第39.1話 六日目。昼。1年教室前廊下(一)

 4階・一年教室前廊下――


 咲久さくを正気に戻す。――そのためならいくらでも頑張れるりくだったけれど、そんな彼の意気に反して、事態は一向に改善する気配がなかった。




「あ、あのさあサク……まずは一旦落ち着こう? で、それから話を――」


「うるさいっ! 来るなっ!」


 陸が一歩前に出ると、その行動に身の危険・・・・を感じたらしい咲久が、怒りをあらわにして窓から身を乗り出した。


「も、もしあと一歩でも近づいたら、わ……わたし……ここから……!」


 ガタガタと体を震わせた咲久。今度は泣いている。たった今怒っていたはずなのに、この感情の振れ方。やっぱり普通じゃない。


「わ、わたしね。ちゃんと知ってるんだよ? りっくんが本当は優しい子だって。でも女の子を自分の欲望のために道具にするなんて、そんなこと絶対に許せないじゃない? ……だからわたしは全部終わりにするの。大丈夫。りっくんのやったことはお姉ちゃんが全部背負しょってってあげる。だからりっくんはもう二度と女の子と関わっちゃダメ。一生一人で生きて、そして死ぬの。分かった?」


 言ってることが滅茶苦茶だった。

 けど、その滅茶苦茶ぶりがかえって陸を戦慄せんりつさせる。


 正攻法じゃ通じそうになかった。かと言って、相手をだませるようなしたたかさを、高校生の陸が持ち合わせているはずもない。


「サク! オレ、絶対にサクが言ってるみたいなことしてないから! だから話だけでも――」


「この大ウソつきっ! やっぱり男子なんてみんな同じなんだっ!」


 また怒り出した咲久。きっとこれは理屈じゃない。


 いつもの彼女なら、どんな状況だろうと、こっちの言い分は聞いてくれた。でも、これじゃ……


「なあ。だったらどうすればオレのこと信じてくれるんだよ? オレ、サクにウソついたことなんて――」


(待て! 止まれい!)


 奇稲田くしなだが厳しく制止した。


 夢中になるあまり、また一歩踏み出しかけていたのだ。


(慌てるでない陸よ。ここは慎重に、慎重にじゃ。今この瞬間こそが娘の運命の分水嶺ぶんすいれい。破滅か生存か……娘のためには耐えることもまた必要と心得よ)


「……っす」


 陸は答えた。けど、嫌な汗が噴き出して止まらない。


 最悪の事態だけはなんとしても避けなきゃいけないのに、最悪の事態以外の道筋が見えてこないのだ。

 今の咲久は、話を聞いてくれない上に、こっちがどうするとか関係なく、なにをするか分からない。


「耐えるだけって……それでなんかあったら、それこそ取り返しつかないじゃないすか」


(大丈夫。必ず機は来る。それまでの辛抱じゃ)


「なんでンなこと……」


(あともう少し。ほんの少しの辛抱じゃから。ふふ、そなた、やれば出来る子じゃろ?)


 思わず脱力してしまいそうな奇稲田の応援だった。けど陸には、その緩さがかえって信頼できるように感じられて。


「なんか作戦みたいなのがあるんすね?」


(さて、それはなんとも。じゃがわらわ、知っての通りれっきとした神様じゃし。しかも結構有名な方の神様じゃし。信じてみるだけの価値はあるやも知れぬぞ?)


 変に緊張感のない奇稲田の言葉が、陸を勇気付けた。

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