予期せぬ遭遇。





 やっぱり、ライブ仕様のなぎさは雰囲気が違う。別人だと言われれば信じてしまいそうなほどで、実際初めて一緒にライブに行った時にはそこにいることさえ気付かなかった。

 大人しく楚々とした、図書館こそが似合いそうな。

 コラボ直後のライブハウス『ファミーユ』は、初めて来た時とはまるで違う様相だった。

 そりゃあいきなり数百人からを集めた、みたいなことにはならなかった。けれど、二、三十人程度が常だったはずのまちこのライブ会場は、少なくともクラスメイトの数は大きく超えているのがはっきりとわかる。倍、いやもっといるだろうか。

 決して大きな箱ではないので、百五十人ほども集めれば満員に近い。そして今回、隙間はまだまだあるものの、半ばほど壁際に立つ俺達まで人波が達するほどで。

 信じられない、というのが最初の感想。キョロキョロと辺りを見渡すなぎさも同様みたいで、その瞳は少し夢見心地に惚けている。

 コラボの効果、にしたって大きすぎる。どう考えたって多すぎる。

 コラボ配信を見てくれた人、だけじゃないんだ。その切り抜き、ショート、そこからまちこの配信や動画に飛んでくれた人達。

 それに加えて、なぎさの、『なぎ。』のファン、視聴者。

 初めて来たライブで見た顔は、当たり前のようにそこにいる。見渡せば、そんな見知った顔が俺達と同じように周りを気にしながら、その様相に戸惑っているみたいだった。

 だというのに、誰一人、そこに『なぎ。』がいることに気付かなかった。

 杞憂だった、なんて断言はできないけれど。少なくとも話しかけられず見られることもなかったなぎさが、ほっと安堵の息を漏らす様子に緊張が解れる。

「よかったな」

「うん。ちょっと声、変えるけど」

「なんで呼べばいい?」

「うーん……郡山、でいいんじゃないかな?」

「なるほど。なんか懐かしいな」

「ねー」

 いつもよりほんの少し低い声。配信用とも違う、けれど聞き取りやすい。

 最初は「郡山さん」だったっけな。たったの一ヶ月の間に、いつの間にやら「なぎさ」と呼ぶようになって、パジャマ姿まで拝めるような間柄になってしまった。

 今この場においても、「なーちゃん」の姿を知るのはごくわずか。

 周囲を見渡すような挙動をしている人よりも、むしろ気になるのは入口側をうかがっている人。入ってきた人は既に把握済みで、新たに「誰か」を探しているような。

 なんというか、わずかなヒントでも与えてはいけないような気がして。

「自然にしてる自信がなくなってきた」

「じゃあいっそ緊張してればいいよ。慣れないライブに来たからって」

「あー。ソワソワキョロキョロしてたらかえって自然な」

「それウケる。いっそ腕とか組んじゃう?」

「バレてないからって浮かれすぎだろ」

「あはは」

「ほら、笑顔とかな……郡山のまんまじゃん」

「おぉ……そりゃ盲点」

 明るく快活な、見る人を元気にする笑顔。配信だけ追いかけてた頃から、好きな顔だ。俺でもわかるくらいにおんなじ・・・・なんだから、見る人が見ればわかるに決まってる。俺よりも熱心に配信を追いかけてる人、俺よりも『なぎ。』が好きな人なんて、それこそ有り余るほどにいるんだから。

「でも笑うなって無理じゃん?」

「そりゃそうだ」

「口元に手を当てて笑うだけで印象違うかな」

「ああ、確かに。お嬢様っぽくなるな」

「おほほ」

「それはねーわ」

「あはは。お嬢様とか縁がなさすぎぃ」

 まちもお嬢様って感じじゃないし、確かに、漫画とかで見るステレオタイプの「お嬢様」くらいしか想像がつかない。それこそ「おほほ」とか「うふふ」の世界だ。

 ライブハウスに似つかわしくない、なんて言ったらそれこそ偏見に過ぎるか。ましてインディーズアイドルのライブで、それこそいかにもなオタク男子からギャル、おじさんおばさんまで様々な客層が勢揃い。

 もしもこの場にいる馴染みのない観客達がなぎさのファンだとしたら、それがなぎさの客層ってことになるのか。

 やっぱり「おっさんホイホイ」と名高い彼女のゲーム実況なだけに、三十代と思しき男女がチラホラと見える。それをおっさんおばさんと言っていいものかは迷うものがあるけれども、まぁ。ともあれ若い男女もそこそこにいて、男女比としては七対三、といったところだろうか。

 あくまでも馴染みの顔以外全てをなぎさのファンと仮定してのことではあるものの、当たらずとも遠からずというところだろう。

「知ってる顔とかない?」

「オフで交流したことはないなぁ。ファッション見る時だって、顔はみんな隠してるし」

「そうだよなぁ。まぁとりあえず、ライブ見るかぁ」

「そろそろだねー。大丈夫だよ、みんなまちこに夢中になるって」

「前向きだなぁ。さすが全肯定信者」

「まぁね!」

 褒めてねぇよ、と言いたいところだけど、まちの兄としてはありがたい存在であることに間違いはない。

 そうしてまちこのライブが始まって、最初の曲が流れていく。『まちこがれ』、まちこと言えばという入口の、アップテンポの明るい曲。

 心配もあったけれど、杞憂だった。歓声が上がり、ペンライトが光り、まちこは楽しそうに歌って踊っている。輝くステージのその眼下、うごめく影に色とりどりの光が散って。

 相も変わらず照れ臭さを拭いきれない俺は、ペンライトだけを持ってぼんやりとそれを眺めている。隣のなぎさはすっかり夢中で、リズムに乗ってペンライトを振り、大きな声で合いの手を入れる。

