#32
「お、おい、ゆうせー!
「
「もー、お嬢の偽乳とか姫のおませパンツなんていまさらどーでもいいじゃん」
「わたくし偽物じゃありませんっ!!」
「美逢がどんなパンツ履こうと勝手だろうっ! 何がおませパンツだバカにするな!!」
華詩子さんが噛み付く勢いで猛然と否定し、美逢ちゃんはうっかり手にしたままの黒パンツを握り締めて抗議する。ひとまず台所に押し込んだとはいえ、こんな大声で騒がれては客間の魚住さんに丸聞こえのはずだ。
「わかった。わかったから、落ち着いてくれ」
「そっそー、もういいじゃんかー。それで悠誠、あの人は誰なのー?」
鼻息荒く憤慨して俺に詰め寄ってくる二人を軽くあしらいながら
「あの人は、
いまだ荒ぶる二人を落ち着かせるため、なるべく小声でゆっくり諭すように説明する。
あえて親父の知り合いと、魚住さんの職業をぼかしたのは、もちろん三人の家業に配慮してだ。
別に魚住さんが刑事だと知ったところで三人にとって不都合があるとは思えないが、余計な確執が生まれないとも限らないのであらかじめ気を利かせてみた。
「へえー、あんな女子大生みたいな綺麗な人がお世話してくれてたんだー」
「お世話っていっても魚住さんが言ってた通り、本当に保護者代わりみたいなことだからな? それに女子大生みたいな見た目だが実際は……」
首を傾げて客間の方を見遣って呟く梓さんに、おかしな詮索をされる前に先手を打つ。
流れで魚住さんの実年齢を喋ってしまいそうになったが、女性の年齢を勝手に口にしてしまうことに気が引けて尻すぼみになってしまう。
俺だって明確に知っているわけではないが、だいたい三十代前半くらいのはずだ。
「そ、そんなことより悪いんだが三人とも、いまだけ一時的にどこかに出掛けていてくれないか?」
魚住さんの実年齢を突っ込まれる前に本題を切り出す。
これ以上三人に騒がれて手遅れになる前に、魚住さんに対してなんとか収まりの良い説明をするためだ。
しかし本題を伝えながら嫌な予感はしていたのだ。真っ直ぐに見つめ返してくる、一筋縄でいかないこの三人が大人しく従ってなどくれるわけがないと。
「どうしてですか、悠誠様がお世話になっている方ですよね? すぐにお茶を淹れてお持ちしますので許嫁として改めてご挨拶しないと」
「あン、こんななぁーんにも出来ないお嬢なんかに、おもてなしなんて無理に決まってるでしょー? あたしに任せてよ悠誠っ」
「おい、ゆうせー。美逢との間に遠慮はいらんと言ったはずだぞ? パンツの件は目を瞑ってやるから、きちんとフィアンセだと紹介しろ」
案の定、おおむね懸念していたとおりの反応が返ってきた。
しかも三人が三人ともお互いに譲り合う気など毛頭なく、俺のお願いなど聞き入れる素振りさえ見せず争うようにお茶の準備が始まってしまう。
「よし、わかった。じゃあ、ひとまず許嫁の件については黙っておいてくれ。さすがにデリケートな問題だから魚住さんを驚かせたくないんだ……」
拝むように両手を合わせた俺の嘆願を前にさすがに感じ入るところがあったのか、三人は顔を見合わせてから静かに頷いてくれた。
仕方ない、ある程度は譲歩しなくては話が進まない。
とりあえずこっちはこの辺にしておいて魚住さんへのフォローに戻らなければ。
何か話があるとも言いかけていたし、手短に要件だけを聞いて今日のところはいったん帰ってもらうべきだろう。
「それじゃあ、なるべく静かにしててくれ、頼む」
それだけ言い残し客間に戻ろうと襖を閉めたが、声のトーンを落とすでもなく誰がお茶を持っていくかの口論が開始された。
「ちょっとお嬢、鈍くさいんだから変わってあげるよ。ほらほら座ってなってー」
「邪魔しないでください。鷲見さんこそこちらのことなどお気になさらず夕食の準備でもなさっててください」
「美逢は昨日ここにカステラがあるの見つけてたんだ。お前ら騒ぐんだったら外でやれ」
「普段から出来もしないことやろうとしたってボロが出るだけだよー? ここはあたしがやるから、どいてどいてー」
