妹はライブ前。




 デートからの帰宅後、まちはリビングのソファで溶けていた。

 仰向けになって左手と左足を床に垂らして、右手を頭上に右足をまっすぐに。寝てるのかなと思いきや、俺が声を掛けると勢いよく起き上がるもんだから、思わず一歩引いてしまった。

 少し乱れた髪をいそいそと直してから、ふにゃりと笑う。

「おかえりぃ」

「た、だいま。昼、食べたか?」

「うん」

 立ち上がってワンピースの裾を直し、スリッパを履いて俺の前に立つ。

 なぎさより頭一つ大きい、俺と変わらない目線。

「楽しかった?」

「楽しかった。まちの行ってる店教えたら、めっちゃ喜んでたよ」

「ほう。じゃあ、なーちゃんが着てくる服も変わったりするのかなぁ」

「鋭いな」

「へへ。明日、楽しみにしとこぉ」

 俺が、まちが今のところ持っていないけれど選びそう、という基準で選んだ服だ。まち本人からどんな評価を得られるかは、正直少し気になっている。何より、それがなぎさに似合っているか。

 まちは自称するほどのブラコンだけど、女の子とデートに行ったからと嫉妬するタイプのそれじゃない。デートの経験はなかったにしろ、これまでだって何度かくらいは女の子の家に遊びに行ったこともある。……小学生の頃だけども。

 なんなら、それを面白がるような素振りさえ見せるものだから、最初の頃は拍子抜けしたんだっけ。

「ちゃんと休めてるか?」

「だらーんとしてた。緊張はしてるけど、大丈夫」

「よし。じゃあ俺、荷物部屋に置いてくるから」

「はぁい」

 リビングを出て階段へ。登っている途中、後ろから足音が聞こえていることに気づいて。

「……緊張してるんだな」

「うん」

「まぁ、飯までちょっと遊ぶか」

「わぁい」

 午後四時。今日の夕食は少しだけ豪勢にするつもりだけど、それでも一時間もあれば十分だ。


 まちの緊張は解けないけれど、それはそれでいいんだと彼女は言った。

 大きなイベントの前の緊張感なんてものは、この先一生付き合っていくものだ。心に緊張を、身体にリラックスを。だから、それが一番大事なことなんだ、というふうに。

 緊張するようなイベントとは無縁の俺は、ああやっぱりまちの方が大人だなぁと思ってしまう。いつもは甘えん坊でかわいらしいまちでも、きっと土壇場になれば、俺よりずっと頼りになるんだ。

 セットリストセトリ、歌詞、振り付け、動線、その他諸々。確認すべきことはいろいろあるけれど、それはこれまでのレッスンやライブで散々やってきたことだ。新曲でもあれば話は別だけど、今回はそれもなし。であれば、前日に焦ってやっても、飛ぶ時は飛ぶ。

 とにかくひたすらコンディションを整える。今日のまちは、それだけに注力しているらしい。

「だから、いつもよりベタベタしてくるのか」

「うん」

 夕食を終えたリビングで、ソファに座る俺の膝に乗ったまちの脚を、なんとなくさすってみる。

「せくはら?」

「お嬢ちゃん脚すべすべだねぇ」

「いやぁ」

 割と本気な「嫌」に多少凹みはするけれど、それでも脚を退けようとしないのがまちという生き物だ。

「脱毛したんだっけ」

「うん。おじいちゃんについてきてもらった」

「そっか。未成年だと保護者の同意みたいなのがいるのか」

「みたいだねぇ」

 そういう時ばあちゃんじゃない辺り、本当家族に対して性別の壁がなさすぎる。

 ちなみに、両親が後見人として家裁にどうのこうので、諸々の手続きは祖父母ができるようになっている……らしい。難しいことはよくわからないが、とにかく難しいことがあったら彼らに相談することにしている。

「全身?」

「うん。全部つるっつる」

「はえー」

 引き続き脚を撫でても、やっぱりまちは嫌がらない。

「ほどよくハリがあって、かといってガチガチに固まってるわけでもない」

「いい仕上がりですなぁ」

「明日が楽しみですなぁ」

「がんばるよぉ」

 それからなぎのアーカイブを見終えるまでまちと戯れてからそれぞれ風呂に入り、そろって夜食のスイーツを楽しみ、床に就く。

 いよいよライブ本番。まちよりもかえって緊張してしまう俺は、電気が消えた後もしばらくベッドの上でぼうっと過ごし、未明に眠りに落ちたのだった。



 翌日、午前中はまったりと過ごし、まちは昼食から二時間ほどで出かけていった。ステージや照明、その他機材の確認であったりリハーサルであったり、当日はやることが山積みらしい。特に今回、まちはお世話になる・・・・・・側、つまり立場が下ということで、遅刻なんてのは言語道断。早めに入ってスタッフに挨拶回りするくらいがちょうどいい、ということらしい。あんまり早すぎても迷惑なので、そこは様子を見つつで。

 俺はといえば、昨夜に引き続きなぎのアーカイブを消化して時間を潰した。配信頻度はそこそこに高く、一度見逃せば数時間分が溜まってしまう。

 やっぱり以前とは、見方が変わってしまう。見え方が違う。

 ちょっとした仕草。笑い方。目の前に見たなぎさと、画面越しに見る『なぎ。』では、やっぱりちょっと違って見える。そこに嘘はないにしても、多少の誇張というか、演技がないでもないのかな。

 優越感とか誇らしさとか、そういうのがやっぱり大きい。けれど、ほんの少しだけ、寂しい気持ちもあったりする。厄介ファンの仲間入りかなぁ――なんて、少し感傷的にもなってみたり。

