妹はアイドル。





『今日すっごいことがあったの! 思い出すだけで泣きそうになる。やばぁ』

 配信開始からいつもの挨拶が終わり、『なぎ。』の第一声がそれだった。

 抑えきれない興奮が挙動に現れてる辺りが彼女らしくて、めちゃくちゃかわいい。感情表現が素直で明るい女の子ってもう、それだけで正義だ。

『あたしがこっちに越してきた理由なんだぁ。それがまさか、うわぁ、もう身体が震える』

「oh」

 思わず声に出てしまった。

 この興奮の理由はなんとなく察しがついている。そしてそれが引っ越しの理由なんだとしたら、あまりにも重すぎる。

『ごめんね、思わせぶりなこと言っといて、詳しくは言えないんだけど』

 推しとリアルで出会った。わかる、話さずにはいられないよね。俺もそうだった。

『でもそのうち、言えるようになったら……ううん、言えるようにするから!』

 それはつまり、まちと仲良くなるという宣言。

 大丈夫だろうか。第一印象は割と最悪だけど。

 何より、俺が配信見てるって知っててこういうこと言ってるんだよな。『なぎ。』のことだから、テンション上がりすぎてそんな事実さえ忘れてるってこともありえるけど。

 いつも通りゲーム前の雑談は短めに、早速ゲームが始まっていく。

 やりきり型のゲームの場合、『なぎ。』は大抵一本を集中してやり切るタイプの配信者だ。パーティナイトファンタジーもその類で、今日は仲間の死から立ち直った主人公たちが、終盤に向けて旅を続けるところから。

 シリアスから一転、コミカルさを取り戻したシナリオは、しかしそのシリアスによって深みを増す。それがこのゲームの肝で、名作と呼ばれている所以……らしい。視聴者のおっさんが言っていた。

『このノリなんだよねぇ。なんでアイツいねーんだよぉ』

 それな。わかる。

 笑いながら泣きたくなる、情緒狂わせゲー。彼女の素直な反応を見てると、自分でもプレイしたくなってくる。

 そうして買ったゲームが、PC内に何本あるやら。そしてそのほとんどをきちんとやりきった。

 俺はきっといい視聴者だ。そうに違いない。

 物語は終盤、モンスターたちの祝宴『百鬼夜行』を止めるべくラスボスに挑むパーティ。

 パリピたちのノリと、そのイベントのダブルミーニング。タイトルの妙も光ってる。

『どうしよ、ここでセーブして一旦切ろうかな』

 この手のストーリー物は、エンディングもそれなりに時間が取られると相場が決まっている。経験則でそれを知っている『なぎ。』はうんうん唸りながら迷い、そして。

『次の休みにやります! 夜からはちょっと予定があるから、昼頃かな?』

 ということで、配信は終わりの挨拶へ。

 それが終わればPCに用はなく、シャットダウンして椅子から立ち上がる。

 時刻は夜の九時半、そろそろまちが帰ってくる頃だ。

 次の休みに大事な仕事を控えていて、その練習のため遅くまで……ん? 次の休み、夜の予定。

「……マジかぁ」

 どうやらマジっぽい情報を知ってしまい、なんとなくげんなりしてしまう。

 もちろん憶測に過ぎないし、憶測でものを言うのはよくないってのはわかってる。けれどどうにも、あの時の郡山さんの反応を見るに、ガチ勢・・・としか思えない。ガチ勢なら、必ず来るはずだ。なにしろそのために引っ越したって線もあるくらいなんだから。