 やっぱり、妹だからなんだろうか。変な感慨があって、推しがどうのノリがどうのを超えて、感無量みたいな心地なんだ。アイドルのライブを見てるって気分じゃない。

 ライブはそのままつつがなく終わり、大盛況のまま物販に移っていく。

 列はこれまで見たことのないほどに長く、俺達はその最後尾について雑談しながら順番を待っていた。

「人気が出てしまう。あたしもまた有象無象の一つに埋もれていくんだな」

「杞憂が早いな。大体それこそ今更だろ」

「ま、そうかもね。でもやっぱり、なんか寂しい感は否めないなぁ」

 それこそ今更、なぎさがまちの友達になった事実はなくならない。ファンの中でも特別で、この人山の中にあっても一目で見つけてしまうだろう。

 この人数をさばくのは当然初めてのまちは、時間配分がよくわからないのだろうか、思ったよりも早く列は進んでいく。当然、かといって急に時間をかけ始めればそれまでの人の不満に繋がるだろう――そうして、あっという間に俺達の順番になった。

「お、いらっしゃーい」

「二人で大丈夫でーす」

「はいはぁい。ポーズの指定とかあるかな?」

「まちこ真ん中の三人ハートで!」

 三人ハート。俺となぎさが腕で両端の丸い部分を作り、真ん中のまちは下端のとんがりを両手で作るらしい。正直まだまだ慣れない恥ずかしさはあるが、これもまた推しと仲を深めるための儀式みたいなものだ。

 妹はこんなことで俺をバカにしたりしないし、からかったりもしない。この場において俺もまた、一人の客、ファンに過ぎないのだ。

 頬に熱さを感じながらチェキを撮り、受け取り、俺達はグッズを見て回る。なぎさにとってはほぼほぼ見慣れたラインナップで、どうやら目新しいグッズもないようで。じゃあもう帰るか、と踵を返そうとして――

「あれ、遠野くんじゃーん」

 といったところで声がかかった。振り返る先に見えるのは、俺の数少ない女友達、菊原さんだった。場所柄だろうか、らしい・・・ギャルファッションが、尚更に際立って見える。

 ……これは、ちょっとまずい気がする。とっさにグッズの方に向き直るなぎさに喝采を送りつつ、俺はどうごまかすかを必死に考えながら対応する。

「来てくれたんだ」

「うん。なぎーとコラボしてたじゃん? 歌とか聞いて、興味出たんだよねー」

「へー。どうだった?」

「いや、やべーじゃん。歌もダンスもキレッキレ。正直ここまでレベル高いって思わんかった」

「おー、そりゃよかった。まちにも伝えとく」

「そーしてそーして。で、遠野くんは……デート?」

「えっと……まぁ、そんなとこ」

「妬けちゃうなぁ。なぎさがガッカリしちゃうよー?」

 発言の意図はわかるが反応しづらい。何しろ本人が後ろに、まず間違いなく会話が聞こえる距離にいる。

「ジョーダンだってぇ。でもなんか、満更でもなさそう?」

「まぁ……推しだし」

「そっかそっかー。あ、でもあんまり続けても悪いか。ね、なんかおすすめグッズある?」

「言っても俺もライブ来たの三回目くらいだしなぁ。使わないんなら、飾りやすいのがいいんじゃない?」

「なるほど。でもそうだなぁ……キャップくらい買っとこうかなー」

 グッズの方に歩いていく菊原さんを止めようとして、けれどそれもあまりに不自然で、結局彼女はなぎさと並んでグッズを物色し始める。

 ああ、本当に、気が気じゃない。別に菊原さんにそれがなぎさだとバレたって構わない。けれどその会話の中から、周囲にそれがバレるのがまずいんだ。

 早いとこ事情を説明したら早いけれど、じゃあすぐにこの場を離れようって状況でもない。

「うーん。ね、あなたはどれがいいと思う?」

「え? えぇっとぉ……やっぱり、ベタにポスター、とか?」

「やっぱ定番もいいよねー。……てか、なんか、聞き覚えがあるというか」

「えー……気のせい、じゃ?」

「そうかなぁ……いやね、というか、さすがにこの距離ならわかるよ」

「……ですよねー」

 ああ、そりゃそうか、そりゃそうだ。知り合って間もないとはいえ、意気投合した者同士、今じゃ一番仲の良い友達だ。バレないほうがおかしい。

「なんだよごまかしてー。変装照れてんのかー?」

「いや、ちがくて。ほら、ね?」

「ね? じゃねーって」

 あれやこれやと身振り手振りでごまかそうとするけれど、やはり暖簾に腕押しというか糠に釘というか。

 俺がなんとかしなくちゃ、とスマホを取り出しラインを起動……したところで。

「そういや昨日のコラボ見たよー! なぎさ、ガッチガチだったじゃーん」

 なんて、菊原さんがなぎさの肩を叩きながら言うじゃないか。

 その声はたぶん、俺が聞こえてる以上によく響いたんだろう。物販に並ぶ幾人かが、視線をバッと二人に向けるのがわかった。

 まずい、逃げなきゃ。

 なぎさの手を取ろうとする前に、数人の男女が彼女に話しかけていた。




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