 なぎさも、同じような気持ちを抱くんだろうか。まちのプライベートを知ってしまったばかりに、なんて。

 それにしても楽しい配信。時間はあっという間に過ぎて、夕食後。

 俺は電車に乗って待ち合わせ場所に向かった。昨日の繁華街から、地下鉄に乗って二駅。出口を出てすぐの信号周辺に、ちょっとした銅像がある。

 その横に、周りを見渡しながらしきりにスマホを確認する少女の姿。黒のストレートロング、黒のフリルフレアワンピース。小さなダイヤがあしらわれたピンクゴールドのネックレスに、耳には花のピアス。小さなベージュのショルダーバッグが、色味のバランスを少しだけ調えて。

 目が合うと、柔らかく微笑む。笑い方までファッションに合わせてるのか、あるいは入り込んでる・・・・・・のか。いずれにしても、ずいぶん印象の違う。

「おまたせ」

「ううん。楽しみすぎて、早く着いちゃった」

「やっぱかわいい。印象変わるね」

「ありがとー。衛くんも、似合ってるよ」

 俺も着てきた、なぎさに選んでもらったサマーカーディガンとブレスレット。

「じゃ、いこっか」

「うん。なんか、二回目だけど妹のライブってめっちゃ緊張するわ」

「あはは。大丈夫だよ、パフォーマンス失敗したこと、ほとんどないんだから」

「そうなん?」

「すごいんだよ、まちこは。めちゃくちゃ努力してるって、見てるだけで伝わってくるもん」

「そっか。じゃあ、楽しみだけで」

「うんうん。人多い箱って、実はあたしもあんまり行ったことなくてー」

 今夜のライブハウスは、この地下鉄の駅から歩いて五分ほどの場所にあるらしい。繁華街からほど近く、けれど人通りはそこそこ程度。いわゆるサブカルの街、みたいな位置づけらしく、道行く人が心なしかおしゃれに見えてくる。

 もちろんサブカルと一口に言ってもいろいろで、いわゆるオタクの街だってその一種だ。いやでもどうだろう、最近のオタクは結構おしゃれだとも言うし……

 にこにこと話を盛り上げてくれるなぎさに、ところどころ相槌を打ちながら歩く。少なくともこの子を連れ歩いて、バカにされることはないだろう。釣り合う釣り合わないは置いといて、素直に笑い合える関係であることが誇らしい。

 そのライブハウスもやっぱり地下で、階段を降りた先の扉を開けると、薄暗い空間が広がっている。また階段を降りて、受付を済ませて、受け取ったドリンクチケットで飲み物を交換。前回はなかったけれど、対バンライブだからと「目当てのアイドル」を聞かれた。当然、二人して答えは『machico』だ。

 すでにステージ前には多くの人が集まっていて、この時点で前回のライブを超える人数であることがはっきりとわかった。

 出演アイドルはまちを含めて四組。一組当たりの持ち時間はおよそ二十から三十分。立場の弱いまちは最短の二十分程度だ。

 順番は二つ目。前座扱い、というわけではないらしい。

「賑わってるねー」

「ね。まだ増えるんだよね」

「だろうねぇ。前の方、とっとく?」

「なぎさがよければ、壁際の方が」

「じゃ、そーしよ。真ん中ちょっと前よりがおすすめ」

「おー」

 飲み物を持って、ステージに向かって左側の壁際。真ん中辺りから、少しステージ寄りに。

 時間が進み、続々と観客がフロアを埋めていく。もう数えるのが億劫なくらいで、既に言われていた百人は超えているように見える。そりゃそうか、あくまで「確実に超える」ラインであって、それで終わるわけがない。何より「百人は集められるメンツ」ってのは、四組の合計を言っていたわけじゃないってことだ。

 結局どのアイドルを指してそう言っていたのかはわからないけど、この様子だとこの倍、二百はゆうに超えそうな勢いを感じる。

「見える?」

「見える見える。いざとなったらおぶってもらう」

「マジか」

「まちこだけは、まちこだけはそこまでしても見る」

「……まぁ、そういうことなら、いざとなったらね」

 ならないことを祈る。いろんな意味で、おんぶはまずい。

「にしても、ほんとどんどん増えるなぁ」

「やばぁ。ここまではほんと初めてかも」

「メジャーアイドルとかは行かないんだ?」

「行かないなぁ」

 でも、気持ちは少しわかる。広めのライブハウスではあるけれど、やっぱりステージが近い。そして前回のライブを見ていて思ったのが、パフォーマンス自体が客に近い、というか寄り添っている。本当に目の前にいる人を相手にしている、と言ったらいいのか。

 ドームだのなんだの、数千人を相手にするアイドルじゃあ、そうはいかない。

「あ、そろそろ」

「グラス戻してくるわ」

「ありがとぉ」

 差し出した手でグラスを受け取り、カウンターに返す。

 そしてなぎさのいる壁際に戻った時、照明が落とされた。暗くなったフロアが、にわかに浮き立つのを感じる。ざわめきが収まり、数百人が一斉に静まり返る。なのに、フロア全体が興奮に包まれているような。

 トップバッターは俺の知らないアイドル。言っちゃ悪いが、興味もなかったくらいの。

 けれどこの空気の中にいると、期待感が高まってくる。何かいいものが見られるような、いいものを見せてくれそうな。

 アニメとかで見る、その時・・・を待つ心音の演出。あれが現実になったみたいだ。

 照明が灯る。音が鳴る。

 ステージに立つ四人の少女。それぞれにポーズを取って。





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