第10話 腐ってしまった私の前に現れたのは不思議な老人でした。
それからもベニーからの招待状が幾度となく届いていた。
恐らく私がシナーノ王子の妹と会っている事に気づいたのだろう。
私はアップルちゃんの言う通り、ベニーからの手紙を破り捨てた。
どうせ行った所で、またろくでもない仕打ちをするに違いない。
もちろん、手紙だけではなく兵士が直接出向く事もあった。
「王女様! 王女様! どうかお開けください!」
兵士がドアをドンドン叩いて呼びかけるが、私は一切応じなかった。
あまりにもしつこいので、アップルちゃんに頼んで、見張りをしてもらう事になった。
そのおかげかどうかは分からないけど、兵士が来る事はなかった。
私は王子の事を忘れようとした。
忘れれば楽になると思ったからだ。
こんな事になったのは、私が葬式の当日に川の近くでミントを摘んでいたせいなのだが。
けど、不思議な事に王子を忘れよう忘れようと思うと、兄との思い出が鮮明に浮かび上がって来るのだ。
その幻の兄はまるで生きているかのように、私に話しかけたりしてくれた。
私は嬉しかったが、今度は兄が死んでしまった日の出来事が脳内で再生されてしまった。
森の中を散歩するのが私と兄の日課だった。
兄は王国の跡継ぎで忙しいのに、必ず時間を見つけては私の小屋を訪れていた。
話す内容は刺激的だった。
メイドと執事が駆け落ちしたらしいとか、あの兵士は王妃とデキているとか……ドラマチックな内容を話してくれた。
今思えば、兄が私を楽しませるための作り話だったかもしれない。
小さい頃から呪いの子と言われていたから……でも、どうでもいいや。
あぁ、もう駄目だ。
駄目だ。駄目だ。
何も考えられない。
何も思い浮かばない。
アップルパイ作りに熱心だった私の心がいつの間にか崩壊してしまった。
どうしちゃったのかな。
ここ一時間くらい何もせずにボゥとしている。
キッチンに立って紅茶を淹れようとしたら、そのまま蓋が揺れるまでジッと見ていて、危うく火傷しそうになった。
よほどあのパイで心を痛めちゃったのかな。
それとも妹に会ってしまったから?
オーリン……可愛かったなぁ。
私なんかより比べ物にならないくらい愛しさを感じた。
ベニーもそうだ。
スタイルも顔も格別だ。
みんなからチヤホヤされて……あぁ、考えただけで頭が痛くなる。
――トントン
私が自己嫌悪に陥っていた時、突然ドアの方からノックする音がした。
その音に私は我に返った。
一体誰だろう。
兵士はもう来ないはずだし……アップルちゃんかオーリンかな。
なんて思っていると、またしてもノックが鳴った。
「はーい」
私は急いで駆け寄り開けてみると、黒いローブを着た老人が立っていた。
随分腰が曲がっていて、顔は少しだけだがシワが垣間見えた。
あと、鼻が大きくて先が曲がっていた。
「こんばんは、お嬢ちゃん」
老人はしゃがれた声で挨拶してきた。
「はい……あの? 何か?」
私は要件を聞くと、老人は「いやいや、別に怪しいものではない。ただお庭に生えている林檎の実が腐っていて、地面に落ちているのが気になってな……」
「え?」
私は老人を押し退けるように外に出ると、すぐ木の方を見た。
老人の言う通り、木の下には林檎がたくさん落ちていて、どれも虫が
「あぁっ!」
私は居ても立ってもいられなくなり、林檎の木に抱きついた。
「ごめんね。私が斧で傷つけたばっかりに悪いものが入って病気になっちゃんだよね。ごめんね。ごめんね……」
私は何度も擦りながら謝った。
「まぁ、そう気を落とす事はない。良ければ、その腐った林檎の実をワシにくれないか?」
「……どういうことですか?」
老人が思いもよらぬ事を言ってきたので、思わず聞き返してしまった。
老人の顔は見えなかったが、ローブの中で笑っていた。
「いや、別に変な事はしないよ。ちょっとした薬に使うのさ。もし、くれたらその木を直してやる」
「ほんとですか?!」
「あぁ、もちろん」
私はすぐに地面に落ちている腐った果実をエプロンの上に乗せた。
こぼれ落ちそうなくらい乗っけると、「どうぞ」と言って見せた。
「ありがとう。これだけあれば良い薬ができるよ」
老人は明るい声で言うと、大量にあった林檎が一瞬にして消えた。
「では、取り引き成立……ということ事で」
老人はそう言って、指を鳴らした。
すると、林檎の木が光に包まれていった。
あまりの眩しさに目を逸らした。
収まるまで待ってから木の方を見ると、さっきまでとは打って変わって、生き生きとしていた。
幹に斧の跡もない。
「うわぁ……」
私は今にも泣きそうな声で、木に抱きついた。
「良かった。本当に良かった……これでまた美味しいアップルパイが作れる」
私がボソッと呟くと、老人は「もちろん、何個でも作れるさ……ただ一つ教えてあげよう」と話してきた。
「何でしょうか?」
「次、実が成る林檎は三種類ある」
「三種類?」
「そうだ。とびきり美味しい林檎と普通の林檎、恐ろしくマズイ林檎の三種類だ。
全部で七つ成ると思う。いいか、金色が一番まずくて、腐りかけの見た目が最高に美味しいんだ」
「え? 逆じゃないんですか?」
「いやいや、あの木はあべこべなんだ。絶対に間違えるなよ。取り返しのつかない事になるからな……」
老人はそう言うと、とても腰が曲がっているとは思えないくらいスタスタと歩いていった。
「あ、あのっ!」
私は老人の背中に向かって叫んだ。
「あなたは魔法使いなんですか?」
そう聞くと、老人は立ち止まって振り返った。
「ワシはただの老いぼれさ」
老人はそう言って、森の奥へ消えていった。
つづく。
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