輝く世界に弾けて落として。





 アップテンポのダンスナンバー。

 十六、七くらいだろうか。同世代四人組のダンスボーカルユニットで、華麗に踊りながらもはっきりとした声量、発音で歌い上げるのは解放感あふれる青春系ポップミュージック。

 モラトリアムのもどかしさ、葛藤を、歌って踊って吹き飛ばせ。そんな意味が込められた歌だ。そしてそれはダンスにも見事に表れていて、小さな踊り出しから始まった曲は、サビから途端に疾走感を伴う。

 コールより、手拍子が似合う。

 時折メンバーが入れる「煽り」が、会場のボルテージを上げていく。

 すごいな。アイドルって言ってもいろいろだ、なんてことはわかりきった事実だったけど。それでも、ダンスホールにでも来たみたいだ。身体が自然と動く。

 ……行ったことはないけど。


 一曲目にして会場は盛り上がり切っている。そんなふうにさえ思う。

 露出が多い、動きやすそうな衣装だけど、いやらしさはまったく感じない。健康的、という印象で、染み出る汗が照明に光って笑顔を魅力的にしている。

 メンバー紹介を終え、次の曲は大胆にリズムを変えてくる。ゆらゆらと客席のテンションを操り、少しだけ落ち着いてきた曲終わりから、三曲目にはしっとりとしたバラード。

 体を揺らしながら浸れるような、穏やかな曲調に心が安らぐ。

 最後にはメンバーが全員で盛り上がる、これぞアイドルという感じの看板曲。ソロのダンスパートがあり、メンバーがそれぞれアピールタイムのようにその技巧を見せつける。

 そして一糸乱れぬ統率でラスサビを踊り切り、フィニッシュ。荒い息をつきながらポーズを決める四人に、盛大な歓声と拍手が注がれる。

「やばぁ、レベル高!」

「な! 初手これとか、テンション上がるわ!」

 手を叩きながら、ステージを去っていく四人を見送る。

 正直に言うと、ここまでとは思っていなかった。

 学芸会レベルだなんて思ってたわけじゃない。でも、まちを知るためにといくつか見た動画では、歌だってダンスだって、部活レベルを大きくは超えていなかったように思う。

 でも、これは違った。暗転したステージの上、スタッフが動き回っているけれど、ざわめきは収まることがない。

 アイドルの対バンライブは、こういう「転換時間」みたいなものがないことも多いらしい。オケを流して歌って踊る、というスタイルのため、機材等をステージに置く必要がないからだ。

 けれど今回は、あえてこの時間を設けたらしい。さっきのグループが、MCの中で言っていた。

 毛色が違うアイドルを集めたから、温度差で風邪を引きかねない――とかなんとか。引き際に「お大事にー」なんて言うから、会場に笑いが起こった。

 転換時間、というよりは幕間、あるいは休憩時間。ざわめきが徐々に小さくなり、せっかくブチ上げた・・・・・テンションも少しずつ収まっていく。

「……ハードル高いね」

「だね。でも、やってくれるよ」

「だよね。はっきり言って、歌に関して言えばレベチなんだから」

 そうだ。まちはきっとこれを乗り越える。

 この様子を見ればはっきりとわかる。主催はきっと、大きな相乗効果よりも、定着してくれる客を増やしたいんだ。それぞれがそれぞれに勝手に盛り上げてくれ、盛り上げられないならそれまでだ、とでも言わんばかりの意図さえ感じる。

 ニュートラルな評価、とでも言えばいいのか。他人に上げてもらったボルテージで得た客が、果たして定着するか否か。

 そして何より、そんな意図で集めたのであれば、その実力を大いに認めているはずだ、ということ。

 薄暗がりの中、ステージ上から人気ひとけが消える。

 ざわめきが消える。音が消える。

 買ったばかりのサマーカーディガン。その袖を、小さく引っ張られた。ステージを見つめるなぎさが、二つの指でそれを摘んでいる。

 俺はそれをそのままにして、ステージに向き直った。


 地味な色のピンスポットライト。

 一人ステージに立つ少女。見慣れた黒い髪。スマートなシルエットのセーラーワンピース。レースアップブーツ。

 瞳を閉じて俯きがちに。マイクをゆったりとした動作で持ち上げて、胸に手を当てて。

 その瞳が、開く。

 広がる音に、震えた。

 身体が、脳が。ステージが、客席が。空気が。

 『まちこがれ』、『Thank you Any』に続くオリジナル曲の三つ目。タイムテーブルにあった曲名は、『私に憑物』。

 己の内に棲まう得体の知れない衝動を歌ったバラード。大人しい清楚な少女の、叫び出したいほどの狂気的な鬱憤。殻を破り暴れ出すまでの一幕。

 その歌い出しは「お願い、私の中の私、食って破って出ておいで」。

 卵の中、新たな生命がそこにくちばしを突き立てるような、力強い発声で。

 一転、メロに入ると清楚な少女の穏やかな日常が広がる。

 背筋に氷針が走る。粟立ち、総毛立ち、鳥肌が立った。

 さっきのグループだって十分上手かった。歓声を上げるくらい、歓声が上がるくらい、みんなそれに夢中になったはずなのに。

 ああでも、きっと違う。これはきっと、俺だけの感覚だ。隣でうっとりと聞き入るなぎさにも、他の誰にもわからない。

 ――さっきの、誰だ?

