第32話 五日目。夜。氷室神社。

 朱音あかねこそが破滅をもたらす黒幕だった。


 そんな彼女から、逃げるように神社まで駆けたりく

 彼は息も吐かずにその鳥居をくぐると、そのまま境内裏のもりに身を潜めた。




「な……な……なんなんすか、あれ?」


 上がった息を整えもせずに、陸は尋ねた。


(そなたも分かっておろう? あれこそ破滅をもたらす者の正体)


 奇稲田くしなだが答えた。


「や……やっぱり……」


 聞きたくなかった回答に、顔をゆがめた陸。


 朱音は敵側の人間だった。――その可能性を考えて、一度は彼女と行動を共にした陸だ。けれど、本当にその通りだったなんてことになると、それはそれでショックなのだ。


「……じゃ、どうします?」


(どうするもこうするも、敵が自ら正体を明かしたのじゃ。あとはもう真正面から対峙するのみ)


 いまいち覚悟が決まらない陸に、奇稲田は当然のように言った。


 でも、奇稲田の言うことはもっともだ。

 せっかく向こうから正体を現してくれたのだし、あとは捕まえるなり倒すなりしてしまえば、それで破滅の件はおしまいにできる。

 けど……


「でもなんか、オレを狙ってるっぽくなかったすか?」


 陸は朱音の言葉に引っかかりを覚えていた。


――10年……ずいぶん経っちゃったけど、もーいーですよね?――


 そう言った時の、朱音の失望の顔が頭から離れない。


 10年前と言えば、陸は5歳。まだ幼稚園に通っていた頃だ。けど、その当時に特にこれと言った思い出なんてなくて。


「ああー! なに10年前とか!? もうワケ分かんねー」


 頭を抱えた陸に、奇稲田も首をひねっていた。


 ◇ ◇ ◇


 杜の暗さにに慣れてきた陸は、今までなにをしていたのか奇稲田に尋ねた。


(うむ。実はわらわな。昨日今日と一宮いちのみやに行っておったんじゃ)


「は? 一宮ってあの一宮すか?」


(じゃ)


「『じゃ』て……」


 ▽ ▽ ▽


 一宮いちのみや


 それは、S県南東部にある、氷室神社本社が置かれた地のことだ。

 実は、川薙氷室神社かわなぎひむろじんじゃは、そこから御祭神ごさいじん勧請かんじょう分霊ぶんれいして創建したもの。

 だから、奇稲田にしてみれば一宮に行く=里帰り。と言えないこともないのだけれど……


 △ △ △


「なにやってんすかこんな時に……」


 呑気に小旅行に出ていたなどとのたまう奇稲田に、陸は嫌な顔をした。


 別に里帰りをとがめるつもりはない。けど、そういうことは状況を見てからにして欲しい。

 大体、あと二日で破滅の件も片が付くと言うのに、その二日が待てないなんて、彼女どれだけ帰りたがりなんだ。


(たわけ。別に遊びに行っとったわけじゃないわ)


 陸の考えを読み取った奇稲田が、彼を叱った。




 奇稲田が一宮に行った理由とは、次のようなものだ。


 ――神社にまつられている神様というものは、分霊ぶんれいだろうが本霊ほんれいだろうが、基本的に違いはなく同一の存在だ。

 でも本社と分社とでは、その社格・規模の違いから行使できる権能や精度に違いが出てしまう。


(じゃからわらわな。危険を承知の上で一宮に行っておったじゃが――ん?)


 つらつらと事情を説明していた奇稲田の様子が、にわかに変わった。


(なんじゃそなた? こんな時間に?)


「え? なんすか?」


(ああいや。なんでも――ああコラ、なにをしておる! そんな! 罰当たりじゃぞ!)


「なに? なんすか? あ! もしかしてシュオン!?」


 奇稲田の神域センサーに引っ掛かった!? 陸に緊張が走る。けれど奇稲田は、


(ああいや。そういうんじゃないんじゃが……すまぬ! ちと招かれざる来客があったゆえ、一旦切るぞ。 ――コレ! いい加減にせぬと、いかにウキ・・とて――)


 そこで奇稲田は消えた。


 ◇ ◇ ◇


 ササァ……と、夜風木々を撫でる中、陸は奇稲田が戻ってくるのをじっと待っていた。


「さむ……」


 鳥肌が立つような生ぬるい感覚に、身を縮めた陸。


 奇稲田と話している時は気にならなかったけど、夜の杜は実に気味の悪い場所だ。

 すっかり見慣れたはずのこの杜も、こんな時間だと全然知らない場所のように思えてくる。


「や。違うから。クシナダ様に早く戻って来てほしいって思ったのは、別にビビってるとかじゃなくて、ただ時間がもったいないって思っただけで……」


 陸は勝手に言い訳を始めた。けど、そうしていると、


 トン、トタッ……ガタッガタッ――


「うわあっ!」


 本殿の方から物音がしたような気がして、陸は飛びあがった。


 こんな場所で待てとかなんの罰ゲームよ?


 陸はおっかなびっくり本殿の方を見た。

 けれど聞こえてくるのは葉擦れと虫の音ばかり。

 だいたいこんな時間に、本殿から物音がするなんてあるわけがない。


「気のせい、だよな?」


 陸は「ハハ……」と肩の力を抜いた。

 すると――


(いやすまぬ。突然のことにちと手間取りおったが、おかげでちゃあんと――)


「ひええっ!」


 急に戻って来た奇稲田に、陸の心臓は破裂寸前だった。


 ◇ ◇ ◇


「へえーえ。川薙が一宮の分社なのは知ってたけど、そう言う違いが……ん? 本霊が本社にいて、分霊が分社に? てことはもしかして、クシナダ様って神社の数だけいるんすか?」


 本社と分社では出来ることが違うから里帰りしてた。――奇稲田が説明を再開すると、陸は疑問を口にした。


(いいや。どこにどれだけの数祀られていようと、わらわは正真正銘わらわだけじゃ)


 彼女は言う。「一宮に行った」とは、その方が分かりやすいだろうと言っただけで、厳密には「一宮に集中した」なのだ、と。


(こう例えると分かるかの? わらわが右手でスマホ。左手でガラケーをそれぞれ別のことをしておったとするじゃろ? 勿論ガラケーはガラケーでよい物なんじゃが、それでもガラケーでは用が足せぬ用事ができたゆえ、一時的に左手でスマホを使った、と)


「分かるような分かんないような……」


 奇稲田の例えに、首をかしげた陸。


「まあとにかく一宮に行ってたってことは分かったす。で、その成果はあったんすか?」 


(うむ。勿論じゃ)


 胸を張った奇稲田。


(実はな。ゆえあってしばらく疎遠になっておったてて様・・・に久々にお会いしたのじゃが……そりゃもう男らしゅうて男らしゅうて……むふぅ♡)


「は?」


 聞いてないこと話し出す奇稲田に、「なんかいろいろ言ってたけど、結局遊びに行ってただけなんじゃ?」と、いぶかしむより他にない陸だった。

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