疲れがちだけど、治りがち。




 ゴールデンウィークに何かがある、ということで、妹の日常は少しだけ忙しくなった。

 レッスンだの打ち合わせだの、帰りが二十二時近くになるような日が続く。もちろんそれで身体を壊しちゃ本末転倒だから、休息も時折挟んではいるけれど。

 帰るなり俺の部屋に来ると、いつもの「お疲れ様」をせがむ。それから夜食のスイーツを食べて、お風呂に入り、すぐに眠ってしまう。

 学校だって休まない。たまには休んだって、単位が足りてりゃそれでいいんだぞとは言うものの、生来真面目なまちは、「疲れた」くらいで休むことを良しとしない。疲れた、だって立派な体調不良だと思うんだけどなぁ。

 まぁ、いざとなりゃ強引にでも休ませる。俺も休んで、一緒に家でのんびり過ごすのもいいもんだ。

 ――今日は、そんな日だった。

「ごめんねぇ」

「いいんだよ。お前が元気なのが一番なんだから」

「うん。もう元気出た」

「はえーよ」

 リビングのテーブルに向かい合って、コーヒー片手に、トリュフチョコレートをつまみながら。パジャマ姿のまちが無邪気に笑う。

 四月の第三週、週末のライブから三日ほど。朝起きてきたまちが、少しだけぼうっとしている様子だったから、熱を測らせた。一応平熱の範囲内ではあるものの、若干高めでもあり、時期が時期なこともあって休ませたのだ。

 少しだけ強く言えば大人しく言うことを聞いてくれる。ビクリと身を竦ませて、落ち込むまちを見るのは辛いけど。でも、休ませてよかった。

 ほっと一息、甘いお菓子にまちの顔が安らいでいるのがよくわかる。

「おにぃはよく見てるね」

「それくらいしかできることがないからな」

「それくらいって……おにぃだってめちゃくちゃ頑張ってるのに」

 日々のまちの苦労を見てると、とてもそうは思えない。そりゃあ家事の一つ一つ、手を抜いているつもりはないし、なんならまちのレッスンなんかを実際に見たわけでもない。

 でも、十五歳の女の子が毎日十時まで仕事をしてるってだけで、そりゃあちょっと頑張りすぎだ。

 トリュフチョコを小さくかじり、その断面を見つめるまち。

「おいしい」

「そりゃよかった」

 ほんの数センチほどのそれを一口に放り込み、軽くかみながらコーヒーで流し込むように食べる。行儀の悪い食べ方に、まちは「もったいない」と小さくこぼした。

「参考までに、レッスンってどんなんしてるの?」

「え? 想像通りだと思うよ?」

「ボイトレ、ダンスレッスン、筋トレ、ストレッチ、ランニング」

「そうそう、まさにそんな感じ。最初は自分でやってたけど、今は週イチでトレーナーについてもらってる」

「なるほどなぁ。レッスン料とか、足りなかったら言えよ」

「お小遣い、いっぱいもらってるよぉ」

 生活費と貯金に回す分を差し引いて、残りが俺達の小遣いになる。それにアイドルとしてのいろいろを加味して、まちにはほんの少しだけ上乗せして渡しているから、まぁ、よっぽど足りないことはないはずだ。

