#33
投げつけられたおしぼりを頭に乗せたまま呆然としていたわけではないのだろうが、
俺はというと、死刑宣告を待つ囚人のように絶望して俯き、生唾を飲み込んで立ち尽くしていることしか出来ない。
飽きもせずに繰り広げられる罵り合いをどれくらい聞いていただろうか、やがてわずかに眉根を寄せて表情を引き締めた魚住さんが立ち尽くす俺に近付くなり、
「
囁くほどの小声でそれだけ告げると、襖を開けて玄関へ歩みを進めた。
怒っているわけではないのだが、それこそ刑事の片鱗を覗かせるような有無を言わせない語調に思わず背筋がシャンとしてしまう。
「あら? もうお帰りですか?」
口汚い罵り合いからどういった経緯でそうなったのか、三人が円陣を組むように肩を掴み合って押し合いへし合い睨み合い、その横をすり抜ける魚住さんに
「ええ、また改めてゆっくり伺うわね」
大人の余裕というのだろうか、穏やかに微笑みを返す魚住さんはそそくさとパンプスを履き軽く会釈を残して玄関を出ていった。
「ちょっと見送ってくるから、三人とも待ってて」
慌ててサンダルを突っ掛けて後を追い、返事を待つことなく後ろ手で玄関を閉める。
敷地を出たあたりで振り返った魚住さんにいきなり腕を掴まれて、思わぬ力強さでグイッと引き寄せられたかと思うと、
「悠誠くん、彼女たちの素性は知っているの?」
うちの玄関を横目で見つめながら魚住さんが表情にやや影を落とし、声のトーンを下げて問い掛けてきた。
「素性、っていうのは――」
「私は職業柄、あの子たちのことは知っているわ」
隠すだけ無駄だった。
なにしろ魚住さんは元親父の部下、現在も組織犯罪対策課のいわゆるマル暴なのだ。
当然ながら、捜査対象である組織の家族構成まで網羅しているのだろう。せっかく必死に取り繕ってあくせくしたのに完全に無駄骨だった。
だから終始、三人の大騒ぎにも無言でなりゆきを見守っていたのか。
「今日いきなり来たのは悠誠くんに聞きたいことがあったからなの。……だけど、あの子たちがここにいる時点で確信に変わったわ」
あいかわらず声のトーンは落としたまま、俺に向かってというよりも自分にいい聞かせるような口ぶりで語り始める。
「俺に、聞きたいこと、ですか……?」
「
「親父が、関係してる?」
「ええ。……水無川さんは生前、三組織にとって抗争に発展しかねない重大な情報を手に入れた可能性があるの」
「三組織が、抗争に発展しかねない、重大な情報、ですか……?」
「捜査上の過程だから詳しくは言えないけれど、三組織それぞれの組長たちが『重大な情報』を手に入れようと動いているの。信頼の置ける情報筋から証言が取れているから間違いないわ」
詳しくは言えない捜査、映画などで見たことのある潜入捜査官的なスパイの姿を想像してしまう。
そんなことが日本の警察で実際に行われているのかなんて俺には知る由もないし、魚住さんに尋ねたところで言えないと言っている以上は教えてはくれないだろう。
「それで、親父が手に入れた重大な情報って、何なんですか?」
「残念ながらわからないのよ。水無川さんは亡くなってしまったから……。だから三組織も行方のわからないその情報を手に入れるために密かに動きを見せているの」
俺の質問に答えながら魚住さんがゆっくりと玄関を仰ぎ見る。
「水無川さんは生前、三組織にとって看過出来ない何らかの重大な情報を入手していた。それは組織間の抗争に発展しかねない内容と推測される。そんな情報の存在を各組長たちが嗅ぎつけた。……放っておくはずは、ないわよね?」
順序立てて区切りながら説明してくれるその問い掛けに頷いて返す。
「けれど水無川さんから直接、情報を聞き出すことは出来なくなってしまった。……そこで、組長たちは水無川さんの息子である悠誠くんに目を付けて、情報が隠されているであろうこの家を探るために自分の娘たちを差し向けてきた」
