第13話

 またしても、意識を失っていた。自分が目を閉じていたことに気付いて、慌てて見開く。眼の前にシロガネがいた。

「シロガネ……」

 その大きく広い胸に顔を埋め、安心して呟く。そんな俺の髪を撫でながら、シロガネも俺を呼んでくれる。

「どうした紡。儂はここにおるぞ?」

「うん」

 また、日が暮れていたらどうしようかと思った。シロガネは眠らないけれど、俺は魂になっていても人間性が残っているようで、一定の時間が経つと眠くなる。時計がないので、俺の感覚が正しいのかどうかはわからないけれど。今は一瞬だけ意識が飛んだ程度だったようだ。さすがに激しかったからなぁ。

「シロガネはさ」

 遠慮していたけれど、やっぱり訊かずにはいられない。

「いつから犬神サマになったの?」

 さすがにどうやって生まれたのかとは訊けなかった。木の根元から、なんて言われたら、さすがに今の俺では笑えない。

「さて……もう随分になるの。ここは人間の世界のように、時の流れという概念はほぼない故、具体的に言い表すことはできぬ」

 それでも、それくらいに長いのか、ということは痛いほどわかった。

「生まれた時から、犬神サマになる運命、とか、そういうの?」

「うむ……難しい質問だな。厳密に言うと、生まれた時はただの仔犬であったのだろう。儂は覚えておらぬ故、断言はできぬが。犬神には〈器〉というものがあるのだ」

「うつわ?」

 最初は意味がわからずに、そのまま鸚鵡返しにしてしまう。でも、自分で言葉にしたことで理解できた。器。

「あの玉座があろう」

 気怠そうにシロガネが見(み)遣(や)った方向に、例の豪奢な椅子があった。確かに玉座だ。何しろ犬神サマが座るのだから。

「あの玉座には、誰もが座れるわけではのうての。〈器〉を持つ者だけが許される。つまり、あの玉座に認められれば、犬神となるのだ」

 ちょっとRPGの勇者みたいだな、とか思ってしまった。アーサー王の剣の話とか。

「じゃあ、シロガネがあの玉座に認められて犬神サマになった……みたいな感じなワケ?」

「簡潔に言えばそうなる」

 思わず、あの豪奢な玉座を粉々にしてしまえばいいんじゃないかと思った。けれどすぐに冷静になる。シロガネが犬神サマでなくなったら、もしかして死んだりしないか? だってもう思い出せないくらいに長い間犬神サマをやってるってことは、他のどんな犬よりずっとずっと長生きしてるってことだろ? それは恐らく玉座の持つ犬神サマを支えるパワーのようなもののおかげなんだと思う。それを壊してしまえば、とうの昔に寿命が尽きているはずのシロガネがどうなるかなんて、深く考えなくても想像に難(かた)くない。

 愛は盲目とは言え、衝動的な行動は慎まなくては。シロガネの──愛する人の命が懸(か)かっているんだから。

「じゃあ、シロガネの前の代の犬神サマもいたってことだよな?」

 質問責めのようになってしまうが、シロガネは嫌な顔ひとつせずに答えてくれる。こんなことを訊かれたこともなければ、言える相手もいなかったのだろう。そりゃそうだ。どこの神様が庶民に愚痴れるってんだよ。

「いた。先代が儂を〈器〉の持ち主だと見抜いたのだ。そして儂には何も伝えず、ここに座れと言った。以来、こうしてそれに縛られておる」

 詐欺じゃねーか! 先代!

