デートの締めは。





 俺達がそれぞれ頼んだのは、モンスターの色をイメージした飲み物たち。

 青いドラゴン型のモンスターは、ブルーキュラソーとかいうノンアルコールカクテルにカルピスやソーダを加えたアレンジレシピ。カルピスの白味が青を柔らかくしていて、モデルになったドラゴンのかわいらしさを表してる……ような気がする。

 赤い狼型のモンスターはアセロラジュース。果汁百パーセントのものを紅茶で割って、少しだけの砂糖で味付けたもの。透き通った赤が、彼の純粋さを……いや、適当言ってるだけだけど。

「ブルドー、おいしい?」

「うまい。なんか、オレンジカルピスって感じ」

「あー、おいしそー。こっちなんか、すごい上品」

「結構鮮やかな赤だけど、意外かも」

「飲む?」

「じゃあこっちも」

 自分のストローを抜き取ってグラスを交換、一口飲んで見れば確かに。

 アセロラの酸味をほのかな甘味が和らげて、紅茶の優しい香りが鼻に抜ける。フレーバーティーほどには紅茶を感じないけれど、それでも確かな存在感。

 ブルドー……ブルードラゴン、つまり俺の渡したブルーキュラソーを少し口の中で転がして、それを飲み込んだなぎさは、グラスをまじまじと見る。

「あたしはこっちかも」

「じゃあ、このままでいいよ」

「ほんと? ありがとぉ」

 途中で交換することに忌避感はないか、とは思ったものの、最初に「飲む?」と聞いたのはなぎさだ。気にしていないふりをして、続きを飲みにかかった。

「さっぱりする」

「落ち着く」

「あはは。なんか、キャラに合ってる感じ?」

「落ち着く?」

「うん。すごい、大らかというか。ほんと、何一つ文句が出てこないよね」

「文句言うとこなかったと思うけど……まぁ、なぎさもほら、さっぱりしてて話しやすいからさ」

「おー。ほんとに素直に褒めてくれる」

「おにぃ語録?」

「おにぃ語録」

 正直、そんな名言めいたことを言った自覚は一切ない。

 実際、物販に置いてあったんだ。小さなメモ帳ではあったけれど、それでも数十ページはあるはずだ。何気ない日常の一言一言を、大事にしてくれてる――そう思うと、まちのことがなおさら好きになったんだっけ。

「配信でも役立ってるんだよー」

「うそぉ?」

「ほんと。あたし、子供の頃はもう少しひねくれてたし」

「へぇ……意外」

「だからかもね。まちこに惹かれたのも」

「なるほどなぁ」

 まちは素直な子だ。そりゃあ疲れても意地を張ったりはするけれど、特に「好き」にはまっすぐだ。

 そんなふうに育ってくれたことが誇らしくて、だから俺もとは思っている。いや、どっちが先だったっけ……覚えてないな。

「大丈夫。どんなライブでも、他界はないから」

「……他界?」

「推しをやめること! ありえないから、だいじょーぶ」

「そっか。ありがとね」

「推させてくれてありがとうの気持ちだからねー」

 本当、ちょっと不思議なくらいに良いファンだ。

 思わずその顔を見つめてしまったのをごまかすように、落ち着くアセロラジュースを口にする。酸味と甘味、優しい香り。なぎさは「こっちじゃない」って言ったけど、こっちだって十分にあってる。

