推しが推してるアイドルは。
ゴールデンウィークが近い。それまでにやるべきライブはすべて終わり、あとは対バンライブを待つばかりだ。まちのコンディションに問題はなく、今までになく意気込んでいる彼女は、いつも以上に食べていつも以上によく眠った。レッスンも、きっと佳境に入っていることだろう。
その分、食事のカロリーも少しばかり高くした。タンパク質を中心に、栄養バランスを素人ながらに極力考えて。夜食のスイーツはお腹に優しく、それでも心安らぐものであるように。
普段より気を遣っているけれど、普段より疲れるわけでもない。頑張っているまちを支えているという自負と、それを素直に喜んでくれる姿が何より励みになる。
そんなやりがいももちろん、推しの配信も十分な支えになっている。
新しく始めたゲームは、数年前に発売されたアクションRPG。いわゆる死にゲーと呼ばれる高難度のゲームで、ボスに限らずそこらの雑魚敵に至るまで、気の抜けない戦闘の連続。何度も死んで何度も挑戦して、少しずつでもうまくなっているという実感が醍醐味らしい。俺自身はあまり手を出さないジャンルで、それでもやっぱり『なぎ。』は楽しそうに死んでは楽しそうに挑みかかっていく。
まちが寝たのを確認して、アーカイブを見る。
まちこを支えるという俺を、心から応援してくれているらしい。何より、まちこを。
――けれどここ何日か、考え込むことが増えている。心ここに在らずというか、授業が終わったあと声をかけると、反応がないことがあるんだ。
「なぎさ?」
「……え?」
二度目の声かけでようやく、なぎさは俺の方に顔だけを向けた。
「授業終わったよ?」
「あ、うん。次移動教室なんだっけ」
「そう。行こう」
「ありがと。やー、五月病ってやつかな」
「そうは見えないけどなぁ」
音楽の教科書とペンケースを持って、俺達は移動を始める。
一般教室棟から特別教室棟までそう距離があるわけでもないけれど、ギリギリで行く意味もない。もうほとんどのクラスメイトは移動したあとで、俺達はほとんど最後尾。賑々しい廊下を二人で歩くと、その会話の中身も拾えない
「気になることでもあんの?」
「うーん……まぁ、衛くんなら言ってもいいか」
「つまり、まちこのこと?」
「うん。ライブ行ってるんだけどさ」
「毎週な。喜んでたじゃん」
「そうなんだけどさぁ……ほら、対バンって言ってたじゃん」
「そうだな。久々らしいな」
具体的に、と言われると覚えてないけれど、ある程度の客を掴むまでのほんのわずかな期間。それ以降は全部をソロライブでやって、固定客だけでなんとかやりくりをしていた。
「だからつまり、その」
「……俺か?」
ソロと対バンライブの違い。その中で一番の変化を挙げれば、それが真っ先に来るだろう。
「そう! そうなの。準備期間って言ってたから、そのための練習ライブみたいな背景があるっていうのは、わかってるつもりなんだけど」
「いや、でもそれは」
「わかるんだけどさぁ。おにぃの話をするまちこに、あたしは惚れたんだよー」
「……わからんなぁ」
「好きなものを素直に語ってる人は、キラッキラしてるじゃん」
「あー……まぁ、そういうことなら」
ゲームを語る、ゲームキャラを語る『なぎ。』は、かわいい。つまるところそういうことだ。
アイドルがひたすらに男兄弟の話でのろける。アイドルと言えば男のファンが多く、だから男の話は忌避される。その認識とのギャップが、なぎさの語るシンプルな回答を遠ざけるんだ。
でも、どこの誰でもやってることだと思うんだよなぁ。自分の好きを発信する、なんてのは、配信だの芸能だのの基本中の基本、みたいな気がする。
「まぁ、理屈じゃないんだよなー。初めて配信見た時、ビビッと来たんだ。頭の中『かわいい』一色だよ」
「別に、俺の話をまったく出さないわけじゃないんだろ?」
「うん。でも、抑えてるのが見てわかる。話を抑えるのは仕方ないにしても、態度まで抑えなくていいのに」
「いや、そっちも抑えないとダメなんじゃないか?」
「そっち抑えたら、結局意味なくない?」
「……確かに」
売れた時にも俺の話ができるように、対バンでも小出しにしていく。それなら、せめて態度だけでも今まで通りじゃなきゃ、「そういうキャラ」であることが新規のお客さんに伝わらない。そういうことだ。
難しいな。適当なバランスを探るってまちは言ってたけど、固定客の一人であるなぎさは、今こうして落ち込むくらいに気にしてしまっている。
