第5話 私が幸せになっては駄目なんだ

 シナーノ王子と心ゆくまで踊り明かした後、私は家に帰った。

 けど、いつもみたいに独りじゃなかった。

 月明かりも届かない鬱蒼とした森の中、私は王子の隣に寄り添うように馬車から降りた。

 私が城とは別に住んでいると言うと、彼が玄関前まで送ってあげると言って、馬車に乗せてくれたのだ。

「こんな所で君は暮らしているの?」

 王子が片手に灯りを持ちながら聞いてきた。

 初めて会った時は丁寧な口調だったが、すっかり昔からの親友みたいな砕けた口調にか

「そうです。ここが私の家……なかなか立派でしょ?」

「それは……うーん、なんというか……もし狼や熊が来たらどうするの?」

 王子が私の身の安全を心配してくれているようで、胸が高鳴った。

「ご心配には及びません。ちゃんと自衛は心得ています」

 私はそう言って、ドアを開けてすぐ近くの壁に立てかけてある斧を持った。

「これを振り回したら大抵の猛獣は逃げます」

 私が斧を見せると、王子はビックリしていた。

「僕が思った以上に勇敢だね。けど、斧だけだと万が一集団で襲われた時に不利になると思うけど」

「その時は……アップルパイを渡して許してもらうんです」

「アップルパイ?」

 思わぬ返しだったのか、王子が目を丸くしていた。

「そうです。あそこにある木が見えますか? 今は全部採ってしまってないのですけど……あそこからいくつか林檎を取って作るんです。

 ある時、熊がやってきて、斧を持って立ち向かったんですけど、ますます凶暴化するだけで今にも襲いかかってきそうでした。

 そこで食べ残していたアップルパイをあげたんです。そしたら、数日後。また熊がやってきました。今度は吠えずに何か訴えるような眼差しを向けました。

 私は瞬時にアップルパイが食べたいんだなと思いあげてみると、熊は喜んで食べてくれたんです。

 私は勝手にアップルちゃんと名付けて、定期的に熊にアップルパイを……」

 すると、話の途中で彼は大笑いしていた。

「まるでおとぎ話みたいだ! 確かに斧よりも甘いものの方が穏やかだしいいね!

 もしかしたら、その……アップルちゃん?が君を守ってくれているのかもね」

 王子の言葉に私はまた何か思い出した。

「確かに言われてみたら、アップルちゃんが来て以来、全然狼とかが寄り付かなくなりました……」

「ほら、やっぱりそうだ……」

 彼が指を鳴らした瞬間、私のすぐ近くでお腹が鳴った。

 シナーノ王子は「……失礼」と頬を林檎の皮みたいに染めて咳払いした。

 私はそれが堪らなく可愛くて、つい笑ってしまった。

「もしよかったら食べていきませんか? ただかなり冷めていますが……」

「構わないよ。凶暴な熊を魅了させる魔性のアップルパイをぜひ食べてみたいね」

 王子はそう言って家の中に入った。

 私はすぐに部屋全体を明るくさせると、小人の前に置いてあったアップルパイ一切れをフォークと添えて渡した。

「はい、どうぞ」

「あぁ、いただくよ……」

 彼はチラッと椅子に座っている陶器の小人達を見た後、立ったまま一口食べた。

「え?」

 すると、何故かシナーノの瞳孔が開いた。

「お口に合いませんでしたか?」

 私は心配になってそう尋ねると、王子は首を振った。

「むしろその逆です。冷めているはずなのにこんなに美味しいだなんて……素晴らしい料理の腕をお持ちですね」

「そんな……恐縮ですわ」

 王子は瞬く間に食べ終えると、おかわりを要求してきた。

 私は一切れを渡すと、またあっという間に平らげて……気がついたら小人全員の分を平らげていた。

「最高だった」

 王子は軽くゲップをして感想を言った。

 私はそれもおかしくて小さく笑っていた。

 こんなに笑ったのはいつぶりなのだろう。

「そろそろ行かないと」

 シナーノは悲しそうな顔をして言った。

 奈落に落とされたような心地になった。

 このまま永遠に彼と……いや、駄目だ。

 考えちゃ駄目だ。

 そんな幸せなこと。

 だって、私は呪われているんだから。

 人を愛してはいけない。

 愛してしまうと不幸になる。

「そうですね。もう二度と会う事はないと思いますが」

 私はあえて冷たく答えた。

「急にどうしたの?」

 王子は明らかに困惑していた。

「今日はとても楽しかったです。ですが、正直な所、あなたにはガッカリしました」

「……え?」

「あなたは今日会ったばかりの女性の家に堂々と上がり込んで、アップルパイを全部食べるなんて……無礼だと思わないんですか?」

「けど、君が快く……」

「普通断るのが礼儀なんじゃないんですか? そんなに浅ましい人だとは思いませんでした。幻滅です」

「な、な、え? どうしたの? 急に態度を変えて……」

 私は王子が言い終えないうちに斧を持って構えた。

「さぁ、早く出ていって! でないと、薪にします!」

 これに王子は「分かった。分かったよ……すまなかった」と言って出ていってしまった。

 外で馬が走る音がする。

 もう立ち去ってしまったのだろう。

「あぁ……」

 私は全身の力が抜け落ちるかのように斧を手から離した。

 そして、膝から崩れ落ちた。

「あぁ、なんて酷い事を……」

 私の馬鹿。

 あんな態度で接したら二度と会えないじゃない。

 私が彼の家に招き入れたのに、自分勝手な言い訳で追い返すなんて……最低よ。

 せっかく運命の人に出会えたかもしれないのに。

 兄と瓜ふたつの彼に……。

 私は地面に突っ伏して嗚咽を漏らした。

 隙間風が吹いて、灯りが全部消え、真っ暗になった。

 孤独だ。

 また孤独に戻ってしまった。

 闇の中、私の頭の中に王子との楽しい思い出を浮かびながら今の悲惨な現実に胸を痛め、それが涙となって流れ落ちていった。

 今日の夜はいつも以上に長く感じた。


つづく。

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