 具体的には聞かないで欲しい。高校一年生がお小遣いとして受け取っていい金額は、軽く超えているとだけは言っておく。

 両親の放任のツケみたいなもんだ。受け取らない方が失礼だし、あの二人はきっとそれを気に病むだろう。受け取って、しっかり使ってしっかり貯める。

「今、何曲出てるんだっけ?」

「オリジナルは三つくらいしか出てないよ。あとはカバー」

「へー。二つは覚えてる」

「こないだのライブは二つだったねー」

 覚えてる。『まちこがれ』と『Thank you Any』。

「インディーズで出せるお金なんてたかが知れてるから、作曲家もやっぱり渋るんだよねぇ。あとは、ほんとに素人上がりみたいな人に頼んだり」

「そうなん?」

 正直曲作りにまったく知識がないからなんとも言えないけど、少なくとも悪いものだとも思えなかった。

「そこはほら、なんとか他の要素でごまかすんだよ。なんなら、まちだって素人みたいなもんだし」

「なるほど。世知辛いなぁ」

「売れてるアイドルは、どんどんいい曲作ってどんどんまた売れるからねー」

 それもまた、きっと努力の末にたどり着いたところでもあり。

 何事も、先立つもの金と実力がなければうまく行かないってのが現実か。

 まちに関して言えば、生活にまったく心配がない時点で恵まれてるくらいだ。きっと生活を切り詰めてでも頑張ってる人も多いだろう。あるいはだからこそ、彼女には必死さが足りないという人もいるかも知れない。

 でも、努力が足りないなんてことは絶対にない。なんてったって、真面目な子だから。

 空になった皿を持って立ち上がり、キッチンへ。対面式のそれは、洗い物をしながらでもまちの顔がよく見える。

「ま、疲れたらいつでもおにぃが助けてやるからな」

「うん」

 コーヒーを飲んで、にこり。かわいい妹は、ふぅとため息をこぼした。



 ここ最近、まちが疲れることが多い。やっぱり『中学生』から『高校生』になって、できることが増えたんだと思う。そのために頑張って、少しだけ頑張りすぎている。

 ただし、できることならやらせてやりたい。体を壊すほどの無茶は論外にしても、ほどほどに追い込む程度の無理はきっといい経験になる。何よりアイドルっていう仕事に対して、まちはかなり前向きだ。楽しそうだな、とすら思う。

 それなら俺にできるのは家のこと。それからまちをよく見て、ケアすること。

 ベッドに寝転んだ彼女の脚を、丁寧に揉み込んでいく。心地よさそうに息をついているのを見るに、素人のマッサージでも一応効いてはいるらしい。ネットである程度のやり方は調べたものの、ちょっと心配ではあったんだ。

「おにぃは何やらせても器用だなぁ」

「そうか? 料理とか、最初ひどかったけどな」

「そうだっけ?」

「ほら、にがぁいナポリタン」

「あー、そーだそーだ。そっか、そうだったんだ」

 まちにも何か思うところがあったんだろうか。俯いたままで表情は見えないけれど、どこか安堵したような。

 そりゃそうだ、おにぃなんて何でもできる完璧人間じゃない。できないことだらけで、口は悪いし、今だってもっとできることはあるはずなのにと歯がゆいことばかりだ。

「まちのためなら、何でもやれるんだよ」

「わぁ」

 なんだよ。

「……んふふ。じゃあまちは、とびっきりのステージを見せてやるしかないなぁ」

「そうだな。楽しみにしてるよ」

 それが一番だ。

 とりあえず、ゴールデンウィークに起こる何某かを見に行くことは確定してそうだ。家事なら多少穴を空けたところで問題はなし、まちの晴れ舞台は俺だって楽しみだ。それに、単純にアイドルのステージとしても、きっと悪くはないはずなんだ。……世界観は、よくわからんかったけど。

「じゃあ次は、チケット買おうかな」

「……じゃあ、売ろう」

 聞けば、ただでもらうゲスト枠はノルマの計算――売上に含まれないんだとか。前回のことはまぁ仕方ないにしても、次回以降は積極的に買っていきたいな。どうせお小遣いなんて、最低限の衣服だとか買い食いくらいしか使い道がないんだ。あ、あとなぎさへの投げ銭。

