第11話 一日目。朝。教室。

 一日目。朝。


 ここは県立川薙かわなぎ南高等学校。1年3組の教室。




「うっす。おっはよーございまーっす」


 りくは教室に入ると、テンションだけは高いくせに独り言みたいな声量の、なんとも珍妙なあいさつをした。


「……誰も、いない」


 無人の教室を見て、しかしなぜか満足気な陸だ。


 実は彼、人がいると絶対にあいさつなんてしないくせに、いない時に限ってこれ。要はぼっち的な素質の持ち主なのだ。

 けれどそんな陸も、今日に限ってはいつもと状況が違うと言うことを失念していて……


(なんじゃその腑抜ふぬけたあいさつは? もっと腹から声を出さぬか!)


「うわあっ!」


 突然の奇稲田くしなだの声に、陸は飛び上がった。


「べ、別にいいでしょ! てか勝手にしゃべらないで」


 彼女の存在を忘れていた陸は言った。けれど、そんなことで大人しく引っ込むような奇稲田ではなく。


(ほほ……まあ良いではないか。どうせわらわがどれだけ大声で叫ぼうと、余人よじんに聞こえぬのじゃし。それよりもどうじゃ? そなた、わらわと共に今一度あいさつしてみんか?)


 彼女、いわく。

 あいさつと言うものは特に言霊ことだまが宿りやすい言葉らしい。そしてそれが一日の始まりのものともなれば尚更のことで、それを陸はあんないい加減なやり方で云々うんぬん……


「あの……はい。それは分かったので、もうその辺で……」


 まるでおばあちゃんみたい。

 説教を垂れ始めた奇稲田を、陸は迷惑そうに宥めた。けど、彼女の説教は止まるところを知らず、その後も延々と続けられて……


(――大体、昨日から思っておったんじゃが、そなた、言葉の使いようが少々雑過ぎはせぬか? ところどころ「で」を端折はしょりおって。なーにが「何々したんす」じゃ。そこは「何々したんです」じゃろ。「したん・で・す」ほれ。言うてみい?)


 結局、陸が説教から解放されたのは、それから実に10分。クラスメイトがやって来てからのことだった。


 ◇ ◇ ◇


 始業20分前。




「あれ? なんか珍しく早い人がいる」


 聞き慣れた声に、机に突っ伏していた陸は顔を上げた。すると、そこにいたのは見慣れたメガネで。


「あ。おはよーす」


「よっす。陸君、今日は五月病で休むって言ってなかった?」


 と、早出の陸をいぶかしんで、すぐ前の席に着くその友人。


「いやいや。そんな予定は最初っからないんだけど……そっちこそなんか元気ないじゃん?」


「ちょっと寝不足で」


 ▼ ▽ ▼


 この寝不足のせいで腫れぼったい目をしている友人は小宮山こみやま海斗かいと。メガネ歴15年のさわやかメガネ。生物部。


 彼と知り合ったのは高校からで、実は話すようになってまだ一週間程度とかなり浅い仲だったけれど、それでも陸にとっては高校で初めてできた友人だった。


 ▲ △ ▲


「ふうん。ホントに大丈夫なん?」


「まあね」


 海斗は平気をアピールした。


 聞けば、昨日の就寝自体はいつもよりちょっと遅いかな程度だったのだけれど、運悪く今日は生物部の餌やり当番の日だったらしい。で、早めにそのせいで登校したのが、寝不足の決め手になったのだ、と。


「ああ、そんな当番あんの。じゃ、オレに生物部は無理かな~」


「うん。ぼくも無理だね」


 海斗はあっさりと同意した。それでも彼は生物部を辞めるつもりはないらしい。


 たとえ餌やりが面倒でも所属するだけの魅力が生物部にはあるのだろう。中学の頃から帰宅部一筋だった陸にとっては信じ難いことだったけれど、だからってとやかく言うことでもない。


「……」


「……」


 そこで話は途切れた。陸の会話は基本受け身なので、こうなることは割とあることだ。


 けれど、今日に限っては海斗の様子がちょっと気になっている陸。

 今の海斗は、顔色がはっきりと悪く、放っておくのもちょっと気が引けたのだ。


「あー、あのさ。これ……いる?」


 陸は海斗に、とある物を渡そうとした。けれど海斗は……


「え? なんでお守り?」


「いや、なんか眠そうだから」


「は? ……あっははははは」


「え? なんで笑うの? オレなんかおかしいこと言った?」


「言ったよ。眠そうだからお守りって、意味分かんないし」


「でもほら。ここ。『身上守みのうえまもり』てあるじゃん?」


 全部のことに効くお守りだから。主張した陸だ。

 そうして海斗にお守りを押し付けてみるのだけど……


「いやいやいいって。ぼく神様とか信じてないし」


 海斗は頑として受け取らなかった。


「てかさ、普通そういう時はコーヒーとかガムじゃない? それがなんで……あはは」


 よっぽどツボだったらしい。笑いが収まらない海斗だ。けれどそのお陰か彼、顔色がちょっと良くなったようにも見えて……


「――おっす。二人とも、なに笑ってんの?」


「あ。ドンくん、聞きたいんだけどさ。眠そうな人に渡す物って言ったらさあ、何にする?」


 また一人、また一人と登校してきたクラスメイトに時計を見れば、HRホームルームはもうすぐ。

 運動部の朝練組も戻って教室はいよいよ活気づき始め、今日もまたいつもの学校生活が始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る