第5話

 目が覚めると、外はどうやら既に明るくなっているらしい。小屋に窓がなかったので、扉を薄く開けてみたら、やっぱり昨日の緑色の草原の上に小屋が立てられていたことがわかった。

 何て言うか、中途半端にすげぇな。一瞬でこんな小屋とか、あんなベッドとか作れるのに、多分知らないからこのギャップも気にならないんだと思う。

 そう言えば昨日一瞬だけあった幻みたいな宮殿も、犬神サマが作ったんだろうな。崩壊したのに怪我ひとつなく、残骸の欠片も残っていなかったところを見ると、本当に幻だったのかも知れない。俺に対する度胸試しとか、そういうやつだろうか?

 いずれにせよ、眠らないという犬神サマではあったけれど、昨日いた場所にはただ同じような草原が広がっているだけで、やたら豪奢な玉座もなかった。別に俺が起きるまでそこにいると期待していたわけではないけれど、こちらから犬神サマを呼び出す方法がないことに気付いたので、少し途方に暮れる。

「つっても、別に何も面白いこと考えついたわけでもないしな」

 外が暗くなり、しばらく眠った(つもりになっていた)ら明るくなっていたというだけで、実際には俺がどれくらい眠っていたのかはわからない。制服の胸ポケットにスマホがなかったので、まぁあの落下が本当に経験したことだとすれば、どこかに落としたのはほぼ間違いないだろうし、どこを探したところで、多分見つかりもしないだろう。だって、俺が落ちてきたあの穴さえもうどこにもないのだから。

 そう言えば学生鞄も持ってないし、完全に手ぶらで自分の身ひとつ状態だ。スマホだけでもあれば、まぁ電波は通じるわけもないだろうけど、オフラインでもできるパズルゲーム程度なら入れてあるし、犬神サマも見たことないだろうから、興味くらいは引けるかと思ったんだけどな。

「起きたか人間」

 右後方から声が聞こえたので振り返ると、昨日と同じように人間の姿になり、大きな身体を窮屈そうに玉座に沈ませた犬神サマがいた。

「ああ、おはよう、ゴザイマス」

 犬だけど神様っていうから、なんか扱いにくいなぁ。つい片言の敬語になってしまう。

「そういや、犬神サマって、名前はあんの?」

 ずっとそこにいたのか、どこからか俺が起きたのを見て現れたのかは知らないけれど、ひとまず探し回る手間がないのは助かった。

「あるにはある。ほとんど呼ばれたことなどないがな」

 そりゃまぁ、神様を名前で呼ぶ奴なんかいないか……と思って納得しつつ、その時の犬神サマの表情が淋しそうに見えた気がして、俺は思わず目を逸らした。もしかして、悪いこと訊いたかな? 地雷だった?

 そして何故だか先週自殺したクラスメイトのことを思い出す。

 名前は中谷といったが、有(あ)り体(てい)に言えばクラスの中で浮いていて、一部の奴からは結構なイジメに遭っていたらしい。みんなは「バカ谷」とか呼んでいた。確かに成績はクラス内だけでなく、学年全体で数えてもほとんど最下位組だったし、そんなふうにバカにされてもなおヘラヘラと笑っているようなヘタレだった。

 まさかそんな奴に、みんなが授業を受けている時間に学校の最上階から飛び降りるような勇気があったなんて驚きだ。

 俺はそう積極的に関わったこともないし、イジメに加担していたつもりはないが、だからと言って中谷をかばってやったことももちろんない。普通によくある日常の一部として、特に気に留めることもなくスルーしていただけだ。それを罪深いことだと言うのなら、まぁ地獄に堕ちる理由にはなるんだろう。

 クラスでは「バカ谷」で通っていたけれど、そう呼ぶことすら面倒な奴は、「あいつ」とか「アレ」と呼んでいた。一度は「あのうんこ野郎」と陰口を叩かれているのを聞いてしまったことがあって、さすがに俺も嫌な気分になったものだ。

 相手にするのも嫌なほどに嫌いなら、無視しておけばいいだけなのに。わざわざ関わりに行って、相手を傷付けるほどの感情を、俺はまだ知らない。好きでもない相手にわざわざ時間を割くくらいなら、俺は受験勉強でもしてた方がマシだ。

 その日の二週間ほど前に席替えがあって、俺は窓際の一番後ろの良席を引いた。そして事件当日は十一月になっていたというのに、冬服が憎くなるほど暑かった。だから俺は一番後ろの窓際席なのをいいことに、少しだけ窓を開けて風通しを良くしていたのだ。

