第9話 あなたに会いに行きたい、暮らしたい……けど、姉が怖い

 なぜ彼女がこんな所に来たのだろう。

「アップルちゃん、隠れ……」

 私は熊に身を隠すように言ったが、もう既にいなくなっていた。

 さすが人の言葉を話せる賢い熊だ。

「あの……ユキ様でお間違えないでしょうか?」

 その女性は黄緑色の前髪をサッと整えた後、恐る恐るといった口調で聞いてきた。

「そうですけど……どうしてこの場所が分かったんですか?」

 まさかベニーの手先かもしれないと思い鋭い声で聞いた。

「いえ、兄からこの話を聞いたので」

 兄? という事は……。

「もしかして、シナーノ王子の妹ですか?」

 私がそう尋ねると、彼女は「ハイッ! 妹のオーリンと申します」と丁寧にお辞儀した。

 その優雅な話し方、滲み出る品性の高さ……間違いない。

「し、シナーノ王子の! えっと、あの……散らかっていますけど……」

 私はドギマギしながら彼女を中に入れた。

 オーリンはお邪魔しますと頭を下げた後、私の部屋を見渡した。

「素敵なお家ですね。木の香りが心地良い」

「そうですか? 私はもう慣れましたけど……あ、紅茶飲みますか?」

「えぇ、ぜひ」

 王子と兵士以外の来客は初めてなので緊張していた。

「どうぞ。お好きな所を……汚い所ですが」

 私はオーリンを椅子に座らせると、キッチンに向かった。

 アップルちゃんが沸かした紅茶を温め直して、カップに注いだ。

「えっと……ご用件は?」

「はい。先程のお茶会の事で」

 お茶会――この言葉に私はポッドを落としそうになったが、どうにかテーブルの上に乗っけた。

(大丈夫。落ち着いて)

 私は心の中で深呼吸した後、彼女と向かい合った。

「な、何か、私が作ったパイに問題でも?」

「いえいえ! ユキ様がお作りになられたアップルパイは絶品でしたわ! 兄から『ユキの作るアップルパイは美味しい!』という話を延々と聞かされましたから……」

 あぁ、よかった。

 冷めている事に怒っているのかと思った。

 じゃあ、彼女が聞きたいのは……。

「それよりもユキ様が食べられたパイについてです」

 やっぱり、そうか。

 再び緊張がはしった。

「あ、あれが何か?」

「ベニー様がお作りになられたパイを食べた途端、急に顔色を変えて噴水の方に吐かれましたよね?」

「そ、そうですね……あの、あれはむせちゃったんです」

「本当ですか?」

 オーリンの視線が鋭くなる。

「もしかして何かパイに仕込まれていたんじゃないですか?」

 かなり的確な予想に私の心臓が跳ね上がった。

「な、何か証拠とかはあるんですか?」

 私がそう聞くと、オーリンは首を振った。

「いや、残念ながら……ユキ様が去った後、私はすぐにパイの方を確認しようとしました。ですが、メイド達にすぐに回収されてしまいました。

 後は汚いですが、噴水の方に浮かんでいるものを見ようとしましたが、綺麗にされていました」

 なんて仕事が早いんだ。

 証拠隠滅のスピードが並の速さではない。

 恐らくこうなる事を前提にシミュレーションしてきたんだな。

 だから、あんなにテキパキと動けるんだ。

「そうなんですね」

 私は一切興味がないと言った口調で紅茶を飲んだ。

 すると、オーリンは「兄から話は聞きました。あなたが呪われている事を」と重々しい雰囲気で口を開いた。

 あぁ、やっぱり、そっちの方も話していたんだ。

 オーリンは前のめりになった。

「あなたがもしその呪いが原因でベニー様からイジメられているのでしたら……私の国で暮らしませんか?」

「……え?」

 暮らす? 暮らすって……シナーノ王子がいる所に?

「けど、いいんですか?」

「えぇ、私も兄も喜んで迎えます」

「でも、あなたとは今日会ったばかり……」

「だからこそ、今日尋ねてきたんです。実はユキ様の事を疑っていたんです。もしかしたら魔法で兄を誘惑しているんじゃないかと思って……ですが、私の思い過ごしでした。あなたはとても気品がある身も心も美しいお姫様です」

「い、いえ、私には身に余る言葉です……」

「決してお世辞ではございませんわ。どうかこんな寂しい小屋で暮らさないで、私の国へ来てください」

 私は迷った。

 行くべきか、行かざるべきか。

 あの王子と会えるなら私は喜んで返事しただろう。

 しかし、ベニーの言葉が脳裏を過ぎった。

――もしまた接触しようとしたら

 芋虫の死骸が入ったパイを思い出し、吐きそうになった。

 またシナーノ王子と会った事がベニーの耳に入ったら、どんな報復が待っているか、わからなかった。

 いや、そうならないように王子の国の警備を厳重にして守ってもらえば……うーん、どうだろう。

 ベニーの事だから何かしらの手段を使うかもしれない。

 これ以上姉の逆鱗には触れたくない。

「せっかくのおさそいですけど……申しわけございません」

 私は丁寧に頭を下げると、オーリンは「そうですか……」と悲しげな顔をした。

 そして、紅茶を全部飲むと、「では、気が変わったらお手紙をください」と言って玄関の方に向かった。

 慌ててドアを開けると、入り口には翼の生えたドラゴンがいた。

 思わず腰が抜けそうになったが、オーリンが「大丈夫です。私の使い魔ですから噛みませんよ」と言って大きな鼻を撫でた。

 ドラゴンは小動物みたいな声を出して喜んでいた。

「それではまた」

 オーリンはそう言ってドラゴンに乗ると、天まで羽ばたいて去ってしまった。

 私は茫然と空を見る事しかできなかった。


つづく。

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