ファンの良さは君の良さ。
予想通り、彼らは『なぎ。』の視聴者で、近くに住んでいることから「ちょっと行ってみよう」ということになったらしい。
予想と違ったのは、彼らが多少のやり取りであっさりと引き下がっていったこと。サインだの撮影だの、色々と請われてなんだかんだ長引くものとばかり思っていたから、拍子抜けしてしまったくらいだ。
なぎさも同じような心地らしい、「あれー?」と首を傾げながら俺と菊原さんの方に戻ってきた。
「ごめん! 隠してたんなー」
「いやー、こっちも説明したらよかった。でも意外とあっさりでよかったぁ」
「確かに。握手もしてないんじゃない?」
「してないしてない。いいの? って思っちゃったし」
実際に視聴者に会ったのは俺が初めてだと言っていた。それだって偶然、ただの同級生としてという形だったから、「ファンに囲まれる」という経験は間違いなくこれが初めてだろう。
テレビやなんやで見るその光景は、確かにもっと色々と要求されたり対応に気を遣ったり、端から見れば少し面倒そうですらあった。
場所が場所だけに、というのもあるだろうか。誰に迷惑をかけるでもなく、なんならまちこグッズをいくつか買ってライブハウスを後にする彼らに、感心すらしてしまった。
「なにより『まちこさん素敵でした!』って言ってくれたのがもう! やばない!?」
「爆アガりしてんじゃん」
「コラボしたからにはまちこを布教すんのは使命みたいなもんだから!」
会話を重ねながら、菊原さんは結局キャップとTシャツを買っていった。
なぎさ曰く、「お詫びにこれを着て一日過ごすこと」だそうだ。
「ふつーに着れる服じゃん。全然恥ずかしくないし」
「あたしはまちこの顔が全面プリントされてても着れる」
「……まぁ、人の顔プリントも、なくはないよね」
ショッパーを持った菊原さんを伴ってライブハウスを出ると、同じようにライブ終わりの観客達が「戦利品」片手に駄弁ったりスマホを触っていたり、思い思いに過ごしていた。それを足早に通り抜け、駅に向かって歩く間にも会話は途切れることはない。
ほとんど聞き役になっていても、二人の会話は聞いてるだけでなんだか楽しい。気が合う者同士、テンポが良くて笑い声が絶えず、話題も身近だから「まったくわからない」なんてこともない。たまに話を振ってくれると、なんとかテンポだけでも崩さないよう必死なくらいで。
「こないだバーベキューやってからちょいちょい料理始めたんよねー」
「へー。どんなん作るの?」
「簡単なのばっか。お昼にチャーハンとか、あと生姜焼きも作ってみた」
「いーじゃん。あたしもやんなきゃなぁ」
「やってはいるんでしょ?」
「それこそパスタとか野菜炒めとかね。あとはもう、冷凍食品にレトルトのオンパレード」
「一人暮らしは大変だねぇ。帰ったらもうやる気でねーっしょ」
「それー。衛くんはなんでやってけるん?」
「まちがいるからだな」
「納得だわ。あたしも家にまちこがいたら頑張れる気がする」
「お前らまちちゃん好きすぎだろ」
二人で夢中で話していても、決して俺を忘れてるわけではない。
言うなれば、まちを中心に集まったメンツだ。「まちが嫌い」じゃ成立しないし、そうなったら自然と瓦解してしまいそうな関係性――けれど不思議と危うさを感じない。
「そういや衛くんに料理教わろうって、いつにするー?」
「とりあえずテスト明けじゃない?」
「そっか。再来週だよね? じゃあ、週の土日ってことで」
「え、私は?」
「来たいなら来てもいいよ? あ、もちろんなぎさがよければ」
「まぁ、衛くんが負担にならないなら」
「じゃあまた連絡ちょうだいねー」
気のせいだろうか、それでも、なぎさの顔が少しだけ曇ったのは。
菊原さんのいる手前、そんな違和感に蓋をしたまま、俺達は電車に乗り込んだ。夜の車内は空いていて、三人並んで席に座ることができた。端に座る俺の横になぎさ、その横に菊原さん。肩の触れ合うような距離で、なぎさの首が忙しそうに回っている。
教える料理は決まっていて、なぎさの要望通りのオムライス。それを伝えれば、菊原さんも嬉しそうにしてくれた。初心者にも実は向いていて、突き詰めていけばそこそこに奥が深い。教えがいの、そして覚えがいのある料理だ。
アレンジの効く料理で、いつも作るようなの以外にも色々と覚えてはいるけれど。
「当然いつものっしょー。実際食べて、もっと作りたくなったし」
「へー、そんなおいしーんだ。つか、なぎさめっちゃ仲良くなってんね」
「ねー。めっちゃ
「やっぱ妹いると色々と気配り覚えるんかね?」
「さぁ……まちが素直すぎるから、あんまり考えたことないけど」
「卵が先か鶏が先か」
「わかる。あたしは卵が先を推すね」
人の兄妹事情に随分楽しそうなことで、苦笑いが漏れる。というか、どっちが鶏でどっちが卵だ?