 脚を終えて腰へ、腰を終えて肩へ。仰向けに直って、また足から。

「……身体つきがやっぱ、違うよな」

 触ってみればはっきりわかる、他の女子との明らかな違い。引き締まっていて、それでも柔らかく曲がり、しなやかだ。

「頑張ってるんだなぁ」

「うん。もっと触っていいよ」

「言い方やめろ」

「ちなみにどこまでしてくれるの?」

「仰向けは脚で終わりだろが」

「そっかぁ」

 不満そうにするんじゃない。

「じゃあ顔のマッサージでもするか」

「それはいいや」

 まちの顔をもちもちと弄ぶのは、彼女の反応を相まって非常に面白い。んだけど、まぁ当然ながら本人には不評である。

 もちろん顔のマッサージにだって効果はあるし、アイドルのように表情を作る仕事をしているならその重要性だって高いものだ。

 とはいえ、それくらいのことは本人にでもできることであって。まちがぐにぐにと自分の頬を揉み込んでいるのを見て、なんとなく笑みがこぼれた。

「元々ぼんやりして締まりのない顔してるもんなぁ」

「何を突然失礼な」

「いや、笑顔作るのも大変だなぁって」

「楽しくて笑ってるんだよ! 七割くらいは!」

「七割かよ」

 まぁでも、七割も本気で笑えてるんなら大したもんか。そこに嘘がないんなら、それはきっとお客さんにも伝わっているはずだ。

 なぎさを見ていればよくわかる。本気で魅了されると、きっと人はああなるんだ。

「ゴールデンウィークって、全部埋まってるのか?」

「ううん。もう告知されてるよ」

「へー」

 スマホでまちの――まちこのSNSを見てみれば確かに、GWスペシャルライブという告知がされていた。

 ゴールデンウィークの二日目、日曜日に、割と大きなライブハウスで対バンライブがあるらしい。対バンライブ――つまり、複数のアーティストが入れ替わりで出演するライブのこと。

 まちにとっては、初めての規模になるらしい。

「百人は確実に集まるメンツだ、って言ってた」

「ほー。今までの三倍くらいってことか」

「うん。だから、めっちゃ緊張する」

 それに何より、対バンだ。まちがもしも盛り下げるようなことがあれば、文字通り足を引っ張る形になってしまう。

 ……つまるところ。

「おにぃの話は控えるようにって、言われちゃってさぁ」

「当たり前だな」

「トークの練習も増えたんだよぉ。つらい」

「まぁ、いい機会だと思うしかないな」

 いつまでも「おにぃ」「おにぃ」じゃ通用しないのは目に見えてる。もちろんただ歌がうまいダンスがうまいだけでもよくないってのはわかる。何かしらの特徴、あるいは特長、一芸のようなものを持っているに越したことはない。

「あんまり控えても、兄萌え系で行けなくなっちゃうから、適当なバランスを」

「……あくまでも、なんだな」

「あくまでも、なんだよ」

 対バンにおいても、やっぱり。

 けれどまちにその話が来たということは、ブッキングした側もそれを承知の上であろうことは想像に難くない。それを補って余りある何かを、彼女に見出してくれたんだ。

「じゃあとりあえず、今日はゆっくり休もうな」

「うん。ちょっと、お昼寝するね」

「ああ。まちが寝るまでは、ここにいるから」

「うん。おやすみ」

「おやすみ」

 上から掛け布団をかけて、ベッドサイドに座り直して、スマホを取り出す。

 なぎさから来ていた『大丈夫?』というメッセージに、『大丈夫』と返す。続けて、『告知見た?』と送った。

『見た。対バンなんて、ほんと久々。めっちゃ緊張する』

『でかい箱みたいだな』

『ね。やばいわー。まちこが知られてしまう』

 ゲームキャラクターの、嘆くようなスタンプ。厄介オタクのような反応に思わず笑ってしまった。

『でも、めっっっっちゃ楽しみ。衛くんも行くっしょ?』

『うん。今度はチケット買って行く』

『そか。じゃあ、また一緒に行こうね』

『よろしく』

 つい先日買った、パリナイのスタンプ。サムズアップをする主人公を送れば、ウェーイと盛り上がる仲間のスタンプが返ってくる。

 なんとなく通じ合った気がして、一人ほくそ笑んで。

 ベッドの上、いつの間にか寝息を立てるまちの髪を撫で、部屋をあとにした。





 

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