推しと妹エンカウント。
ちょっと聞いて欲しい。
推しがいる。隣にいる。目の前にいる。手を伸ばせば触れる距離にいる。
あんまり見ちゃ悪いからホームルームに集中しようとは思うけど、やっぱり気になってしまう。
隣の席だぞ? 「よろしくね~」って笑いかけられた時は、ほんとどうかしてるぞってくらいキモい笑みで「よろすく」なんて答えてしまった。ああ、思い出すだけで顔が熱くなる。「あははっ」って快活に笑う『なぎ。』改め郡山さんは、配信で見るのと同じ
ホームルームは軽い雑談と連絡事項でさっさと終わり、入学式の日程はこれですべて終わり。あとはまちを迎えに行って、帰ったら昼ご飯の用意をしなくちゃならない。
推しと話したい気持ちは山々だけれど、家族の時間は何より大事だ。スマホを取り出しメッセージアプリを起動する。
相手はまち。迎えに行くぞとメッセージを打てば、すぐさま既読表示がされ、数秒後には「待ってる」と返信がある。ヤンデレもののヒロインが如き返信速度にビビるやつもいるけど、慣れている。
鞄を持ち、後ろ髪を引かれるような思いで教室をあとにする。楽しそうな推しの声が、教室を出てもまだ聞こえていて――とりあえず、この思いはまちにぶつけよう。
まちは教室で数人の女子生徒と話し込んでいた。おーいと手を挙げれば、まちはぱっと笑顔で駆け寄ってくる。
ぐりぐりとその頭を撫でつけ、鬱憤を晴らす。
「わぁ、なになに。一日二回じゃないの」
「お前のせいで貴重な時間が……」
「なんのことぉぉ」
ぐりぐりぐりぐり。
呻くまちに構わず撫で続ければ、まちの友人らしき数人を始め、クラス中の注目を集めていることに気づいた。
まぁ、この容姿なら興味を引くのはよくわかる。よくわからない上級生がよくわからないスキンシップを始めれば、そりゃあ気になるよな。
「えっと……こいつ、引き取っていってもいい?」
なんとなく教室内に声を掛けてみれば、揃って「どうぞ」と返答だ。なかなかノリの良いクラスのようで、お兄ちゃんは安心である。
「みんなばいばーい」
友人からの「ばいばい」に手を振って、俺とまちは揃って昇降口に向かった。
とりあえず世間話として、入学当日の感触をと思ったけど、さっきの様子を見れば心配ないのがよくわかった。
そもそも仕事柄、愛嬌がないと話にならない。愛嬌があればだいたいなんとかなるのが人間関係ってもので、そもそも最初から心配なんていらなかったか。
「おにぃ、なんかうれしそうだね」
「いや、友達できたみたいで、安心した」
「そっかぁ。中学時代の友達もいたから……気づかなかった?」
「や、全然」
「何回か家にも来たんだけどなぁ」
そりゃ悪いことをしたな。また会うことがあったら謝っておこう。
「そういうおにぃは?」
「まぁ、一年からの友達が何人か。っていうか聞いてくれ」
「え、なに」
ぐんとテンションを急上昇させる兄を、妹は少し身を引きながら怪訝そうに見やる。だがそんなものはお構いなしだ。
「転入生が来て、それがあの『なぎ。』だったんだよ」
「え、うそ。昨日見てた、あの人だよね」
「そうそう。いや、ラノベみたいなこと、あるもんだなぁ」
「ねー。私、ちょっと会ってみたいなぁ」
それはいいな。美少女二人、とても絵になる。
それにきっと、妹の仕事にもいい影響が出てくると思うんだよな。
実際に見てみろ、廊下ですれ違う誰もが、一度はまちのことをチラ見するんだ。それくらいの容姿もあって、『お小遣い程度』で留まってるのがそもそもおかしいんだ。
そのうち父さん母さんの収入だって超えてもおかしくない。それくらいのスペックは持ち合わせてるはず。ひいき目は……きっと、ない。ないよな。ないはずだ。たぶん。
