた。
「きれいだねー」
「……だなぁ」
太陽に照らされて波がきらめく。輝く水平線に釘付けになる。バスの中は相も変わらず窮屈だけど、それはまるで風までも見えるようで。
もうすぐ、目的地。
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