 俺は誰よりもまちを知っている。誰より知っているまちが、今はステージの上で歌っている。でもあの一瞬、彼女を見失った。

 Bメロに入ると、少女の内側に異変が生じる。スカートから入る隙間風が、背をくすぐる長い髪が、全部煩わしくて仕方ない。少女の中に何かがいて、ここから出せと叫んでいる。

 そして一瞬の静けさの後、サビへと入れば。

 予想に反して、想像を超えて、澄んだ音で生まれて落ちた。

 まちじゃない何か。俺の知らないまちの顔。

 ダンスはなく、多少の身振り手振りのみ。歌は澄み渡るように、けれど十分な重みを伴って。それはたぶん、歌手と呼べるレベルに達しているのかも知れない。客席が一様に聞き入って、惚けるようにステージを見上げてしまうくらいに。

 袖を引っ張る感触に、思わず手を重ねてしまう。けれど隣の少女は、それを一顧だにしない。

 ラスサビで少女は「憑物」を飲み込んで一つになる。暴れ出したいほどの衝動も、狂おしいほどの激情も、飲み下してしまえば何のこともない。少女は少女らしく、大人しく清楚に、爽やかに。

 誰にでもある、から外れてみたいという欲求。特に青春時代には「つきもの」で。それも「らしさ」だ、と結んで曲は終わった。

 静寂の後、歓声がまちに注がれた。マイクを持ってそれに応えるまちの顔は、前に見た『machico』の笑顔そのままだ。


「ありがとぉー! 一曲目、オリジナルの、『私に憑物』でした!」

 歓声が止み、MCの時間。

「この曲はねー、別に私とは何の関係もないんだよねー」

 えぇ、と会場が困惑に包まれる。あるいは「ズコー」とでも言わんばかりの、ちょっととぼけた。

「私の音源を聞いた作詞の人が、イメージを膨らませたんだって。すごいよねぇ」

 まるで他人事、かすかに笑いが起こった。

「はじめましての人が多いかな? ソロで活動してます、『machico』でーす!」

 ここでようやくの自己紹介、拍手と歓声が温かく上がる。浮かれたような笑顔のなぎさも、ぴょんぴょんと小さく跳ねながら手を叩いている。掴まれていた袖が、少しだけ寂しい。

「普段は『ファミーユ』で活動してるので、よかったら見に来てねー」

 フランス語で『家族』を意味するらしいそれは、俺が初めて見に行ったライブハウスの名前だ。

 それにしても、大人数を前にしても実に堂々としたもので、まちの表情に気負いは見られない。身体もいい感じにリラックスできているし、声もよく通る。

 すごいなぁ、俺の妹。

 最初のライブだってすごかったけど、今日はとびきりだ。

 今までの二曲とあまりにも毛色の違う『私に憑物』が、脳裏にこびりついて離れない。まちが遠くへ行ってしまった、なんてもんじゃない。そこにまちはいなかった。

 出たり消えたり、夢幻のような。まちを知ってる俺だけの感覚。なんか、癖になりそうだ。

「はぁ、すごかった。あたしライブでこれ聞くの二回目だけど、ほんとエグい」

「俺初めて。なんか鳥肌止まらん」

「ねー。ギャップヤバすぎ。一曲目から『憑物』とか、ほんとガッチリ掴みにいってるよねー」

「客、増えるかねぇ」

「増えるっしょー。みんな歓声も拍手もなしに聞き入ってたじゃん」

 確かに、演奏中聞こえていたのはまちの声だけ。バラードだからかコールはもちろん、手拍子もなかった。周りに見える範囲には、誰一人まちから気を逸らしていなかったように思う。

「次はカバーだね。構成的には、徐々に盛り上げて『Thank you Any』で締める感じ?」

「わかりやすいね。でも、初手バラードは結構思い切ってる気もするけど」

「あれは別でしょー。盛り上がるバラードだよ」

 前のグループがわかりやすく「アゲて」来たから、そういうものだと思っていた。実際効果的ではあったわけだし、俺達もテンションが上がって自然と身体が動いたくらいだ。

「……でも、やっぱり」

 寂しげに微笑むなぎさ。まちのトークはそろそろ終わり、二曲目に入る。

 三曲目、『まちこがれ』、四曲目、『Thank you Any』。締めのトークまで――


「最後に一言! おにぃ、大好きだよ!」


 ――おにぃへの言及はなかったのに。なんで最後に、特大の爆弾を落とすんだよ。ほら、会場がざわついてるじゃねぇか。

 どうすんだこの空気、の中、何分の一かのわずかな客が、手を叩いて喜んでいた。

 隣のなぎさも、もちろん。



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