 思えば、中谷も暑さのあまりに発狂でもしたんだろうか? だからあんなふうに、角にある俺たちのクラスからちょうど見えるような位置で、屋上は当然施錠されているから四階という低さの中でも一番高い手すりのところまで登って。それはあまりにも計画的な発狂だとは思うけれど。

 あいつをイジメていた主犯格の三人はもちろんのこと、無関心を装って気に留めなかった俺も含めたクラスメイトや、見て見ぬふりをし続けた教師たちに対する見せしめのように、驚くほど大きな声で「ぎゃあっっっっっっほぉぉぉぉぉぉいぃぃぃぃぃ────!!!」みたいな獣じみた声を上げながら、驚いてみんなが自分の方を向いたことを確認した上で、飛び降りた。

 俺は中谷が、何だかニヤリと笑ったように見えてちょっと怖かったのを覚えている。冷静な狂気、的な。

 本当は利口な奴だったんじゃないかと思う。あんなに激しいアピールをしてまで飛び降りを決行し、多分計算に入れていたのであろうコンクリートがむき出しになっている着地点に見事に頭から落ちて、たかだか学校の校舎の四階程度の高さから、特別な勢いをつけもせず飛んだだけなのに、ちゃんと死んだ。目的を完遂したんだろう。

 もちろん学校側がイジメを認めるはずがないのは、昨今のテレビを見ていれば、誰でも知っている。学生である俺たちからすれば、全国にある学校の中に本当の意味で完全にイジメがないところなんてないと断言できるくらい、どこにでもある話だ。完全通信制でもない限り、人がたくさん集まれば、好きなタイプや嫌いなタイプの奴に出会うだろうし、それだけなら何も学生に限った話ではないと思う。しかし、誰かを攻撃していないと自分自身を落ち着けることのできない奴もいれば、いじめられるままにどうすることもできない奴も多い。

 そして学校は学生が一日のうちの大半を過ごす場所であり、多くの規則や教師の目に縛られて身動きが取れないところだ。そのくせ、その教師に助けを求めても、誰もまともに働かないという壊れた社会。こんな奴らがいるせいだろう、公務員という職種が敵視されるのも無理はないと思う。

 ただ、中谷の場合は、本人の対処がすごかった。授業中の学校で多くの生徒の注目を引きながら飛び降り自殺をするくらいなのだから、見ず知らずの人間が聞いても「もしかしてイジメがあったりしたんじゃないか?」と推察することなどまったく簡単過ぎる話だ。当然中谷の両親は、学校に訊いた。返ってきた答えは「うちの学校にイジメはありません」というテンプレ的なものだけ。俺たちクラスメイトも校長あたりから事情を聞かれることはなかったし、匿名のアンケート用紙さえ配られなかった。

 ある意味、うちの学校の塩対応ぶりの酷さに、学校を辞めたくなったくらいだ。実際にイジメに遭ったことのない俺がそうなのだから、現在進行系でイジメられている他の生徒などは、真剣に転校か引きこもりを考えたのではないかと思う。命ひとつが、あり得ないほどの軽さで扱われたのだから。

 しかし、当然納得のいかない中谷の両親はすぐさま息子の部屋を捜索し、日記と呼ぶには多すぎる量のノートを発見したらしい。読んでみると、まぁ俺たちクラスメイトは暗黙で知っている主犯格の男子生徒の名前がフルネームで書かれていて、いつ、どこで、どんなふうに、何をされたかということを、想像だけでは補えないほどの詳細な鮮明さで書かれてあったという。とても「捏造だろう」なんて言いがかりができそうもないレベルだったらしい。

 俺は日記をつけたことなんてないから詳しくはないけれど、一般的な日記帳は、基本的にA5かB4サイズが多く、一日一ページ構成だと思う。しかし、中谷が書きたいことを全部書くには、それではスペースが少な過ぎた。だから、なるべく枚数があって罫の幅の狭い大判のノートを使い、適当で大雑把そうな見た目に反して小さく几帳面な文字で、事細かに毎日の出来事──主に学校でのイジメのことが書かれてあったとか。

 中谷の両親は当然それを学校に持ってきて抗議する。その時には既に弁護士も一緒に来るほどだったので、もはや学校側に責任逃れのできる方法はなかったようだ。

 まだ中谷が死んでから一週間しか経っていないのに、俺がここまで知っているのは、それほど早い展開だったということだ。

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