「じゃあ私あっちの靴箱だから。逃げないでね」
「逃げるつもりならそもそも迎えに行ってねぇよ」
「そりゃそっか」
いつの間にかたどり着いていた昇降口で、俺達は一旦別れて各々の靴箱に。
そこで見かけた俺の推し。郡山さんが、ちょうど靴箱からローファーを取り出すところだった。
「あ、隣の……えっと、遠野くん!」
「そっす。郡山さん、帰るとこ?」
「うん。せっかく早く帰れるし、配信の準備でもしようかなって」
「あ、あの」
配信の話題。伝えるなら今しかない。首を傾げる郡山さんに、俺は咳を一つ挟んで。
「いつも見させてもらってるんだ。応援してるんで」
「おー。リアルで視聴者に会うの初めてかもー。え、ひょっとして
「……そっす」
「わあ! やばぁ。ありがとねー」
やばい、膝から崩れ落ちそうだ。推しの笑顔の破壊力ときたら、脳天を撃ち抜いて意識を飛ばしかねない。
「今日も絶対見るから。楽しみにしてる」
「うん! 今日はねぇ」
「あ、いやいや、ネタバレNGで」
「あははっ。じゃあ、配信開始まで楽しみにしててねー」
笑顔のまま、ローファーを地面に落としてスリッパを靴箱に戻す。履いて、とんとんとつま先で地面を叩いて、右手を軽く挙げて。
「じゃねー」
と、俺の方を見ながら歩きだすものだから、ちょうど靴箱の陰から飛び出してきた女子生徒と軽くぶつかってしまった。
「あいたた、ごめんなさいよそ見してて」
「あ、こっちこそ」
よくよく見れば我が妹、まちである。
少し話し込んでしまった俺の様子を見に来たらしい。
「悪いまち、待たせたか」
「ううん。おにぃ、この人」
「あ、そうそう。その人が『なぎ。』さんだ」
「おー。はじめましてぇ、おに……じゃないや、衛の妹の、まちです」
妹の自己紹介、に対し、意外にも無反応の郡山さん。口元を手で抑えたまま、身動き一つ取らずにいた。どこか痛めたかと心配そうに顔を覗き込むまちに対し、彼女は――
大げさに飛び
「えぇ」
「まち、お前筋肉が」
「違うよぉ。てかそんな人間いないって」
「冗談だよ」
半分くらい。ジト目のまちは放っておいて、とりあえずしゃがみ込んでしまった郡山さんの様子を伺えば……震えていた。まちを凝視しながら、頬を紅潮させ、何やら声にならない声を漏らしている。
「ぇ、ぇぅそ、だて、そん、え、ぅそぉ」
何を言っているかはよくわからないが、信じがたい現実に直面して、それを受け入れられない様子である。
今にもあふれそうな涙を、長身のまちを見上げることでなんとかこらえているような。
そんな様子を、やや引き気味に見守る我が妹。感じが悪い。
「まち、起こしてやって」
「はぁい」
「あ、だだだいじょ、ぶ!」
がばっと勢いよく立ち上がる郡山さんは、勢い余って何度かたたらを踏み、なんとか立ち上がった。
挙動不審なことこの上ない。怪訝そうな我ら兄妹に、顔を真っ赤にした郡山さんは。
「ご、ごめんなさい!」
逃げ出した。姿が見えなくなるまで全速力で、一度も振り返ることなく。
それをしっかりと見送ったまちは、遠い目をしながら呟いた。
「……ありゃあ相当鍛えてやがるぜ」
「現実逃避すんな」
「まち、なんか嫌われるようなことしたかなぁ」
「……どっちかというと」
「なぁに?」
「いや、なんでもない」
憶測でものを言っちゃいけないな。
それにしても……
気がかりなことがあると自分のことを名前で呼ぶ癖、まだ直ってなかったんだなぁ。俺の妹、超かわいい。
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