 しかしそれでわかった。シロガネがいるところには必ずあの玉座があること。多分あれがないと、人間の姿になったりもできないのだろうと思う。だったらもう、椅子が犬神サマでいいじゃねーか、なんて無責任なことを考えたりもするけれど。一度玉座に囚われたなら、もう離れられないのだろうか? もしも離れられたとしても──。

「その、先代の犬神サマはどうしたんだ?」

「……」

 その沈黙に、言いたくないのか、と思って申し訳なくシロガネを見上げると、とても苦い表情をしていた。困惑とでもいうのか。

「? どうした?」

「うむ……それが、儂にはわからぬのだ。先代のことは覚えておる。儂が犬神になるに至った経緯も、今紡に言った通りで間違いない。ただ、儂がそこな玉座に座り、犬神となった途端に、先代の存在の記憶が切れての。目の前で死を遂げたというわけではないと思うのだが、儂が犬神となってからは先代は現れぬし、誰も口にせぬ。まるで犬神が長らく同一の者が一代でおるものだと、他の者どもは考えておるように」

 それが〈器〉ってやつなんだろうか? 好きで持ち合わせて生まれたわけでもないのに、たまたま玉座に座れてしまったから、それから離れられなくなってしまうなんて。勇者の剣よりずっと怖い。そんなのは神様じゃなくて、ただの顔貸しで、椅子の奴隷じゃねぇか。

 シロガネの出自や犬神サマのシステムがわかれば、もしかするとシロガネと一緒にいられるようになるかも知れないなんて……希望的観測もいいところだ。

 ここは、俺にとっては現実世界ではなくても、シロガネにとっては間違いなく現実世界で、ここで生まれ、ここで育ち、そして犬神サマになった。そんな隙のない真実を、たまたま迷い込んだ人間の俺なんかがひっくり返せるわけがない。

 軽く──いや、結構深く絶望した。

 神様は神様だからと言って、好きな時に「やーめた」なんて放り出せるわけじゃないんだ。なのに、先代の犬神サマはシロガネを騙すような形でそれをやった。その結果どうなったのかはシロガネにすらわからない以上どうしようもないけれど、一番怖い想像をするなら、あの玉座に食われたとか、そういうやつだ。

 くそ、結局詰みかよ……。人間でもやっぱり犬には勝てない? いや、犬どころか、椅子にすら負けるのか? それはさすがにムカつくなぁ。

「──紡」

「うん?」

 とても優しい声でシロガネが呼ぶので、俺の気持ちは一気に晴れる。安いな。

「紡が儂の唯一無二であることは、今後何があっても変わることはない。これが、愛しているということなのだろう?」

「──うん!」

 犬でもない俺の方がシロガネの胸に頬ずりして、ペロペロ舐めていた。愛しいシロガネ。俺の唯一無二。

「こら、そこはさっき、あ、やめんか、んっ、紡!」

 感じていながらも俺を抑え込もうとするので、俺は調子に乗って下半身をピッタリとくっつける。さっきまでは多少しんなりしていたのに、二人して急激に勃ち上がっていく。そうなるともう、小さな火は業火となり、すべてを燃やし尽くすまでは誰にも消せない。

「ほら、まだいけるじゃん」

「後で泣いても知らぬぞ」

 減らず口を叩きながらも、笑いながら愛し合う。それがだんだん本気の喘ぎ声に変わっていき、お互いを求めて抱き合う。指が踊り、吐息で囁き、腰を引かれれば自ら突き出し、舌を絡ませる。髪の先さえ触れれば新たな刺激になって、さらなる快楽を引き寄せた。

 ずっとここでこうしていたい。何ならシロガネの奴隷になっても構わない。そばにいたい。いつでも触れられるところにいて欲しい。呼んでくれればいつでも駆けつけるから、何度でもその声で俺の名前を呼んで欲しい。シロガネのすべてが欲しい。俺のすべてを差し出してもいいから。

「あぁ……愛してる、シロガネ」

「儂もだ、紡」

 何度言っても足りない。全然俺の気持ちが届かない。言葉でも身体でも伝えられない時、どうしたらいいんだろう? こんなにも愛しているのに。言葉を探しながら、身体を舐め回す。精一杯の想いを込めて口に含んで悦ばせる。同じことや、それ以上のことも、シロガネは返してくれる。新しい快楽は何度も訪れ、数分の小休止を挟みながらも俺たちはずっと抱き合っていた。まるで何かを探し求めているかのように。青紫色の草原の中の、たった一粒の小さな宝石を見つけようとでもしているかのように。

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