第12話 一日目。放課後。むすひ。

 一日目。放課後。


 学校にいる間になにか変わったことが起きるはずもなく、りくは一人むすひに行くと、いつもの席で咲久さくを待っていた。




「いらっしゃいませー……あら氷室ひむろさん」


 入口の方でフランクな対応をするベテラン店員の声に、陸はひょいと様子を覗いた。すると、その客とはやっぱり咲久だったようで。


「あれ? 早いじゃん」


 先約は? 陸は真っ直ぐこっちに向かって来た咲久に言った。


「いや~、それがね……」


 と、バッグを降ろしながら咲久。


「約束してた先輩が急に部活に顔出さなきゃいけなくなっちゃって。遅くなるかもって言うから、じゃあここで待ってますって……」


「ほーん」


 自分から聞いといて、あまり興味がなさそうな陸だ。

 けれど彼、内心では全然無関心なんかじゃいられなくて。


(サクの先輩。てことは女子……)


 できれば会いたくない。なんて、ぼっち全開の感想を抱いてしまう陸だ。


 なにしろ彼、知らない人がいると急に黙りこくってしまう性格のせいで、咲久の先輩に悪い印象を持たれずに済む自信がなかったのだ。


 ◇ ◇ ◇


 それから30分。




「いらっしゃいませー」


 あれから何度目かの声を聞いた陸が入口の方を覗くと、入ってきたのは一人の女子高生だった。


「お?」


「ん? なに?」


「いや。待ち人来りて――てやつかなと」


 そう答えた陸。


 するとその女子は、案の定まっすぐこちらに向かって来て――


「ごめんなさい。部活なかなか抜けられなくて」


 彼女は咲久の前で立ち止まると、謝罪した。


「いえ。いいですよ別に。ひまちゃん先輩が忙しいの知ってますし」


 気にしないでください。と、咲久。


 けれど「ひまちゃん先輩」と呼ばれたその女子。なにか気に障ることでもあったようで――


「あのね咲久。その呼び方やめてって言ってるでしょ。呼ぶのなら苗字で呼んで」


「ええ!? なんでです? もったいないじゃないですか。せっかく可愛いのに」


 相手が誰だろうがまったく物怖ものおじしない咲久が反論した。


 けれど当のひまちゃん先輩、咲久にはなにを言ったってムダなことは心得ているようで。


「はあ……そう言うことじゃないのだけれど……で、こっちの人は?」


 諦めたひまちゃん先輩は、二人の邪魔にならないよう隅っこで小さくなっていた陸について言及した。


「あ、はい。これはリクです。同中おなちゅうで今英語教えてあげてたところで」


「言うほど教わってねーけどな。あと人指差してこれとか言うな」


 まるで物みたいな扱いをされて、ツッコミを入れた陸。


 結局、今日も今日とて咲久式スパルタ英語の餌食になってしまったのだ。あれのなにをどう解釈すれば、教えていると言い切れるのか。咲久の自信の根拠を聞いてみたい。


 すると、そんな陸の様子を見ていたひまちゃん先輩は――


「りく……君?」


「あっはい。ども初めまして」


 名を確認するひまちゃん先輩に、陸は早口であいさつした。紹介されたのを無視してツッコミに走るなんて、ちょっと失礼だったかも知れない。


 けれど、そのあいさつもどうやら手遅れだったようで。


「……」


 ひまちゃん先輩は、ムッと押黙ると、陸にスゥっと冷たい視線を向けたのだ。


「――でね、リク。こっちはひまちゃん先輩。弓道部の副部長で、昨日話したすっごくカッコイイ先輩で……ですよね? ひまちゃん先輩?」


「……長谷はせひまりですどうも初めまして」


「あ。はいどもっす。こちらこそ初めまして」


 一応は名乗ってくれた長谷ひまり。けれど、その目は明らかに陸のことを軽蔑けいべつしていて……


 ▽ ▼ ▽


 この不機嫌さ丸出しの女子の名は長谷ひまり。16歳。川薙かわなぎ女子高校2年。咲久的な通称はひまちゃん先輩。


 咲久とは部活の先輩後輩の間柄で、頼れる先輩らしいのだけど、そんな彼女が今陸に向けている視線が痛いぐらいにキツいのは、陸の態度がちょっと失礼だったから?


 △ ▲ △


「あ。このあと用事あるんだよな? それってなに?」


 ひまりの視線に耐えられなくなった陸は、咲久に話を振った。


「うん。これからちょっとゆ――」


 しかし咲久が言い終わる前に、答えたのはなんとひまりの方で。


「貴方には関係ないでしょ」


「はえ?」


 視線と同じぐらい冷たい言葉が、陸の心臓に突き刺さった。


 確かに今のは自分には関係のない話だ。でもまさかそこまではっきりと拒否されるなんて。

 思ってもみなかった攻撃に、陸の背中はあっという間に冷や汗でびっちゃびちゃ。


 けれど、これにはさすがの咲久も黙って見ているわけにはいかないようで。


「先輩。その言い方はちょっと。ほらあ、リク泣きそうじゃないですか? ――あのねリク。先輩、新しいおはし欲しいんだって。だからわたし、だったら遊饌ゆうせんがおススメですって教えたんだけど――」


 どうやらひまりのこんな態度はこれが初めてじゃないらしい。先輩相手でもさらっと注意してくれる頼もしい咲久だ。けれど、そう話している最中にも、当のひまりは……


「チッ」


 ひまりは舌打ちしていた。しかも陸だけに聞こえるような巧妙なやり方で。


 ここまで露骨に嫌われていると、陸だって居たたまれない。早いとこ別れたくて、話をまとめにかかる陸。なのだけど……


「あ、うん。そっかそっか……でもだったら早く行った方がいいって。あそこ、6時までしかやってないから」


「ま!? 今何時?」


「あー……あ、5時……前」


「……なんだ。余裕じゃん。脅かさないでよもう」


 陸の思惑に反して、咲久は一度は上げた腰をまた下ろしてしまった。


「あ。でもほら、あそこ結構種類あるし。ただ見るだけならいいかも知んないけど、買うんならもう行った方がいいんじゃ……」


 陸は必死説得した。ここで諦めたら試合終了だ。ひまりに息の根を止められる前に、なんとしても去ってもらわなくては。


 ▽ ▽ ▽


 ――ちなみに、咲久の言っていた「遊饌ゆうせん」とは川薙の観光スポット・町屋まちや地区にあるお箸専門店のことだ。

 本気で選ぼうと思えば1時間以上だって掛けられるぐらいには種類の豊富な店で、当然観光客で混み合う観光名所でもある。


 だから陸の言うこともあながち間違いではなくて、初めて買い物に行く人だと選びきる前に閉店、なんてことも実際にありそうなことではあったのだけど……


 △ △ △


「こっちはもういいから行けって。こっから10分はかかるんだし」


 何とかしてひまりと別れたい陸は死に物狂いで進言した。これ以上ひまりに敵意を向けられていたら、本当に泣いてしまう。


「ん。じゃあそうしよっかな――先輩、行きましょう」


 陸の一念が通じたのか、咲久は立ち上がった。テーブルにいっぱいに広げてあったスマホやら筆記用具をパパッとバッグに突っ込むと、残った抹茶ラテを一気に飲み干したのだ。


「じゃ、行ってくる」


「あ。うん。ごゆっくり」


 こうして、ひまりと別れることに成功した陸は、九死に一生を得た気分で二人を見送ったのだった。

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