第44.2話-陸 六日目。午後。1-A(後編)

「ああ……やっと、やっと私のところに来てくれたのね」


 陸の胸に顔をうずめたひまりは、感無量かんむりょうそうに言った。


「10年……ただ待つだけには長すぎる時だったけど、でも諦めなくてよかった。だって今の貴方のこんなにも大きく温かくて……」


 またその話。――ひまり自身にしか分からない回想に、陸の心はさざ波立つ。

 昨夜も朱音から同じことを聞かされたけど、陸にはなんのことだかさっぱりだ。


 ――こいつ、ひまセンパイじゃなくて神霊なんだよな? いや。神って言うよりは妖怪か。


 陸は、以前奇稲田くしなだから教わったことを思い出した。


 彼女は言っていた。神も妖怪も本質に違いはなく、それが害を成す存在か否かで、その呼び方が変わるのだ、と。

 なら、朱音あかねやひまりを利用し、咲久を傷付けようとするこの神霊は、神なんかじゃなく妖怪。


 でもそうなると、気になってくるのがその正体だ。

 あの奇稲田の鏡を塵に変えるほど妖怪なんて、只者じゃない。


 ――そう言えば昨日の夜、あいつ名乗りかけていたっけ。確か、コノハなんとか……って。


 木の葉○○○。


 なんかキツネかタヌキみたいだ。陸は思った。すると――


「ふふ、ぼーっとしてるわね? どうしたの?」


 上の空になっていた陸に、ひまりが尋ねた。


「あ。や、なんでも」


「そう? ならいいのだけど」


 陸の答えに、また顔をうずめる彼女。


 危ない。油断しすぎた。今はひまりの注意を自分だけに向けさせなくちゃいけないのだ。もし海斗かいとたちの存在に気付かれたら、咲久さくの救出も絶望的になる。


 陸は自分を戒めた。


 ◇ ◇ ◇


――私、貴方のこと好きじゃないことにかわりはないの――


「は?」


 突然聞こえてきた声に、陸ははっとした。


「え? センパイ、今なんて?」


 尋ねた陸。

 聞き間違いだとは思う。けど、今確かにひまりの声が聞こえた気がして……

 けれど、そんな陸に当のひまりは、


「? なにも言ってないわ?」


「……」


 空耳? 陸は気を取り直した。


 するとまた。


――私、貴方のこと、好きじゃないの――


「ええっ?」


 陸は自分の胸の中にいるひまりを見た。でも彼女、なにかしゃべった様子はない。


 そう言えばこのセリフ、聞き覚えがある。たしか、遊饌ゆうせんに行った時、ひまりに言われたやつで……


――私、貴方のこと、好きじゃないの――

 

「でもセンパイ! オレのこと待ってたって!」


 動揺どうようした陸はつい声を荒げた。

 こんなのおかしい。だって今、ひまりは自分の胸の中にいるのだ。なのに――


「ふふふ……貴方さっきから、なにを言っているの?」


 ひまりが優しく微笑みかける。


 けれど、そうしている最中も、謎の声は聞こえ続けていて……


――私、貴方のこと、好きじゃないの――

――私、あなたのこと、好きじゃないの――

――私、陸のこと、好きじゃないの――

――私、リクのこと、好きじゃないの――

――わたし、リクのこと、好きじゃないの――

――わたし。実はリクのこと、好きじゃないの――

――わたし。実は昔から、リクのこと、好きじゃないの――

――わたしね。実は昔から、リクのこと、好きじゃなかったの――




 その空耳は、いつの間にか咲久のものへと代わっていた。


「やめて……! やめ……!」


 陸は動揺どうようした。

 どうしても消えてくれない。どうすれば消えてくれるのか!?

 このセリフ、ひまりに言われたって傷付いたのだ。なのに、それをよりにもよって咲久に言われたら――


――わたしね。実は昔から、リクのこと、嫌いだったの――


「もう……分かったから……やめて……」


 陸はがっくりと崩れ落ちた。


 ◇ ◇ ◇


「……嫌われた……サクに……ハハ……」


 放心した陸は、立っていることもできずに、座り込んでしまった。

 すると、そんな彼を優しく包み込んだのはひまりで、


「大丈夫よ。どんなにつらい事があっても、私がついているから」


「うう……セ、センパぁイ……」


 陸はひまりに泣きついた。




 ああ。

 センパイ。

 温かい……

 優しい……

 そう言えば、

 センパイってサクよりもキレイだよな。

 しかも、

 こうしてると、

 なんかいい匂いもするし……

 ああ。

 今オレ、

 すっげー幸せかも……

 やっぱリ、

 オレ、

 サクなんかよリも、

 センパイの方ガ、

 好キ……

 なの……

 かモ、

 知……レ……


「センパイ……好きっス。付キ合ってくだサイ」


 自分の本当に気持ちに気付いた陸は、ひまりに告げた。


「ええ喜んで」


 そしてひまりも、彼の気持ちを受け止める。


 ――そうダ。オレが本当に好キなのハ、サクなんかジャなくテ、コのヒトだっタ。

 バカだなあオレ。こんナの、10年モ前から、分かってタこと、な……ノ……に……

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