第11話
もう一度目が覚めた時には、幾分身体は楽になっていた。寝返りを打てる程度には戻ったようで、俺は横向きになっている。
いつもの癖で軽く伸びをしたけれど、鈍く疼(うず)く程度で歩けないほどではない。若いというのは素晴らしいことだな。
夜が明けているのだと感覚的に理解し、小屋の扉を開けると、まだそこらじゅうの草はグロテスクな青緑色のままだった。これは犬の発情期が終わるまで続くのだろうか? それがおおよそどれくらいの期間になるのかは知らないが、少なくとも俺がここを立ち去る方が早そうな気はした。
そう思うと少し残念だ。あんなに緑が広がった草原など、都会ではまずお目にかかれない。それに夕日もキレイだった。他には何もない場所だけれど、日々の疲れを癒やすにはいいのかも知れない。なるほど、生まれ変わる前の魂が待機するにはうってつけの環境なのだろう。人間の世界は賑やかすぎるし、犬がどう思っているのかは知らないが、魂が何度も生まれ変わって犬の人生(?)を繰り返すのなら、一時の安らぎは必要だと思う。
「目覚めたか、紡」
またもや右後方から、シロガネの声が聞こえた。振り向くと、やっぱり昨日と同様に玉座に腰掛けて気怠そうにしている。
「ああ、おはよう」
眠ってもいない相手に「おはよう」はおかしい気もしたけれど、他に挨拶が思い浮かばなかったのでそう言っておく。シロガネは特に何を言うわけでもなく、「うむ」と軽く頷いただけだった。どこなく上の空な感じがする。体調でも悪いのだろうか? こともあろうに犬神サマが?
「どうかしたのか?」
シロガネに向き合うように身体ごと方向転換して、少し歩み寄る。やっぱりデカい。
「……紡」
「? どうした?」
歩みを止めて、俺は真顔のシロガネを見た。キレイな瞳と、キレイな髪の色。よく見れば、顔もしっかり整っていて、大型犬の風格も表れている。シロガネから〈犬神サマ〉という看板を取ったとしても、きっと大勢の犬に慕われるのだろうとぼんやりと思った。
「この草原は、様々な匂いを発しておる。もちろん、発情期を抑えるための匂いだ」
「ああ」
それは昨日聞いた。シロガネには発情期がないことも。
「儂はもともと発情期が訪れぬ故、特に問題はないはずなのだが、紡はどうだ?」
「え? いや別に俺も何もわからないけど? 匂いがしてることさえわからないし」
「そうであろうな。ならば儂は、何故このようになっておるのだろう」
ぺらり、と和装の膝下をめくると、シロガネの下半身が露わになった。そこには既にそそり勃っているモノがある。
「な、え?」
いきなり見せられて驚いたのもあるし、あまりにもシロガネが無防備だったこともある。射られたように俺の心臓が飛び跳ね、それがドクドクと流し始めた血液が、俺の股間に集中してきた。
待て俺! 勃つんじゃねぇ!
しかし心の命令より脳のシステムが勝利したらしく、学生ズボンの中で俺のモノまで膨らんでくる。どうして自分と同じ形をしているモノで興奮してしまうのかわからない。
「発情期を抑える匂いが、儂に悪影響を及ぼしておるのだろうか? これまではそのようなことはなかったのだが、人間の形になるとこうなってしまうのだ」
「普段は大丈夫ってこと?」
「無論だ。発情期など儂には関係ない。人の姿になることもなければ、他の者と会うこともない故、儂は静かに寝ているだけだ」
そんなもん……だいたいの想像がつく。ただそれを何とシロガネに説明すればいいのかわからない。そして、シロガネがはだけた裾をまだ直さないので、俺の股間に血が集まりきってしまっている。意識はシロガネに行ったり自分の股間を気にしたり、チラリと視界に入ってしまうシロガネのすごいモノに奪われたりして忙しい。
「そこで儂は考えたのだが」
「あ、ああ」
冬用の学生服のおかげで、一応ズボンの前は上着で隠れてはいる。もちろん、普通に人間が見たら完全に見え見えなんだろうけれど、シロガネはさすがにそこまで気にしていないようで助かった。
無邪気に「どうした?」なんて訊かれたら、まったく答えようがない。
「もう一度せっくすをすれば良いのではないかと思う」
「ひぇ?!」
そうか。シロガネには〈自己処理〉の概念がないのだ。人間だっていつでも雌とやれるわけじゃないんだし、だいたいは自分で自分の精子を捨てている。それを、他の犬はどうだか知らないが、ともかくシロガネは知らないらしい。まぁさすがに、一般の犬っころが犬神サマに教えられる内容でもないよな。
てことはアレか? また俺が実践指導か? お互いに向き合って、もしくは隣り合って、自慰行為をする……いやいや、想像するだに恥ずかしいわ。ごめん、絶対無理。
「そこで紡の意見を聞きたい。相手が拒絶する場合は、してはならぬ行為だと言っておったでの」
……律儀過ぎるだろ……。
いっそ俺が小屋から出てきたところを、有無を言わさずにふん捕まえて犯してくれた方がマシだった。俺に許可を求められたら、俺の意見を言わなければならなくなるじゃないか。
シロガネはようやく和装の裾を正し、俺をまっすぐに見た。まっすぐ過ぎて眩しいくらいだ。犬神サマなだけに、後光が射して見える気さえする。
「どうだろうか?」
本気で困っているような顔だったので、俺に合わせて人間の姿になってくれているシロガネに対しての申し訳なさがこみ上げる。
「い、犬の姿に戻ってみたらいいんじゃ?」
何の解決にもならないような提案をしてみたけれど、シロガネはさらに渋い顔になって首を横に振る。
「それがどうにも無理なのだ。身体の一部が通常でないせいか、先ほどから戻れずに困っておる」
本当に困ってたのか……。
シロガネは未経験であろう身体の変化や、犬の姿にも戻れないことに対して、ただ不思議がっていた。不安はなさそうなのは、持ち合わせた風格のせいでそう見えるだけだろうか?
中谷のイジメをスルーしていた自分に情けなさを感じたのは、つい先日のことだ。あの時俺は、別にこれからは正義の味方になろうとまでは思わなかったけれど、困っている奴がいれば手伝うくらいのことはしても良かったのにな、と思った。
で、今目の前でシロガネが困っている。とても本気で困っている。犬神サマなのに、自分の無知を認めて、人間の俺に頼っている。
さすがにそれを無碍(むげ)にできるほど、俺も腐っていないし、腐りたくもなかった。
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