「――なんですか。わたくしが用意をしているのです。お二人とも大人しく従って下さらないとお茶が冷めてしまいます」
「……へー、またすーぐそんなもの抜こうとしちゃってさー。お客が腰抜かしたらどーすんのよー?」
「おお、ちょうど良い。おいシコシコ、そのなまくらでこのカステラを切り分けろ。それくらいは手伝わせてやるぞ」
「シコシコと呼ぶのお止めくださいっ!」
襖越しに声だけ聞こえるやり取りだったが、華詩子さんがナイフを抜こうとしている姿がまぶたの裏に鮮明に浮かび上がってくる。
薄い襖で仕切られているだけなので丸ごと全部聞こえているのだが、エキサイトしている三人に気にする様子は微塵も感じられない。
頼むからこれ以上、大騒ぎしないでくれ。
こうしている今だって魚住さんの耳に届いていてもおかしくないのだ。古い日本家屋の防音する気などまるでないあけすけな造りを舐めないで欲しい。
「……悠誠くん、さっきの子たちは――」
「え、っと、ですね……、どこからどう説明すれば良いのか……」
そろそろと客間に戻った俺に、魚住さんが怪訝以外の何物でもない表情を浮かべて訊ねてくる。当然すぎる反応なのだが、単刀直入すぎて言い逃れる言葉が浮かんでこない。
すると襖の向こうから控え目な声量で、
「失礼します」
と声がかかり、華詩子さんがお盆にお茶を乗せて運んでやって来た。
「悠誠様と懇意にしております、白鳥華詩子と申します」
魚住さんの前に茶托と湯飲みを置きながら、膝を付いて会釈し改めて自己紹介しつつほがらかに微笑む。
つい先ほど仕込みナイフを抜こうとしていた人物の所作とは到底思えない上品な佇まいだ。
俺の隣に姿勢良く正座したまま立ち上がる様子を見せない華詩子さんだったが、なにやら背後の襖がわずかに開きコツコツと敷居を叩く音が響いてくる。
どうやら順番交代を促す合図らしく、笑顔を浮かべていた華詩子さんが小さく眉をひそめて舌打ちし忌々しそうに立ち上がると、今度はスルリと梓さんが入ってきた。
「悠誠とステディーな関係の、鷲見梓でーす」
魚住さんの前にカステラの載った皿を出して、あろうことか俺の肩にしな垂れかかるようにコテンと頭を乗せてきた。
「ちょ、梓さん――」
そんな抜け駆けとも取れる行動をすかさず見咎めるように、スパァンと襖を豪快に開け放つなり大股で美逢ちゃんが乱入してきて、
「おいアズビッチなにやってる!? ちょっと目を離すとすぐにこれだ! カステラ置いたらさっさと順番変われっ!」
魚住さんにおしぼりを投げつけて、俺の肩にすり寄っている梓さんを引き剥がそうと組み付いてくる。
「あたしはちゃんと姫って呼んであげてるんだからビッチって呼ぶのやめてよねー?」
「やめてほしかったらビッチ特有のバグった距離感どうにかしろっ!」
「あらあら、お二人とも粗野な振る舞いはお止めになってください。本当にお見苦しくて申し訳ございません。お茶のおかわりはいかがですか?」
いったん出ていったはずの華詩子さんがちゃっかり戻ってきて、まったく減っていない魚住さんの湯飲みに急須を掲げてみせる。
わかってはいたが、やはり無理だった。ものの数分で場が再びとっちらかってしまった。
「さ、三人ともありがとう! もう大丈夫だからっ!」
取っ組み合いを始めた梓さんと美逢ちゃんを宥めながら、魚住さんと距離を詰めようとしている華詩子さんの腕を掴み客間から強引に押し出して襖を閉める。
あいかわらず襖一枚隔てた向こう側で、三人がお互いに一歩も引かない罵り合いが続いている。
「……」
むしろわざとやっているとさえ思えるコントじみた一連のやり取りを目にした魚住さんは、俺の心配を余所に無表情だった。
おしぼりを投げつけられて微動だにせずにいられるのは、やはり刑事としての矜恃なのだろうか。それとも呆れかえって言葉を失っているだけなのだろうか。
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