#23


 生徒玄関から争って俺の隣を取り合う三人のディフェンスラインに押されつつ帰路につき、食材を買うため途中のスーパーに立ち寄った。


 あずささんに腕を絡められ新婚夫婦の様相を呈し、いちいち頬を膨らませて割って入ってくる華詩子かしこさんを宥めつつ、お菓子売り場が気になっている美逢みあちゃんにチョコを買ってあげた。

 たかが今夜の晩ご飯の買い物に、ここまで疲弊するとは思わなかった。


「あたし作るから悠誠ゆうせいは座って待っててよー」

「いや、そういうわけには……」


 帰宅後すぐに制服を脱ぎ、やはりそれが部屋着なのだろう朝と同じタンクトップにショートパンツ姿に着替えた梓さんが、ひらりとエプロンを身に着けながら申し出てくれた。


 六月中旬ではあったが梓さんのラフな格好は夏を先取りしすぎなくらいの薄着で、夏本番になったらどんな格好になるのか想像すると期待と不安が入り交じってしまう。


 それはともかくここは俺の家であり、なりゆきで共同生活になってしまったとはいえ梓さんに頼りっぱなしはさすがに申し訳ない。今朝はうっかり寝過ごしてしまったせいで朝食の準備も梓さんがこなしているのだ。


「いいからいいからー。あたしの自慢の手料理を振る舞っちゃうから、悠誠はお腹空かせて待っててよー!」


 結局、投げキッスの仕草にウインクを重ねてくる梓さんに押し切られて茶の間に戻ると、鈍くさいと称されていた華詩子さんは早々に台所から追い出され念入りに食卓を台拭きで磨いていた。