 同じようにしてブルドーを飲むなぎさ。ストローを青が登っていくと、氷がカランと涼し気な音を立てた。

「次、どこ行く?」

「まちがよく買ってるアクセサリーでも見に行くか」

「わぁ。お金、足りるかなぁ」

「別に買わんでも」

「今日は予算いっぱいなの! 赤字覚悟なんだから」

 すごい情熱を感じる。

 今日見ているのは、いわばまちこのプライベート。普段のライブや配信では知られない部分。確かに推しとしちゃあ、見逃せないチャンスではあるのかも知れない。

 ……ふと思う。俺が今まさに、そうじゃないか。

 推しのプライベートに、今まさに触れている。好みの服、アクセサリー、そして飲食物まで。そう思うと、なんだかやっぱり意識してしまう。

 ゆったりとした印象でも、決してだらしなくは見えない。「ギャルらしい」を、どうにかうまく表現する言葉はないものかと探してみるけれど、やっぱり見当たらなくて。

「……推しのプライベートって、やっぱり、特別感あるよね」

 素直な言葉が、口をついて出た。

「だよねー。まちこのよく行くショップとか、配信でも聞いたことなかったぁ」

 けれど俺の意図に、なぎさは気づいた様子もなく楽しそうだ。なんとなく安堵してしまう。

「あとはコスメでも見るか」

「そこまで知ってるの!? すごない!?」

「や、まぁ、せっかくここまで来たら一通り揃えるってなるからさ」

「なる。でもやっぱ、まちことはいっぱいデートしてるんだね」

「まぁ兄妹だしなぁ」

「尊ぇなぁ」

 いや、言い訳にしたってあんまりなことはよくわかってるよ。だからその生温かな目をやめてくれ。

 ごまかすように口にしたストローは、ほんの一口のアセロラジュースを喉に運んだ後、乾いた音を立てて氷を転がした。


 予定通りのアクセサリーショップ、それからコスメショップ。どちらもやっぱり、アパレルと同じようにガーリー系やフェミニン系を主に取り扱う店だ。

 予算いっぱい、とは言ったものの、すでに出費は三万円近く。学生には重すぎる金額だ。なのでどちらも値段のかさみがちな物を避け、比較的安価な物で妥協した。

 まち自身は穴を開けていないから持っていないけど、小さな花があしらわれたピアスを。それから薄いピンクのアイシャドウ。

 それからコスメショップを出て昼食を食べるレストランへの移動中。

「ピアス、開いてたんだ」

「うん。普段は結構シンプルなのが多いなぁ」

「学校、大丈夫だっけ」

「意外と緩いんだよぉ。だってこの髪大丈夫なんだよ?」

「……おぉ、そういえば」

 ピアスもダメ、みたいな厳しい学校じゃ、そもそも明るい色の髪自体がアウトに決まってる。なんで気づかなかったんだろう。周りにあんまりこういうタイプがいなかったから、校則の緩さにさえ気づいていなかった。

「ね、お昼食べたら衛くんの服も買お? アクセでもいいし」

「確かに、せっかくの機会だしなぁ」

「うんうん。あたしがコーデしたげるよ」

「マジで? あ、でも」

「もちろん、高くならないようにね」

「たすかる」

 そりゃあ金はそこそこに持ってはいるけれど、だからといってガンガン使っていいわけでもない。それでもやっぱり、せっかくの機会であることも確かで――今日ばかりは俺も大奮発すべきかと、一人気を奮わせてみたりもするけれど。

 気の遣えるギャルは、明るい顔で「だいじょーぶ」と笑うんだ。

「あたしの好みでいい?」

「むしろその方がいい」

「っし。じゃあ、さっさとお昼食べちゃおー」

「おう」

 少しばかり遅くなってしまったのもあり、腹が減って仕方ない。近場のイタリアンレストランに入った俺達は、それなりの量をぺろりと平らげてさっさと店を出た。



 それから予定通り俺の服と、それからアクセサリーを一つだけ買った。透かし編みのサマーカーディガンと、シルバーのシンプルなブレスレット。どちらも安く、合わせて一万円以内也。

 特にアクセサリーなんて、普段買うことがないからちょっと新鮮だ。

 店を出て、ちょっとした広場のベンチに座った俺達は、荷物を置いて一息入れていた。

「やっぱりちょっと、気分上がるかも」

「でしょー? ワンポイントサラッとつけてると、いい感じ」

「サラッと、ってのが難易度高そう」

「ふつーでいいんだって。何なら今、つけてみようよ」

「今? 合う?」

「合う合う。今だって別に、ダサいってわけじゃないんだから」

 シンプルなシャツ。おもむろに腕を取ったなぎさが、その袖を少しだけ捲る。

 まちとは違って、意外にも距離感はしっかりしてる印象だったけど、少しだけ気を許してくれたんだろうか。その柔らかな手つきに、ちょっと頬が熱くなる。もう片方も捲って、紙袋から、買ったばかりのアクセサリーが入った箱を取り出した。

 箱から出したブレスレットを、左手首に優しくつけてくれた。初めてつけたアクセサリー。思わずまじまじと見てしまう俺に、なぎさは微笑んで言う。

「似合ってるよ」

「……ありがとう」

「よき」

 慣れない感触、推しの笑顔。

 お互い散財してしまったけれど、なんだかもう満足してしまって、ふとため息がこぼれた。

「そろそろ、帰ろっか」

「だねぇ。明日は大事なライブだし」

「せっかくだし、俺、今日買った服で行こうかな」

「いーねー。あたしもじゃあ、そーしよ」

「ウィッグにアレ着たら、ほんとまちこスタイルだな」

「アガるー」

 立ち上がって、駅に向かって歩き出す。

 会話はところどころ途切れたりもしたけれど、それでも決して気まずくはならない。彼女の持つおおらかな空気感のおかげか、楽しげな笑みのおかげか。

 電車内でも同じように、話しては黙って、また話して。移動時間も立派なデートで、楽しいもんだ。



 まだまだ明るい時間ではあるけれど、先になぎさを家に送り届けた。同じ町の、少し離れた小さなマンション。どうやら配信オーケーの、防音がしっかりした物件らしい。

 扉前の階段で、一段だけ登ったなぎさが振り返る。電車内で分別した紙袋を右手で持って、日差しを受けて明るく笑った。

「今日、ありがとね。楽しかった」

「俺も。また行こう」

「うん。ちょっとこっち」

 手招きするなぎさに首を傾げながら、一歩だけ彼女に近寄れば。

 左手で俺の前髪を分けて、顔を近づけてくる。思考が止まりそうな俺は、身動きも取れずそれを受け入れて――

 こつん、額が合わさる。

 白黒させる目のすぐ前に、なぎさの瞳がある。息遣いを感じる。薄く微笑むような、空気感。

「またね」

「……うん、また」

 ぱっと離れて、またにこり。手を振って、なぎさはマンションに吸い込まれていった。

 心臓が暴れて抑えの効かない俺は、それからしばらく、その場に立ち尽くしていた。




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