第37.1話 六日目。昼。生物室(前編)

六日目。お昼前。川女かわじょ




「――これは実際にあった話なんですが、とある自治体で山の中に道路を通す計画があったんです」


 今日の土曜講義のお題は、県内の大学から講師を招いての「環境生物学」だった。


「――道を通す場所だけに絞って伐採すれば、自然への影響も最小限で済むし交通事情も改善できる。――担当者はそう考えたんですね。ですがそうして実際道路を敷設してみると、その道路から乾いた空気が森に入り込み、山全体の環境が変化。植生を維持できなくなり、山の木々が死滅してしまったんです」


「……」


 そしてその講義を誰よりも真剣な表情で聞き入っていたのは、他でもないりくだ。


 しかも彼、ただ聞き入っているだけじゃなかった。手にしたペンがカリカリと常に音を立て、あっという間に紙面がびっしり埋まるほどの熱中ぶり。


「――森の減少は、その山の保水量の減少を意味します。ですから後に大雨に見舞われた時、その山では洪水・土砂崩れが発生。その山のみならず下流地域にまで甚大な被害をもたらす結果になってしまったんです」


「へえ」


 陸は感嘆かんたんの吐息を漏らした。

 控えめに言ってもおもしろかったのだ。


 たかが道一本通しただけで、その山どころか下流地域全体に被害を与えるなんて。


 そうして陸が新しい知識に感動していると、あっという間に時計の針が天辺を指し示し――




 キーンコーンカーンコーン――




「ふぬっく……ん」


 すっかり体が硬くなった陸は、講師が退出すると思い切り伸びをした。


 まったく乗り気じゃなかった土曜講義。でもこれだけに面白いのなら次回の受講も検討したくなると言うもの。


 陸がそんなことを考えていると、横にいるひまりが胡乱うろんな視線を向けていて……


「な、なんすか?」


 気付いた陸は照れた。


「いえ。まさか貴方がこんなに真面目な人だなんて思わなくて……」


「……とは?」


「熱中するのも結構だけど、まさか貴方、今自分がここにいる理由を忘れてるんじゃないでしょうね?」


「……理由? ……あ!」


 そうだ。今自分がここにいるのは咲久さくを破滅から守るため。決して土講どこうの面白さに目覚め、次回の開催を心待ちにするためじゃない。


「な、なに言ってるんすか? 忘れるわけないでしょ」


「そうかしら? そう言う割に随分と動揺しているようだけど?」


「や。そ、そ、そんなわけ――」


 陸は凛として否定しようとした。けど、その舌は思うように回ってくれない。


 勿論、自分がここにいる理由を忘れてないのは本当のことだ。


 まあ、講義が始まるとその理由さんがちょっとだけ旅に出ちゃったりもしたけれど、でもまさかそんな大事な目的を忘れるわけがない。


「なに言ってるんですか、ひまちゃん先輩!」


 陸がたじたじになっていると、擁護してくれたのは咲久だった。


「動揺? とんでもない! リクはいつだってこんなもんですよ。だってほら、想像してみてくださいよ? なにもないのに自信満々のリクですよ? ハキハキしゃべっちゃうリクですよ? もしそんなのが本当にいたりしたら――」


「……ん……ちょっと……気持ち悪い……かしら?」


「でしょう!」


 ひまりの返事に、力いっぱい同意した咲久。


 そして、そんな二人のやり取りに陸は……


「……え? オレってそんなに?」


 思っていた以上に評価がかんばしくない。たった今まで、色々あるけどきっかけさえあればワンチャン! とか思ってたのに、この言われ様。


「ねえリク。リクはいつでもこうだよね? ……て、あれ? リク?」


 落ち込む陸に気付いた咲久は、一体なにが彼をそうさせたのか、全然分かっていない様子だった。

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