 美逢ちゃんに至ってはさっぱり手伝う気さえなさそうに、膝を抱えて座り込みスマホを見つめてゲームか何かしているようだった。


「じゃーん、はい、お待ちどおさまー」

 やがて、思った以上の手早さで料理を仕上げた梓さんが茶の間に運び込んできたのは色鮮やかな野菜炒めだった。


「むぅ……、美逢、ピーマン、苦手なんだが……」

「好き嫌い言ってると大きくなんないよー?」


 すでに苦いものでも噛み潰したように眉をしかめる美逢ちゃんに、梓さんは両手で自分の胸をもにゅもにゅ掴んで見せる。

 慌てて視線を逸らしたのだが、大きくならないのはそんなピンポイントな部分の話なのだろうか。


「ピーマンで乳がデカくなるわけないだろっ! これ見よがしに揉むなビッチ!」

「ですが……、少し意外ですね……」

 梓さんの大きな胸を睨み付けて声を荒げる美逢ちゃんとは対照的に、やや拍子抜けしたような表情で野菜炒めを見つめて華詩子さんが瞬きを繰り返す。


「意外ってなにがー? 大きさ? 見ての通りだけどー?」

 今度は華詩子さんへと向きを変えて自分の胸を両手で寄せて見せる。

 煽っているのか天然なのか梓さんの仕草は判断が難しい。ひとまず直視するのは避けておくが。


「……はしたない真似はお止めください。献立の話です」

「献立? 野菜炒めがそんなに珍しいのー?」

「いえ。鷲見すみさんのことですから、……ここぞとばかりに豪勢なお料理を並べ立ててきたりするかと思っていたのですが」


 作ってもらっておいてどの口でケチを付けるのかと、さすがに自覚があるのだろう。華詩子さんはわずかに逡巡を覗かせながら言い淀み、それでも意を決して言及した。


 正直、程度の差こそあれ俺も似たようなことを考えていた。

 自慢の手料理を振る舞うと息巻いた梓さんが、いったいどんな料理を作り上げるのか期待していなかったといえば嘘になる。

 運び込まれてきた野菜炒めを目にして、まさかガッカリなんてするはずはなかったが、華詩子さんと同様に意外だとは思ってしまった。


「わかってないなー。高級食材なんて使わずに、あるものでどれだけ美味しいものを作れるかがイイ嫁の条件なんだよー? ほらほら、冷めないうちに食べよー」

 華詩子さんの指摘に気を悪くした様子もなく、冗談っぽく答えながら梓さんは腰を下ろして手を合わせる。


 そこで俺はハッとした。

 この野菜炒めは、昨日まで俺が一人分の料理をして少しずつ余らせていた野菜たちの残りが使われていたからだ。

 たまねぎもキャベツもピーマンも、使い切れずに余らせて冷蔵庫に入れていた残り物だった。


 しかも帰宅途中のスーパーで梓さんがひょいひょい選んでカゴに放り込んでいたのは、豚肉とうちには常備していない調味料たち。それら以外の余計な買い物はしていなかった。


 つまり梓さんは今朝の朝食を準備している段階からすでに、うちの冷蔵庫の中に何が残っていて、どの調味料が足らないのかまでを把握していたということだ。


 これは悔い改めなければならないだろう。

 野菜炒めを意外に感じたことだけでなく、梓さんに対する印象を、だ。

 朝食の時点で、見た目や言動に反して一番家庭的であることに驚きはしたが、梓さんの家事スキルは本物だ。一朝一夕の付け焼き刃ではない。


 ふんわりと香ばしい匂いを湯気に乗せる野菜炒めを一口頬張る。


 ……美味しい。

 ぱっと見の鮮やかな色合いに伴って中華だしの効いた濃すぎない味付けは絶妙だった。ほんのりと焦がしニンニクがアクセントとなり食欲を掻き立てられる。


「ねねね、どう? あたしの手料理どう? 美味しいー?」

 気が付けば夢中でがっついていた俺を、座卓に肘をついて前のめりになりながら梓さんが訊ねてくる。


 湧き上がってくる笑みを堪えきれない様子で、「ねねね、どう? どう?」と、ニマニマしながらしきりに感想を求めてくるせいでじつに食べづらい。


「食卓に肘をつくなんて行儀悪いですよ」

「作った料理をさ、美味しそうに食べてくれると嬉しいじゃん? もっとがっついて食べてくれて良いよー」


 華詩子さんがジト目で窘めるのだが一向に気にすることなく、梓さんはぐいぐい顔を寄せてきながら「ねねね、美味しい? 美味しい?」と、しきりに食い付いてきて離れない。


「おい、ゆうせーが食べにくそうにしてるだろ、少し落ち着いて離れろっ」

「食べ物をさ、口に運んでさ、咀嚼してるところを見るのが、たまらなく好きなんだよあたし。それが自分の作ったものだったらさー、なんていうか、お腹の底がキューってなっちゃって、こう、気持ちいいんだよー……」

「完全に変態の感想じゃないか!? ゆうせー、このビッチは癖が特殊過ぎるぞっ、危ないから離れろっ!」

「あたしの悦びを特殊扱いしないでよねー。あン、悠誠そんなに食べにくいんだったら、あーんってしてあげるよー。はい悠誠、あーん」

「お止めください! 黙って見ていれば何度となく腕を組んだり、そのうえあーんだなんて! いやらしいですよっ!」

「いやらしいって何がよー? いいでしょ別にー、減るもんじゃないんだしさー」

「ゆ、ゆうせー! ほら、美逢もあーんってしてやるぞ、あーん……」

琴吹ことぶきさん、悠誠様にピーマンを押し付けないできちんと自分で食べてください」

「……くっ、ゆ、ゆうせー、箱入りがいじわるなママハハみたいなこと言って美逢に嫌がらせしてくるんだ、なんとか言ってやれ!」

「誰がいじわるな継母ままははですか! わたくしのことを箱入りと呼ぶのお止めください!」


 途端に騒々しくなった食卓を前にして、俺は純粋に圧倒された。

 たったの四人かもしれないが、そんな人数で食卓を囲むのは初めてのことだった。


 親父が生きていた頃はもちろん二人きりだった。

 その親父も帰りが遅いことが多く、むしろ一人きりが当たり前だった。

 もっと前まで遡って母親が生きていた頃であれば家族三人だったろう。そんな光景があったのだろうと想像を巡らせることしか出来ない。なにしろ母親が亡くなったのは俺が三歳の頃のことだ、あまりに幼すぎて記憶になかった。


 だから自宅での夕食がこんなに賑やかなのは、大袈裟ではなく生まれて初めての経験だった。


 誰一人として家族というわけでもない紛うことなき他人であるはずなのに、なぜだか繋がりというか共存の温もりというか、とにかく嬉しさが込み上げてきた。

 三人のやり取りを眺めているだけでやたらと野菜炒めが美味しく感じて箸が進んだのだった。




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