実際のところ、どっちが先ってことはないんだろうな。まちは物心ついた頃から素直だったし、俺は物心ついた頃からそんなまちが可愛くて仕方なかった。あるいはだからこそ、両親は仕事を早めに切り上げて戻ってきたりしなかったんだろう。そうでなければきっと、彼らもすぐさまとんぼ返りして家にいてくれたに違いない。
冗談も誇張も抜きにして、喧嘩をした記憶がない。おにぃおにぃとまとわりついてくる妹を煩わしく思ったこともないし、まちはまちで構いたがりな俺をうざがることもなかった。
なんとなく、本当になんとなくだけど、少しだけ別の道に足を踏み出したような。
ここから少しずつ、
「おーい、そろそろ降りるべー」
「あ、うん」
「うんだって、かわい」
「今までだって普通に言ってるだろ」
「どうかなー?」
「なんなん」
ワイワイと賑々しく、俺達は電車を降りて駅へと降り立つ。ライブ終わりの寂寞感も今はなく、なんとはなしにまちの顔を見たくなる。
駅近くに住んでいた菊原さんを送り届け、そのままなぎさと夜道を歩く。一人抜けるだけで一度に静かになって、会話のトーンも穏やかに。
元気にはしゃぐなぎさも、穏やかに語らうなぎさも、どっちもなぎさだ。けれど不思議と、さっきまでよりもその表情や何気ない動作まで、細かいところを見てしまう。見えてしまう。
表情をコロコロと変えて、テンポよく会話を弾ませていたのに、今はそれをほとんど変えないまま。緩く笑んで、ゆったりとした歩調で。
「ライブ、楽しめてよかったな」
「うん。あんなにたくさんの人が、みんなまちこに夢中だった」
「確かに。なぎさに会いに来たとばかり思ってたな」
「ねー。……なんて、自惚れ過ぎか」
「そうでもないだろ。十分人気配信者だろうし」
「そっか。でも、うん、よかった」
うん、うん、と二回頷いて、何かをかみ締めるように笑みを深める。
ファンに恵まれた。エンターテイメントを生業にする人にとって、それはどんなにありがたいことだろう。些細なことで批判を浴びたり嫌われたり、逆に歪んだ好意に困ったり、誰でも簡単に「意見」を表明できるからこそそういう話題に暇がない。
まちもまた然り、楽しく活動できているのならそれは、彼女らが得てきたファンの
「視聴者は配信者に似る、なんて言うもんな」
「聞いたことある」
「似る、というか、似た人が集まるんだろうけど」
「だよねー。チャット欄の空気感って、ほんと配信者ごとに違うもん」
なぎさのチャット欄は、そりゃあ煽り煽られで多少言葉遣いも荒くなることもある。けれどそれもあくまでゲームプレイに関するもので、決してトキシックなものは含まれない。基本的にはゲームを楽しくプレイするなぎさを応援するものがほとんどで、素直なリアクションをする彼女を面白がって平和に進んでいく。
素直に楽しんで、煽って煽られて、笑って泣いて。そういう彼女が好きなファン達は、やっぱりその様子を素直に楽しんで煽って煽られて、笑って泣く。
「まちのライブも同じで、なぎさと一緒に楽しみたかったんだろうなぁ」
「……そか」
「俺も楽しかったしな」
「衛くんはもっと見てあげてよねー」
「ほんとな。なんで今まで見に行ってなかったんだか……まぁ、仕事のことに口出ししない、ってのを考えすぎてたんだろうけど」
「冗談。でも、たまには一人で見に行っても楽しいと思うよ」
「機会があればな」
緩く笑んだまま、なぎさは一歩前に進み出た。気づけば彼女のマンションは目の前で、どうやらここでお別れということらしい。エントランスの灯りを背負い、振り返る彼女の表情は、少しだけ陰になって薄ぼんやりとしている。ただ、笑っている。
「ありがとね。ほんと、さいっこーの休日だったよ」
「こっちこそ。なぎさのこと、もっと推せるわ」
「……好きだねぇ」
「まぁ、迷惑なら言ってよ。控えるし」
「ううん。どんどん、推して」
「……じゃあ、そうする」
じゃあね、と最後に口にして、なぎさはマンションの中に吸い込まれるように消えていった。
一人になった夜道で、なんとはなしに空を見上げて――なんとはなしに、歩き始めた。
そういえば、まちの顔が見たかったんだよな。なんてことを思い出して、それを思い浮かべて家路を急ぐ。一人歩く夜道は途端に寂しくて、早めた足をもっと、もっとと進めていく。
明るく温かな門灯、玄関灯。リビングから漏れ出る明かりに、ほっとため息がこぼれる。駐車場には普段停まっていない車があって、それが樺沢さんが留まっていることを知らせてくれた。
もう作ったスイーツは食べ終わっただろうか。夜は遅いけど、一緒に食べるのも悪くない。
門を通り玄関を開け、リビングに向かって大声で。
「ただいま」
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