?日目

第??話 ?日目 〇〇〇の〇の申す事には

 これは、今をさかのぼること少し。

 川薙かわなぎ万灯ばんとうまつりの裏であった、小さな出会いのお話――




 ――通りゃんせ 通りゃんせ




 誰もいない。うら淋しい神社。薄暮。


「ひぐっ……ぐずっ……」


 くらくてあおい夏の空。二十九日目の月の下。


 青い浴衣に身を包んだ男の子が、石鳥居の前で一人泣いていた。


「……おがあざん……どこ……?」


 呼んでも返事はない。


 いつもは来ない。知らない場所。ひとりぼっち。


「うあ……うああぁぁ……」


 もう会えない。男の子はますます泣いた。




 ざぁっ――と風が木の葉を鳴らす。


「どうしたの?」


 かけられた声に、男の子は顔を上げた。


 女の子。自分よりおっきな子。

 浴衣? ううん。ちょっと違う。似てるけど、知らない恰好。赤い、スカートみたいなのをはいている。


「おがあざん、どご……?」


 男の子は聞いた。

 迷子? ううん。そうじゃない。迷子とは違う。


「あなた、おなまえは?」


「ひぐっ……り、りっぐ……」


「りっく?」


 ふるふると首を振る男の子。


「り、ぐ……ンぐっ……」


「りっくん! あなたりっくんね?」


「うわあぁぁ~ん」


 頑張ったけどもう無理。男の子は泣いた。


「なかないでりっくん。だいじょうぶだからね」


 よしよし。女の子が抱きしめる。




「あなた、いくつ?」


「……」


 涙でぐしゃぐしゃの男の子。片手の指をみんな立てた。


「5……てことは……ふうん……」


 女の子、ちょっと考える。


「あのねりっくん。きょう、おまつりだから、りっくんのおかあさん、あっちにいるとおもうの。ちょっととおいかもなんだけど、いく?」


 女の子、鳥居の向こうを指差した。


「うん……」


 うなずいた男の子。女の子に手を引かれ、鳥居をくぐる。




 ――ここはどこの 細道じゃ

 ――天神さまの 細道じゃ




 石の道。でこぼこ道。細い道。

 大きい木。並んだ木。暗い影。


 鳥居の向こうは別の世界。


「だいじょうぶ?」


 女の子が聞いた。


 ざぁっ――と風が木の葉を鳴らす。


「あっ」


 ヘビがいる。男の子が立ちすくんだ。


「ここね。ちょっとこわいかもだけど、ちかみちなの。とおりゃんせのみち。しってる?」


 ふるふる。首を振る男の子。

 知らない。なにそれ。

 しがみつくように女の子の手を握る。


 あ。ヘビ。もういない。


 がんばって一歩踏み出す。


「ここね。ひむろとおなじかみさまなんだって。ひむろ、しってる?」


 ふるふる。首を振る男の子。

 知らない。怖い。なにそれ。

 帰りたい。おかあさん。


 ざぁっ――と風が木の葉を鳴らす。誰かの声が風に舞っている。




 ――ちっと通して 下しゃんせ

 ――御用のないもの 通しゃせぬ




 社殿が見えた。

 ううん。ずっと見えてた。でも見えなかった。暗いから。


「あ。ちょっとおまいりしてこ?」


 女の子が手を引いた。


「やあ……」


 ふるふる。首を振る男の子。

 怖い。大きくて。暗くて。ここは。来ちゃいけない。そんな場所。


「でもかってにとおるとかみさまがおこるの。ね?」


 女の子が力をこめる。

 抵抗する。勝てない。向こうの方が強い。ちょっとずつ引き摺られる。


「や……やーだー……」


 ふんばる男の子。

 怖い。すごく怖い。帰りたい。おかあさん。おかあさん。


 ざぁっ――と風が木の葉を鳴らす。誰かが叫ぶ声が風に流される。




 ――この子の七つの お祝いに

 ――お札を納めに まいります




「ここをとおしてください。このこのななつ・・・の××××に、×××を×××にまいります」


 社殿の前。手を合わせた女の子。ぺこりと一つお辞儀する。


「じゃ、いこ?」


