#31


「いや、えっとですね、これは――」

「……悠誠ゆうせい様? あ、お客様ですか?」


 狭い家なのだ。ぐずぐず次なる言い訳を考えている間にも、華詩子かしこさんは勝手知ったる調子で客間を覗き込み、室内で立ち尽くす魚住うおずみさんと顔を合わせてしまった。


「こんにちは。私は魚住うおずみ南波みなみといいます。悠誠くんの……、なんて言えばいいのかしら、保護者代理、みたいな者です」

「あら、そうなのですね。わたくしは白鳥華詩子と申します。悠誠様のいいなず――」

「華詩子さんはっ! 親父の昔の知り合いの娘さんなんだっ!」

 魚住さんと華詩子さんがお互いにぎこちない挨拶を交わし、恥じ入る様子さえ見せることなく許嫁と口にしかけたところで割って入った。

 ギリギリセーフだったと思う。これ以上話がややこしくなっては厄介だ。


「あー、ええっと、その……、親父の知り合いからの頼みで、華詩子さんは俺と同じ学校に転入してきて、それでここから通うことになったんです……」

 幾度となくつっかえながら辛うじて口から出任せを言い終える。


 魚住さんは思ったよりも怪訝そうな様子もなく、むしろ俺の話を聞いているのかいないのか、華詩子さんを値踏みするように見つめていた。


 華詩子さんに至っては許嫁発言を遮られたことが不服だったのか、形の良い眉をわずかにひそませて俺を横目で睨んできていた。


 仕方ないだろう、本当のことなんてどれか一つであろうと言えるわけがないのだ。

 保護者代理と公言してくれた、ずっとお世話になりっぱなしの魚住さんの職業は刑事なのだ。

 そんな魚住さんに向かって、実家がヤクザの娘が許嫁を主張して転がり込んできただなんてどうしたら言えるというのだ。


「たっだいまー」

「帰ったぞ、ゆうせー!」

 俺の口にした苦しさだけが滲むその場しのぎに、いよいよトドメを刺す帰宅の声が二つ同時に響いてきた。


「まったくあの先生、無駄に話が長くってさー。って、あれ? どうしたのー?」

 客間に顔を覗かせたあずささんが室内の俺たち三人の姿を順繰りに見比べ、瞬きながら当然すぎる疑問を口にする。


「魚住さん、その、えっとですね、……この子たちも、親父の知り合いの娘さんで、同じ学校に、うちから通うことに――」

「にぎゃああああーっ!? おい、ちょっと待て! 美逢みあのパンツが丸出しになってるじゃないかっ!?」

 完全に狼狽えて魚住さんを直視することも出来ないまま、梓さんと美逢ちゃんの説明をしていると横合いからいきなり轟いた叫び声に遮られてしまう。


 美逢ちゃんが客間に駆け込み、お客である魚住さんを押し退けて洗濯物の一番上に乗せられた黒いそれを引っ掴んで背中に隠す。


「おいアズビッチ! なんでわざわざ美逢のパンツをこんな丸見えなところに置いておくんだっ!?」

「畳んであげてるだけでも感謝しなさいよー? たかがパンツの一枚や二枚、思春期真っ盛りじゃあるまいし……」

「絶賛、思春期真っ盛りだ! ……っていうか、これ誰か触ってないか? ……え、まさか、ゆうせー?」

 背中に隠した下着を改めて確認した美逢ちゃんが、畳まれ方が違ったのか目ざとく触れられている事実に気が付き、あろうことか俺に疑いの眼差しを向けてくる。


「ち、違う違うっ! 俺は触ってないっ!」

 突然の飛び火に俺は慌てて両手を掲げながら無実を訴える。

 触ったのは魚住さんなのだが、当の魚住さんは押し黙ったまま美逢ちゃんを真っ直ぐ見つめている。


「そうそう、ちょうど良かったわー。ついでだから言っとくけど、お嬢も洗濯物出すときはブラパッドは外してから出してよねー?」

「――パッ、パッドなんてしてませんっ! いい加減なことを言わないで下さいっ!」

 完全にもらい事故の形となった華詩子さんが、顔を真っ赤にして自分の胸を両手で押さえて声を荒げる。


 三人の洗濯事情については、俺のものと一緒は嫌だろうと気を遣って別々にしていた。

 最初は洗濯当番を決めて交代でやろうと話していたようだったが、いきなり初日の美逢ちゃんが洗剤を一箱全部投入したことにより、呆れ果てた梓さんが以後は一人でやっていた。


 なので俺は三人の洗濯物に関してはノータッチなのだ。美逢ちゃんの下着にだって触れていない、まさしくノータッチだ。

 だから美逢ちゃんがやたら大人びた下着を好んでいることも、華詩子さんがブラパッドをしているかもしれないことも今初めて知った。


 しかし今は、そんなことはどうだっていい。

 もはや言い逃れなんて不可能な気がするが、魚住さんにこの異様な状況をなんとか説明しなければならない。


「さ、三人ともっ、ちょっといったん客間から出よう! 魚住さんはここで待ってて下さい、すぐに戻りますっ!」

 梓さんの襟首を掴んでぎゃいぎゃいパッドを否定する華詩子さんに負けないように声を張り、手当たり次第に三人の背中を押して強制退室させる。


 きっと呆気にとられているであろう魚住さんを振り返ることも出来ずに、俺は後ろ手でぴしゃりと襖を閉めて膝から崩れ落ちそうな疲労感に襲われてしまう。


 刑事である魚住さんにとっては敵対関係といって差し支えないヤクザの娘たちと、歪な同棲生活が始まったことを事実は隠しながらこれから説明しなければならないのだ。


 三人の生い立ちを抜きにしても、同棲という時点で理解などしてもらえない気がするが。




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