これからの俺達は。





 修学旅行まで日がない、ということで、まちを連れて隣家の祖父母を訪ねた。

 我が家が洋なら祖父母の家は和。瓦屋根に漆喰の外壁、障子に縁側。けれどあくまでも「和風」であって、二階建てのその家はどこか洋も感じさせる佇まいをしている。

 休日ということで昼食をごちそうになり、それから俺達は洋風のリビングでテーブルを囲み、緑茶の入った湯呑みを片手にくつろいでいた。

 湯呑みが半分ほど空になったところで、持ってきた鞄から書類を数枚取り出し、テーブルに並べる。

「来月修学旅行だから、同意書とまちをお願いしたいんだけど」

「同意書と私を一緒に並べないで欲しいなぁ」

「ははは、ああ、もちろんいいとも。三日間だったね?」

「うん。ちょっと騒がしくなるけど、ごめん」

「賑やかになって嬉しいわぁ。まちちゃん、よろしくね」

「よろしくねぇ。おじいちゃんも、よろしく!」

「ああ、よろしく」

 書類をまとめてざっと目を通しながら。じいちゃんとばあちゃんは、何が楽しいのかにこにこと、本当に嬉しそうに話をしてくれる。

「まちちゃんも大きくなったわねぇ。子供の頃はおにぃ行かないでぇって、わんわん泣いてたのに」

「寂しいけど、しょーがないからね」

「寂しいのか。しょっちゅうレッスンやらで家空けてんのに」

「夜は帰ってくるじゃん。寝て起きてもおにぃいないんだよ? わかってる?」

「わかっとるわ」

 それにこっちはこっちで、寝て起きてもまちがいない。それは確かに少しばかり寂しくはあるけれど、彼女の言うようにしょーがないことなのだ。

 さておき同意書にサインと印鑑をしてくれたじいちゃんは、それを俺に返してお茶をすすった。

「ありがと。また前日くらいに顔出すから」

「ああ。何かあったら、衛もまちも、すぐ連絡しなさい」

「はぁい」

 今でこそ週一程度の付き合いだけど、幼い頃は本当にお世話になった。もちろん気をつけてるつもりではあったし、できる限り自分達でやってきた。けれどやっぱり子供は子供で、できることには限界があって、それを過ぎるとガタが来る。

 俺達がどんなに慌てていても、じいちゃんとばあちゃんはいつだって落ち着いていて穏やかで、ただそれだけで安心したものだった。それでいてやれることをきっちりやってくれていたから、本当、頭が下がる。そりゃあ懐くさ、俺もまちも。

「それからじいちゃん、俺、ちょっと将来やりたいことがあって」

「おお、進路の話か」

「うん。パティシエ……お菓子作りとか、してみたいなって」

「そうかぁ……衛は昔から器用にやってたもんなぁ」

 だから進路の相談だってしたくもなる。両親より先にしてしまうことを申し訳なくも思うけれど、やっぱり電話越しじゃどうしたって言葉足らずだったり誤解も生まれる。どっちがとかじゃなく、ただ単純に、両親に話すにしても直接会って話したい、というだけの話だ。

「……反対は、しない?」

「する理由がない。そりゃあ、難しい道なのは確かだろうがなぁ」

「うん」

「衛は昔から、やると決めたらやり切る子だったろう。これっぽちも心配いらん」

「……そっか」

 一切の迷いなく、穏やかな顔のまま、言い切るじいちゃんに目頭が熱くなる。

 隣でうんうん頷いてるばあちゃんも、まちも。

「金の心配ならいらんぞ。お前の父さん母さんが、たんと稼いでるからな」

「うん。その辺は目一杯甘えるつもり」

「ははは。まちも、今ずいぶん人気なんだろう?」

「うん! なーちゃん……お友達と一緒にお仕事してから、すごいんだー」

「そうか。大事にするんだぞ、お友達は」

「もちろん! 一緒にライブした人達とも、お電話したりしてるんだよぉ」

 そりゃあ初耳だ。まちが言っているのはおそらくコレオス、ぱすてるジャム、純アイの人達のことだろう。今や彼らに肩を並べるくらいには成長できた。さぞ実りのある話をしてるんだろう。

 広がる交友関係、伸びる数字。まちのアイドルとしての成長は著しく、今ようやく夢を見つけたばかりの俺にはもう遥か遠くにいるようにも思える。

 妬む気持ちはない。焦りもない。けれどやっぱり、俺とは関係のないところでどんどん大きくなっていく妹を見ていると、少し寂しい気持ちは確かにある。もちろん本人には、そんな「関係ないところ」なんて意識はこれっぽっちもないだろうけど。

 支えてきた、という意識は俺の自慢でもあるけれど、支えは所詮支えでしかない。立ち、歩き、駆けるのはいつだって本人。

 じいちゃんばあちゃんとワイワイ話す内容を聞いていても、俺の知らない話題が少しずつ出てくる。特に際立つのは、やっぱり人との関わりだろうか。レッスンから始まり衣装製作、楽曲制作、それから日常のちょっとした営業まで――彼女は既に、たくさんの大人達に囲まれて仕事をしているのだと実感させられる。

