#34
「探りを入れられて……、ちょっと、はっきりとは……」
「だったら、
「……いえ、そういったものは、本当になにも」
職業柄、親父は仕事の内容を俺に話すことなんてなかった。それは警察としての守秘義務のようなものなのだろうと考え、深く追求したこともなかった。
親父の使っていた書斎は、三人が一方的に押し掛けてくるまでは手を付けずで残していた。急いで遺品整理が必要なほど手狭な家ではなかったことが理由で、そうすることで親父を偲んでいたわけでもなかった。
そして俺が知っている限り、親父の書斎からそんな重大な情報めいた何かは出て来てなどいない。
形状が何なのかさえわからないので断言は出来ないが、俺の目から見て何かしらの情報と思えるようなものは本当になかった。
もちろん、言付かったことだってない。親父が亡くなる前日の晩に交わした会話の内容だっておぼろげなのだ。
翌日が非番だったため、どこかに出掛けるとか何とか言っていた気もするし、言っていなかった気もする。これまでに親父と面と向かって畏まった話をしたことだってない。
なにしろ、親父の死は突然だった。
「あ……、でも一つだけ、言付かったわけでも預かったわけでもないですが……、親父の書斎に大学ノートがありました」
「大学ノート?」
「はい。……でも、たいしたことは書かれてなくて、気が向いたときにだけ書いてた日記みたいなものでした」
だから、親父に関わりがあり俺の手元にあるものといえば、絶対に関係のない古びたそのノートが一冊だけだった。
「それ、見せてもらうこと出来るかしら?」
「えっ、いやっ、それは……。本当になんでもない日記にもなってない、日々の思い付きの羅列みたいなものでしたし、仕事に関するようなことも一切書かれていませんでした。もちろんヤクザに関わるような書き込みだってありません」
「なにか、暗号になっていたり、情報のありかを示す手掛かりが書かれているのかも。お願い
「いや、本当にそんなものじゃないんです。翌日の買い出しのメモだったり、どこかで見つけたシチューのレシピが走り書きされてたりするだけです。
「……そう。その大学ノートは、いまどこに?」
「学校のスクールバッグに常に入れています。……形見ってほどの物ではないですけど、あんな物でもこの世に残ってる、親父の唯一の直筆なんで。仕舞い込まずに常に持っていることでなんとなくですけど、側にいてくれてるような気がして」
説明しながら気恥ずかしくなってきて語尾はもごもごと口籠もってしまった。
大事に取り扱っているわけではなかったが、そんなものを持ち歩いているなんて女々しいと思われそうで、親父のことをよく知っている魚住さんに話すのは決まりが悪かった。
「そう……。わかったわ。大切な物なのね」
ふっと吐息を漏らして魚住さんは引き下がってくれた。
本当にその大学ノートには重大な情報らしき記載はなかった。そもそも三組織に関わるような単語さえなかったのだ。もしあれば、さすがに魚住さんに手渡している。隠し立てする意味も必要もないからだ。
「でも、気を付けてね」
魚住さんはたっぷりと一呼吸置いて表情を引き締め直して続ける。
「三組織の抗争に発展しかねない重大な情報ということは、その情報が露呈することで三つ巴の潰し合いが起こる可能性がある。裏を返せば、三組織の潰し合いを望むまったくの別組織にしてみれば、自分たちが労することなく潰し合いをしてくれる願ってもない情報ということ。いわゆる漁夫の利ってやつね。つまり、その情報はなにも三組織にだけ重要なのではなく別組織にとっても充分すぎる価値があるのよ」
「……その重大な情報を横取りする別の組織が現れるかもしれないってことですか?」
「起こらないとは限らないわ。私が情報筋から証言を得たからには、都合良く別組織にだけ話が漏れていないなんてあり得ないだろうし」
どこにあるのかわからない重大な情報を求め、どこかの組織から送り込まれる刺客の姿を想像して身震いしてしまう。
しかし仮にそんな刺客が現れ身柄を拘束されたうえで尋問を受けようとも、俺には答える術がない。なにしろそんな情報なんてどこにあるのかさっぱりなのだから。
ただ、今は姿のわからない謎の刺客よりも、やはり三人の許嫁たちが目下の問題だろう。
これまではただ漫然と見目麗しいばっかりと思っていた彼女たちの表情に、不意に陰が差し込み、あれよあれよと不穏な面持ちへと変貌を遂げていく。
「それじゃあ、どんな些細なことでも思い出したことがあったら連絡してね」
そこで区切り、魚住さんがスルリと俺の耳元に口を寄せ、声をひそめて続ける。
「……それとあの三人だけれど、必要以上に刺激しないようにね。場合によっては、悠誠くんの身が危険に晒されかねないから」
「俺が、ですか……?」
「どんな形であろうと、重大な情報の内容を悠誠くんが知ってしまった場合、口封じをしないとも限らないわ。恩人の息子にそんなことはしないと信じたいけれど……。くれぐれも迂闊なことはしないようにね」
そうか。俺がいま何事もなく無事でいられるのは、三組織にとって不都合に違いない情報を知らないからなのだ。
もしその内容を知っている、もしくは知ってしまった場合には、組織としては何らかの対処を行わなければならなくなるのだ。
「じゃあ、また連絡するから」
そう残して帰っていった魚住さんの後ろ姿を見送り、ほんの小一時間ほど前とは様変わりしてしまったように見える自宅を仰ぎ見る。
本来であれば心を落ち着かせて身を休める場所であるはずなのに、たったいま聞かされた話のせいで不穏な気配を漂わせているように見えてしまう。
しかし、どんなに異彩を放って見えようとも実際は昔ながらの古い日本家屋だ。
一戸建てとはいえ、蹴飛ばせば傾きそうなオンボロといって差し支えない平屋だ。それ以上でもそれ以下でもない。
意識しすぎだろう。
親父が組織犯罪対策課の元刑事で、その部下だった魚住さんが親身に面倒を見てくれるおかげで、多少ばかりそういった組織を身近に感じてしまうだけなのだ。きっとそうに違いない。
気を取り直して大きく深呼吸をしてから、玄関の引き戸を開く。
すると目の前の上がり框に、華詩子さん、梓さん、美逢ちゃんの三人がまるで待ち構えていたように並んでいた。
「お帰りなさい悠誠様。……魚住さんは、お帰りになりましたか?」
「あン、悠誠。おかえりー。晩ご飯はなにが食べたい?」
「おいこら、ゆうせー。帰りが遅いと心配するだろう。まったく……」
そんな調子で三者三様の反応を見せてくる。
けれど、魚住さんがやって来る前と違い、どういうわけかその全てが演技じみて見えてしまう。玄関先での立ち話に聞き耳を立てられていたのだろうか。
見るたびに綺麗と思って見蕩れてしまう華詩子さんの微笑みも、いちいち扇情的にからかってくる梓さんの笑顔も、幻想的とさえ思える容姿なのに勝ち気な物言いの美逢ちゃんの振る舞いも、その何気ない一挙手一投足に疑念を抱いてしまうのだ。
この三人の真の目的は、俺に許嫁として選んでもらうことではなく、親父が手に入れたであろう何らかの情報を探している、のかもしれないのだから。
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