きらりと、全てを見透かすように魚住さんの瞳が光ったように見えた。
「そ、そうなんですか? じゃあ、あの三人が誘拐されたとかって話も、それで俺の許嫁にするとかって話も全部嘘なんですか!?」
「許嫁? あの三人がみんな悠誠くんの許嫁って、そう言ってるの?」
「はい……。親父が誘拐事件を解決した時に、自分の娘を俺の許嫁にするって約束したと聞かされました……」
改めて自分で説明すると、じつに荒唐無稽なことを言っている気がしてしまい尻すぼみに語尾が小さくなってしまう。
「そうなのね……。許嫁の約束については私も聞いたことはないからわからないけれど、当時あの子たち三人の誘拐事件が起こったのは本当よ。そして水無川さんが率先して事件を解決したことも事実。それがきっかけとなって刑事でありながら三組織の組長たちと親交があったのだから。私が刑事になるよりずっと前の話だけれど署内でも有名な話だわ」
三人の素性を知っているのだから、自分が刑事になる以前の誘拐事件についても調べて知っているのだろう。
あまりにも取って付けたように誘拐事件が起こり親父が解決に導いただなんて、出来過ぎな作り話じゃないかと疑っていたがどうやら事実のようだ。
ということは、偶然起こった昔の事件を俺に取り入るためのきっかけにしたということか。だとすると許嫁の約束という部分が嘘なのだろうか。
「自分たちにとって死活問題ともいえる抗争の火種になり得るかもしれない情報が、何らかの形で存在している。しかも自分たちと親交のあった水無川さんがそれを持っていたらしい。当たり前だけれど、他の組織に出し抜かれる前にいち早くその情報を奪取しなければならない。抗争の火種が自分たちの組織の秘密だった場合、圧倒的に不利な立場となり均衡が崩れてしまう。そこで――」
魚住さんがいったん言葉を句切り、ゆっくりと諭すような視線を俺に寄越す。
「……おそらく、あの子たちは水無川さんが残した重大な情報のありかを探るため、悠誠くんに近付いてきたのよ」
重く分厚い曇天の中から、一条の光が差し込んでくるようだった。
ずっとモヤモヤとしてすっきりしなかった疑念が、見るも鮮やかに弛緩していく。
いまさらかもしれないが耳から鱗がはじけ飛ぶ思いだった。
俺の許嫁だと言い張って無理やり一緒に生活しようと転がり込んできた三人の突飛にすぎる行動が、魚住さんの話を聞いたことですんなりと納得出来てしまう。むしろ疑う余地がない。
「三人はその情報を手にして他組織を出し抜くためか、情報自体を消し去るために悠誠くんに近付いた。情報が自分の組織のものだった場合、即刻処分しなければならない。けれど別の組織のものだった場合には、相手に対して優位に立てる材料になり得るからよ」
なるほど。うちにやって来てからの三人の行動を思い返すと、確かに不自然な点が多かった。しきりに親父の書斎にこだわっていたのもそのためだろう。
親父が手に入れた重大な情報を人目に付かないように隠しているのであれば、元々親父だけが使っていた書斎だろうと当たりを付けたのだ。
だから部屋割りを決めようとして三人共が書斎を取り合って揉めたのだ。
「悠誠くんを油断させるために許嫁だと言い張って取り入って、どこかにあるはずの情報を手に入れるつもりなのよ。あの三人から何か探りを入れられたりしていない?」
魚住さんの言っていることはいちいち尤もだと思えた。
組織にとって重大な情報を手に入れるためならば、三人の家業を顧みた場合にあり得ないと考えることの方が難しい。
探りを入れられていたかどうかは、正直はっきりとはわからない。
なにしろ、大層美人で可愛い女の子が押し掛けてきたのだ。あれよあれよとはちゃめちゃな勢いに押し流され添い寝までされていたのだ。
そして、わずかながらにも、そんな状況を楽しいと感じてさえいたのだから。
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