 なんとなく、残ったお茶をすすってみる。少しだけ冷えたものの、まだ温かく香りもあり、優しい渋みが舌に残る。

「衛は修学旅行、どこに行くんだったか?」

「え、ああ……えっと、港町に行って色々やって、漁業体験みたいな?」

「神社仏閣が定番かと思っとったが、最近は色々だなぁ」

「まぁ、今でもそれは定番だと思うよ」

「私達も行き先同じなのかなぁ」

「同じだと思う。去年の先輩もそうだった気がする」

 会話を振られ意識が向かうと、渋みもどこかへ消えていく。

 正直、修学旅行の行き先はどうでもいい。神社仏閣だろうが科学館だろうが、海だろうが山だろうが、大抵のところは新鮮で面白い。そういう意味じゃ、テーマパークだのなんだの、普通に友達と行く選択肢に入る場所の方が退屈まである。……まぁ、友達と行ったこと、ほとんどないけど。

 ともあれ気がかりは別にあって、当然菊原さんと話した「覚悟」のことだ。

「でも海っていうのはいいかも。船にも乗れるんだよね」

「そりゃそうだ。堤防から釣り糸垂らして漁業とは言わんな」

「網とか引っ張るのかなぁ」

「かもな。でもあれ、高いらしいぞ。定置網」

「へー。じゃあ、気をつけないとねぇ」

 修学旅行生らしく、基本的にはグループ単位で行動することになる。自由行動の時間もあるけれど、それだってグループ単位だ。

「魚さばく体験とかもあるでしょ」

「あるな」

「おにぃはもう……」

「サクッと終わらせるわ」

「それがいいねぇ。もう有名どころはほとんど経験済みでしょ」

「まぁ。マグロはねぇな」

「スーパーで売ってるのでね」

 やっぱり、二人っきりだよな。見世物じゃないし、別に祝って欲しいわけでもない。もちろん、失敗して笑われる、同情されるなんてもってのほかだ。

 となると、タイミングだよな。そりゃあ四六時中グループでぞろぞろと動き回るわけじゃないにしても、あんまりわかりやすく「二人で話そう」なんて言えやしない。自然に誘い出せる気もしない。

「おにぃいないけど、いざ行くと楽しいんだよねぇ、修学旅行」

「そりゃそうだ」

「そっかぁ。……で、どこ見てんの?」

「どこも」

 ああいかん、考え事が忙しくて会話が適当になっていた。拗ねるまちと、それを笑う祖父母に、小さく「ごめん」と謝って、お茶を最後まで飲みきった。

 まぁ、なるようになるし、なるようにしかならない。機会があれば誘えばいいし、なかったら少しグループから離れるだけでもいい。その場で臨機応変に、必要なのは覚悟だけ。

 それから少し雑談をして、俺達は祖父母の家を後にした。

 帰り道のまちは、そんな気もそぞろな俺に目ざとく気付いて、珍しく考え込んでいる様子だった。

「……おにぃ、なんかあった?」

「あった」

「あったの?」

 なんで意外そうなんだよ。

 まちには隠し事をしない、なんて大層な理由じゃなく、どのみちこいつには話すことになるんだ。今言ったって後で言ったって変わりはない。

 ただ、誰かに――信用できる人間に宣言しておけば、覚悟ってやつも固まってくれるんじゃないか、なんて。

「なぎさに告ろうと思ってる」

「へぇ、なーちゃんに……えぇ!?」

「意外か?」

「意外というか……展開早いなぁって、思って」

 それは俺も思う。まだ出会って二ヶ月かそこらで、多分付き合うっていうほどの積み重ねは俺達にはない。

 でもやっぱり、その顔を思い浮かべれば笑みが浮かんでくる。会って話せば笑い合って、元気になれる。これは俺個人の問題でもあるけれど、何より彼女のおかげで人生が変わった。家と学校で完結していた俺の心が、外に、前に向いた。隣にいればこれからも前向きでいられるような、そんな確信すらある。そんな彼女を、どんな形であれ支えていけたら――

「おにぃに彼女が……」

「決まってねぇよ」

「そうかな? まぁ、でも、ちょっと寂しいなぁ」

「……お互い様だな」

「……そうだねぇ」

 玄関を開けて家に入り、電気を点けてリビングに。いつもの席についてテーブルに上半身を預ければ、対角に座ったまちが同じようにしてこちらを見ていた。伸ばした手に、指に、自分のそれを絡めて遊んでいる。

 俺が少しだけ置いていかれているように感じたのと同じように、まちもまたそれを感じてしまったんだろう。

 これまでずっと一緒に生きてきた人間が、自分にできなかったことをしている、しようとしている。

 そりゃあそうだよな、少し寂しく思うのも当たり前だ。

「うまくいくといいなぁ、お互い」

「そうだねぇ」

 でもやっぱり、それが自然なんだろうな。四六時中一緒にいて、何もかもを知っていて、これからもずっとそうだって方が不自然だ。不健全だ。それは依存に近い。

 絡めた指を少しだけ強く握って、そのキメの細かな温かさに、しばし浸った。

「アイドルの手、だなぁ」

「主夫の手、だね」

「なんでだよ」

 ちょっとした軽口に笑い合って。

 ああ、ちょっと離れたってこれからも変わりないんだろうなぁ、なんて思ってみるのだ。




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