 後ろに隠れていた男の子を誘う。参道を逸れ、広場に出る。


「もうこわくないよ。ほら」


 女の子は言った。

 ホントだ。灯りがある。ここは広くて。明るくて。怖くない。


「ね?」


「うん」


 男の子は頷いた。足が軽い。

 二人は歩き出す。




 ――行きはよいよい 帰りはこわい




 歩いた。いっぱい。

 景色。変わらない。

 歩いた。どこまでも。

 景色。変わらない。変わらない。

 歩いた。

 景色。変わらない。変わらない。変わらない。


「ここ、どこ?」


 男の子は聞いた。疲れた。帰りたい。でも。


「もうすぐだから」


 女の子は言った。


「……」


 男の子は黙った。


 もうすぐ会える。おかあさんに。


 やった。

 会える。おかあさんに。


 ……おかあさん?


 ざぁっ――と風が木の葉を鳴らす。誰かが叫ぶ声が風に溶ける。


「どうしたの?」


 女の子は聞いた。男の子の足が止まった。


「いかない」


 男の子は言った。はっきりと。

 手をほどきたい。解けない。


「どうしたの?」


 女の子は聞いた。優しく。

 手は離さない。力を籠める。


「かえる」


「どこに?」


「おうち」


「おかあさんは?」


「……」


 分からない。おかあさん。どこ?


「ね? はやくいこ? おかあさん。あっちにいるよ?」


 手を引く女の子。

 あっち。あっちだよ。あっちにいくんだよ。あっち。

 ほら。あっちにいくんだよ。あっちだよ。あっち。あっち。あっち。


「や!」


 男の子は手をふり解いた。

 駆け出す。元来た道を。まっしぐらに。


「あっ!」


 驚く女の子。

 逃げられた。わたしの。××が。


「まって!」


 女の子は追った。

 呼んだ。でも。


「や!」


 男の子は逃げた。

 待たない。待っちゃいけない。

 あ。道の横に。ヘビ?


 ざぁっ――と風が木の葉を鳴らす。


 ――そう。止まっちゃだめだよ。振り返らないで。来た道を真っ直に。いきなさい――


 誰? 知らない。分からない。でも分かる。やさしい声。


 男の子は駆けた。止まらずに。

 男の子は駆けた。ふり返らずに。

 そう言われたから。誰に? さあ? でも知ってる。だいじな人。

 駆ける。元来た道を。

 駆ける。後ろには女の子。

 駆ける。見えた。鳥居。


 男の子は駆け抜けた。




「あ……ああっ!?」


 後ろから女の子の声。


 そして。


 女の子は消えた。


 ◆ ◆ ◆


 誰もいない。うら淋しい神社。薄暮。




 鳥居の前。青い浴衣に身を包んだ男の子が一人眠っていた。


「どうしたの?」


 かけられた声に、男の子は目を覚ます。


 女の子。自分よりおっきな子。

 浴衣? ううん。ちょっと違う。分かんないけど、知ってる恰好。赤い、スカートみたいなのをはいてる。


「だれ?」


 男の子は聞いた。


「さく。あなたは?」


「りく」


「りく……じゃあ、りっくんね。ねえ、りっくん。もしかしてあなた、まいご?」


 ふるふると首を振る男の子。

 もう迷子じゃない。戻って来れた。


「じゃあ、なにしてたの?」


 尋ねる女の子。


「……?」


 首をかしげる男の子。

 分からない。なにしてたっけ?


「……まいごじゃないならいいの。じゃあね」


 別れを告げた女の子。


「まって」


 男の子は聞いた。

 ここ、どこ?


「やっぱりまいごなの? じゃあ、いっしょにいてあげる」

 

 手を差し出す女の子。

 手を取る男の子。

 そして、二人は神社をあとにする。


 昏くて蒼い夏の空。二日目の月の下。


 ざぁっ――と風が木の葉を鳴らす。その道は、またしばしの眠りに就いた。


 ――こわいながらも

 ――通りゃんせ 通りゃんせ

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