つまり、
実際のファンの声は、やっぱり響く。
「あーでもやっぱり、まちこには売れて欲しいしぃ」
「難しいなぁ」
「ほんとむずい。『コランダム』よりむずいわ」
「比べるとこじゃねーよ」
コランダム、というのが、現在『なぎ。』の配信で進行中のゲームタイトルだ。何度も死んで何度も挑むくっそ重たいテーマのゲームだから、「おにぃ」の話と比べられるとどうも、むず痒い。
「なぎさ以外のお客さんも、そんな感じ?」
「とーぜん。みんな寂しそうだよ」
「そっかぁ。初手から間違ってたってことなんかなぁ」
「ないわー」
初手、つまり売り出し方。最初から兄萌え系なんてものには無理があった。
そんな俺の意見を、なぎさは冷たい目で却下した。
「歌もうまいしダンスもうまいし、でも、そんな子いくらでもいるよ」
「いや、でも」
「何よりあたしがアガんないんだもん! しゃーなし」
「しゃーなしかぁ?」
結局なぎさの言う通り、理屈じゃないってことなんだろう。
歌もダンスも、地下レベルを完全に逸脱してる。それだけで十分売れるくらいだと思う。
「まちこは歌手でもダンサーでもなくて、アイドルなんだよ」
「……ほう」
「音痴ってレベルのトップアイドルだっているんだよ。運動音痴のトップアイドルもいるんだよ」
「なるほど。そういうことなら」
アイドルに必要なものは、歌とダンスじゃない、ってことだ。
「かわいいは正義……昔の人はいいことを言った」
「かわいいぞ?」
「けど! かわいいけど! わかれよ」
わかってて言ってんだよ。
ともあれなぎさの言いたいことはわかる。要するに、『可愛い』は『愛せる』ってことだ。グダグダと細かい理屈をこねるより、とにかくかわいいを追求することこそアイドルの正道。
難儀なのは、それが人によって定義の異なること。でも、少なくともなぎさにとってそれは、『好き』を語るまちこにこそあるってことだ。
「それはまちに伝えた方がいいんかな?」
「……それはナシ」
「ナシかぁ」
ファンの貴重な声ではあるけれど、本人がそう言うんなら仕方ない。
プロデューサー気取りのファンにはなりたくない、という気持ちは大いにわかる。俺がまちの仕事に口出ししてこなかった理由の一つでもある。
ともあれ教室の移動が終わり、クラスメイト達で賑わう音楽室。机はなく、椅子だけが整然と並べられていて、座る位置は特に指定されていない。なので、話しながらの流れのまま、後方隅に並んで腰掛けた。
「もやもやはするけど、でも、まちこの『大きくなりたい』って気持ちは伝わってくるんだよね」
「まぁ、今までになく張り切ってはいるな」
「それ自体は、すっごくいいと思う。なんなら、それだけでぎゅぅってなるくらい、かわいい」
「なんでもアリじゃねぇか」
「そういう方向性で推すのも……いやでも……」
真剣に悩み始めるなぎさを見て、苦笑いが漏れる。
まちこに求めるだけでなく、自分が変わることもちゃんと考えてくれる。こんなにもいいファンがいて、我が妹は大変な幸せ者だなと思った。
今はとにかくがむしゃらに頑張っている時期だから、それはそれでいいんだ。今までしてこなかったことをしようとしているんだから、探り探りは当たり前。家のことしかしてこなかった俺には、アドバイスできるような知識も経験もない。
「……デートしない?」
「えぇ?」
「なんか、俺もいろいろと経験したいなぁって、今思って」
「唐突だなぁ。ってか、あたしをダシに使うっていい度胸じゃん」
「せっかくだから、かわいい子がいいよね」
「……いいよ」
「よっしゃ」
経験がないなら、まぁ、いろいろとやってみるしかないだろう。ヤケクソ染みた提案に、意外にも乗ってくれた推しに感謝しつつ、ため息をこぼす。
なんとはなしに、淡々と、っていうふうに言えたつもりだけど、実際は心臓バクバクだ。口をついて出て、それを一瞬あとに認識して、気づけば後に引けない感じになってしまった。
推しとデート。なんか、今更ながらにとんでもないことを言ってしまった気がする。
彼女いない歴イコール年齢。女友達もいなくはないものの、プライベートで遊ぶことはほとんどない。俺の中で女性といえば、やっぱり妹のまちってことになってしまっていて。
意識してしまうと、なんだか……。
「緊張してきた」
「今!?」
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