 俺は普段、まちの仕事にはあまり関知しないことにしている。変にプレッシャーにはなりたくないし、知っての通りのブラコン妹は、俺がいるとテンションがおかしいからだ。

 とはいえなぁ。推しがそこに来ることがわかってると、どうしても誘惑に駆られてしまう。

 こういう思考がストーカーに繋がったりするんだろうか。なんとなくげんなりしてしまう俺の耳に、「ただいま」の声。

 考えすぎたことを一旦忘れ、部屋を出た。



「まち、俺、お前が好きなんだ」

「うん。私もおにぃ好きだよ」

「だからあんまり、仕事のことには口出ししないことにしてたんだが」

「私は仕事してる時おにぃのこと話しまくってる」

「……だから売れねぇんだよ」

「うるさいなぁ!」

 おっと、話題が逸れてしまった。妹の仕事をディスりたいわけじゃなかったんだ。

「どうしても、行きたい事情ができた」

「それって、私が理由じゃないって言ってるようなものだけど」

 その通り。そんなことで拗ねてちゃ、俺の妹は務まらないぞ。

 夜食の兄お手製ホットプリンをスプーンで掬い、妹の口にぶち込んでやれば機嫌は一瞬で治る。ちょろいぜ。

「おいひぃ。おにぃ天才すぎ」

「まぁな。それで、チケット余ってねぇ?」

「あげるよ。別に、いつでもあげるって言ってるのに」

「いつでも手に入るから、それに甘えちゃダメだろ」

「変なとこで律儀なんだからなぁ。でも、そこがすき」

「……まぁ、とりあえずありがとな」

「うん。じゃあ、明日帰ったら渡すよ」

 もう一度、ありがとうの気持ちを込めてホットプリンを食べさせてやる。

 ちなみに妹の手は資料の確認のため塞がっている。だから俺がこうして食べさせてやることは、実に自然で当たり前のことなのである。

「とはいえ、だ」

「あに?」

「俺がいるからこそ、俺の話はするなよ」

「やだ」

「……最低限、俺に直接アピールはするな」

「……しょうがないなぁ」

 俺が悪いみたいな言い方をするな。

 その代わりにホットプリンをよこせと口を開けるから、俺はスプーン山盛りにつっこんでやった。

 それでもご満悦のご様子で、なんとも簡単な妹サマだこと。



 翌日の学校、教室に入るとなんだかそわそわしてしまう。郡山さんはまだ来ていないようだけど、チラチラと出入り口を窺ってしまう。

 前の席に勝手に座り込んだ裕二が、怪訝そうに俺を見る。

「推しなんだよ」

「配信やってるって言ってたな。なんて名前?」

「『なぎ。』。句点まで入れて」

「へぇ。ちょっと見てみるか」

 スマホを取り出し配信アプリを起動、検索をすれば、割と早めに出てくる。

「お、マジじゃん。……やっぱ、普通に可愛いよな」

「普通にってなんだよ。くっそ可愛いだろぶっ殺すぞ」

「口悪ぃなぁ相変わらず。暴力とは全然無縁のくせに」

「……うっせぇな」

 人を殴ったことはない。ふざけて肩パン、程度すらない。妹を叱る時にも、軽く小突くことすらしたことがない。

「いいことじゃん。その口直せば完璧だ」

「これはあれだ、妹に威厳を示すための」

「それは威厳とは言わんぞ。……まぁ、必要以上に甘やかしてるのは手に取るようにわかる」

「……そんなことは」

「バランスを取ってるつもりなのか。その口の悪さで」

「……いや、その」

 呆れた目をしないでくれ。なんでそんなに鋭いんだ。

 理解がありすぎる友人に戦慄していると、隣の席がガタリと鳴った。

「おはよー。遠野くんと、えっと」

「下平っす。よろしく、郡山さん?」

「下平くんね、よろしくぅ」

 座りながらにっこり、相変わらずくっそ可愛い。

「あ、昨日見てくれた?」

「見た見た。パリナイ、めっちゃおもろそう。買おうか迷ってる」

「絶対買ったほうがいいって。シナリオもバトルも、ガチだから」

 シナリオはもうほぼ知ってるけど、やっぱり自分でやると違って見えるものだ。それはこれまでに『なぎ。』の影響で買ってきたゲームでよく知ってる。

「さっきチャンネル見てみた。ゲームやってんだ?」

「うん。アーカイブ、再生数増やしといてよぉ」

「帰ったらね。でもこいつ、結構ガチで推しっぽいね」

「そういえば、それっぽい名前の投げ銭見たことあるかも」

「マジか。やってんなぁ」

「いや、そりゃ山場きた時くらい払うだろ」

「わかるぅ。推しにお金投げる時が……あ」

 そこでようやく、郡山さんは昨日のことを思い出してくれたらしい。

「……おにぃ」

「は?」

 突然の発言に驚く裕二は置いといて。

 俺のことをおにぃと呼ぶのは世界にただ一人、妹である遠野まちをおいて他にない。

 そしてまちは、仕事で俺のことを話しまくっていると言っていた。いや、むしろそれを公言してはばからないことこそその特徴であるとさえ言える。

「やっぱり、まちこの」

「……はい」

「まちこ?」

 ちょっと邪魔だな裕二コイツ。しっしと手で払うと、「んだよ」とふてくされながら自分の席へと戻っていった。とてもいいやつなので、あとで詫びに何か奢ってやろう。

「ちょっと気にしてたよ」

「ごめんなさい。あの、ほんとにテンパっちゃって」

「いや、わかる。推しに会うと、そうなる」

「……そうだよね」

 うん、今まさにそんな感じだ。

「直接話したいなら、呼ぶけど」

「待って待って。無理。またああなる絶対。自信ある」

「えぇ」

「だって、まちこめっちゃ、めっっっっちゃかわいぃぃ」

 頬を赤らめ、両の手で目を覆いながら、感極まった声で。

 推しに間近で会った反応としては、むしろ正しい。それに実際、まちはめっちゃかわいい。

「ライブ、ライブ行くから。物販で、少しだけ話ができる」

「まぁ、立場がはっきりした場所のほうがかえって話しやすいか」

「うん、うん。それで、おにぃは」

「それやめよっか?」

「ごめん」

 推しにおにぃとか言われると、なんか変な気持ちになる。

「俺、ほとんど行ったことないから、よかったら付き合ってもらっていい?」

「え、うそ……まちことおにぃの、コラボライブ……?」

「コラボはしねぇよ?」

「伝説の瞬間に立ち会っちゃうのあたし」

「何の話だよ」

「だって、あのまちこだよ?」

 まぁ、わからんでもない。

 まちこ。正確に言えば『machico』。

 何を隠そうアイドルである。

 人気配信者が推してる、といえば聞こえはいいが、実際のところがつくほどのマイナーなインディーズアイドルだ。具体的に言えば、ライブの平均観客数は二、三十人。配信サイトのチャンネル登録者数は、『なぎ。』の百五十分の一。つまり、千人である。

 そして特筆すべきは――

「あの、『兄萌え系アイドル』machicoのライブに、ついにおにぃが……!」

 そういうこと、なのである。

 ……だから売れねぇって、言ってるのになぁ。




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