第38話-海斗 六日目。昼。川女付近。

 りくたちが川女かわじょで奮闘していた頃、海斗かいとは――




 ピッ――ガコンッ。


「もう昼休みかあ……」


 ただ一人、学校周辺の見回りを担当していた海斗は、今自販機で買ったばかりのスポドリのキャップをひねりながら、向こうに見える川女の校舎を眺めていた。


「陸君たち大丈夫かなあ?」


 そう呟いてスポドリをグビリ。冷たい刺激に胃がビックリしたのか、呼応するように空腹を感じ出す。

 天気予報によると今日は今年一番の暑さ、夏日になるらしい。


「ふう……ちょっと休憩」


 さすがにへばってきた海斗は、ムダに重たいバッグを地面に置いた。

 このバッグ、陸のだ。咲久さくの制服なんかが入っていたせいで川女に持っていけなくて、海斗が預かっていたのだ。

 

「まあ服泥棒だと思われたら、陸君の方が先に破滅しちゃうしね」


 海斗は、もしもの事態を想像してケラケラと笑った。


 もしそんなことになったら、それはそれで面白そうだ。勿論、陸はたまったもんじゃないだろうけど……

 でも制服が咲久の物である以上、本人が貸したと証言すればそれで済んでしまう話でもある。

 なら、こんな暑い中、自分が重い思いをしている意味って――


「あ。ヤバ。なんか急に力抜けてきたかも」


 あっという間にスポドリを空にしてしまった海斗は、お腹に目を向けた。


 今はお昼。陸たちと別れてから、もう何時間も歩きっぱなし。当然、お腹だって空いている。


「ああーなんかハンバーガー食べたくなってきた……」


 海斗はお腹を押さえた。市役所の隣にあるハンバーガーショップの名物バーガーを思い出してしまったのだ。




 表面はサックリしているのに中はふわっふわのバンズ。

 炭火の香りが食欲をそそるゴロゴロ&ジューシーなパテ。

 それだけでも十分美味しいのに、さらにはレタスにトマトに目玉焼き――と、高級バーガーには欠かせない名優たちが入ってきて、果てはパイナップルにレリッシュと――アクセントの面でも万全と言う完璧ぶりのあの名物バーガー。




「あー、もうムリ……」


 海斗は、とろっとろのチーズにBBQソースとスイートチリが交じり合った、あの完成された味を想像し、一人悶絶した。


 ◇ ◇ ◇


「ねえ、午後どうする?」

「パス。なんか期待してたのと全然違ったし」




 海斗が、濃厚でリッチなハンバーガーの誘惑と、陸たちへの義理の間で揺れ動いていると、向こうからやって来たのは、川女の生徒らしい二人組だった。




「環境生物学とか言うからさあ、わたし――環境の違いが生物の進化においてどんな影響を及ぼすか遺伝学と行動学の観点から考察する――とか、そう言うのやるんだと思ってたのに」

「いやいや。それはさすがにないって。てか待て。どんな高校だそれ?」


 なにやら意識に開きがあるらしい二人。


「でもさー、あれヤバなかった?」

「ヤバかった。あのバチーンってやつ」

「それな! あれ、氷室ひむろさんだっけ? 一年生の」

「うん。なんかあの人いつも見かけるけど、もしかして土講どこう全部出てたりする?」

「いやいやいやいや。さすがにそれはないっしょ。でもさ相手の男の人、気にならね? もしかしてカレシとか?」

「いやーないわ。あの人カレシとかいるタイプに見えないし」

「でもなんか痴話ゲンカっぽかったじゃん。あのあと氷室さん追っかけて教室飛び出してったし」

「あれは長谷はせさんに言われたから仕方なくじゃないの? ――あ! 長谷さんて言えば、ちょいヤバなかった?」

「ガチヤバかった! 『早く追いなさい!』ってやつ!」

「それな! 『私そこの人に用事あるから。いいから行ってあげて』だっけ? ――っかー! 長谷さんちょっとイケメン過ぎじゃね!?」

「あーなんかカレシ欲しくなったわー。どっかに落ちてないかなー? 私だけを愛してくれる男」

「いねーわそんなやつ」

「――――」

「――――」




「……ふーん。そう言う……」


 二人組の後ろ姿を見送った海斗は、入手できた情報を整理した。


 まず第一に「バチーン」とは?

 いやまあ、これはなんとなく分かる。痴話ゲンカとか言ってたし。


「陸君またビンタ食らったんだ……」


 海斗は苦笑した。


 なんだか最近よく引っ叩かれているみたいだけど、彼のほっぺたは大丈夫だろうか?

 もし腫れが引かなくなったりしたら大変だ。

 なにしろ腫れが引かなくなると言うことは、その部分がコブになると言うこと。

 てことは彼は若くして頬にコブを持つ「コブとり高校生」になるわけで、てことはそのうち鬼に踊りを披露して気に入られたり、その鬼から「気に入ったからまた今度踊ってみせろ。人質としてそのコブを貰ってくぞ」とか、言われたりしなくちゃいけなくなるわけで――




「ま、それはどうでもいっか。どうせぼくのほっぺじゃないし」


 海斗はどうでもいい創話を放棄した。


 そんなことよりも今重要なのは、そのあと咲久が逃げ出して、それを陸が追ったらしいと言うこと。


「『そこの人に用事』とか言ってたけど……」


 彼女たちの言っていたことが本当ならば、ひまりは一体誰に用事があったのか?

 いや。考えるまでもない。それはつまり――


「あーあ。ぼく一人で頑張ったのになあ……」


 川女ではすでに破滅の足音が聞こえ始めている。――そのことを知った海斗は、「ふう」と、一つ息を吐くと、次なる目標・川女に脚を向けた。


 が――




「……あー……でもやっぱりお腹空いた……このまま行ってもどうせ役に立てないだろうし、とりあえずコンビニで……」


 どうしても川女への一歩目が踏み出せなかった海斗は、くるりとその向きを変えた。

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