#19


「もっちろん、あたしが作ったよー。お世話になるんだもん。ご飯くらい任せてよー。あ、冷蔵庫のもの勝手に使ってごめんねー?」

 ハムエッグのお皿を座卓に乗せながら、あずささんは歌うような調子で言ってのけウインクを寄越してくる。


 ありもので簡単に作ってしまえる時点で疑う余地なんてないのだが、盛り付けられ方も手慣れておりきっと半熟であろうハムエッグの焼き加減一つとっても、梓さんはとても料理慣れしていることが見て取れた。


「いや、本当に助かった。残りは俺が運ぶから」


 台所に目をやるときちんと人数分の用意が整っていた。昨日、幾度となく三つ巴でいがみ合っていたから、自分の分しか作らないという暴挙に及んでいないかと思ったがさすがにそんなことはなかった。

 昨日の敵は今日の友というやつだろうか、作ってくれた梓さんに対して失礼極まりないので口に出すことは控えた。


「あン、ありがと悠誠ゆうせいー。ほら、お嬢も運ぶくらいはさすがに出来るでしょー? ぼけーっとしてないで手伝ってよ」

「し、失礼ですねっ、それくらい出来ますっ」

 頬を膨らませて立ち上がった華詩子かしこさんが台所に向かう。


「ねー、聞いてよ悠誠。お嬢って炊事まったくやったことないんだよー? ほんっとにもー、鈍くさいったらないんだからさー」

「ちょっと鷲見すみさんっ! 人聞きの悪いこと言わないでくださいっ」

「ホントのことじゃん。レタス洗うのに洗剤入れようとするテンプレのポンコツが実在してるなんて思わなかったよ。任侠ギャグアニメから抜け出してきたのー?」

「あっ、洗えと言われたからですっ。ちょ、ちょっとした、うっかりですっ」

 赤面しながら口を尖らせ慌てた様子で声を荒げる華詩子さんに苦笑してしまう。


 しかし申し訳ないのだが、梓さんが皮肉って『お嬢』と呼ぶに相応しく、見るからにお嬢様然としている華詩子さんに炊事が出来る雰囲気はまるでなかった。

 もちろん本人が聞くと気を悪くしてしまうだろうから口には出さないが、華詩子さんが炊事を苦手にしていることに驚きはなかった。むしろ意外だったのは梓さんの方だ。


 台所にはハムエッグとは別に、キャベツとにんじんと刻んだソーセージの入ったコンソメスープ、そしてレタスのサラダが用意されていた。

 正直、梓さんは口調やノリの軽さ、スキンシップの多さや近すぎる距離感など、いわゆる陽キャという人種に近い。そんな、最も料理から縁遠い雰囲気を醸し出していた梓さんが一番家庭的だったのだ。


 梓さんのお母さんも、うちの娘は一通りの家事をこなせると言っていた。なるほど確かに、疑いようもなく梓さんはとても家庭的だ。華詩子さんと美逢みあちゃんのような、タイプは違えどお嬢様という感じではない。明るく健康的でどこまでも庶民派に見える。


「料理するの好きなんだー。とはいっても簡単なものしか作れないけどねー」


 身に着けていたエプロンを解いて緩いタンクトップ姿を晒し、うひひっと笑顔を寄越す梓さんにドキリとしてしまう。

 見た目の印象とのギャップにだ。決して無防備に顕わとなった胸元に視線が吸い寄せられてしまったからではない。


 座卓に人数分の皿を並べ終わったちょうどそのタイミングで、隣の客間を仕切った襖がそろそろと開き、

「……んぅ、カーネどこぉ?」

 明らかに寝惚けた様子の美逢ちゃんが目を擦りながらのろのろと起きてきた。


 盛大に寝癖をつけてなお煌びやかな白金の長い髪もそのままに、寝乱れたパジャマの肩がずり落ちて、どこからどう見ても幼女の寝起き姿そのものだった。


 カーネというのは初めて会った時に俺を拘束してきた、美逢ちゃんの侍女と名乗っていた女性のことだ。この様子だと、おそらく私生活の全てをお手伝いしていたのだろう。


「あらあら、お子ちゃまはやっとお目覚めー? おねしょしなかったー?」

「……っ! すっ、するわけないだろ! 美逢のことお子ちゃまって言うなっ!」

 呆れた口ぶりで梓さんが冗談めかすと、ハッと我に返った美逢ちゃんがずり落ちたパジャマの肩を直しながら烈火の如く言い返す。完全に目が覚めたようだ。


「あー、はいはい。さっさと顔洗ってきてねー。ご飯冷めちゃうからさー」

「ぬうぅぅ……っ。あっ、ゆ、ゆうせー、おはようっ! すぐに顔洗ってくるから先に食べててくれっ」

 正論で切って返され、反撃の糸口を探して歯噛みしていた美逢ちゃんだったが、俺と視線が絡むなり思い出したように挨拶してきた。


「ああ、おはよう。美逢ちゃん、慌てなくていいから……」

 そんな俺の気遣いが届いたのか、届かなかったのか、美逢ちゃんは着崩れたパジャマを引き摺るようにしてわたわたと小走りで洗面所へと向かっていった。転んだりしなければいいのだが。


 その後、顔を洗って戻ってきた美逢ちゃんを交えて朝食となった。

 梓さんの作ってくれた料理は、どれも朝にぴったりな濃すぎない味付けで胃が温まる。

 なぜだか横目でにんまりと見つめてくる梓さんの視線が気になったが、のんびり食事にいそしむ暇はないのだ。


 寝過ごしたせいで梓さんに朝食の準備をさせてしまったお詫びに、洗い物くらいはやると申し出た。

 すんなりと俺の申し出を受け入れた三人は、いそいそと隣の客間へと引っ込んでいった。


 俺は手早く洗い物を済ませると自室として使っていた和室で制服に着替えた。

 寝過ごしてしまったせいもあるが、のんびり朝食に時間を取れなかった理由は、当たり前だが今日は月曜日なので学校があるためだ。


 身支度を調えて茶の間の襖を開くと、もうさすがにこれ以上驚くようなことは起こらないだろうと完全に気を抜いていた俺の眼前に、言葉を失う光景が広がっていた。


 ――華詩子さん、梓さん、美逢ちゃんの三人が、俺の高校の制服に身を包んでいたのだ。


「さあ、参りましょう悠誠様」

「んんー、慌てて採寸したからかなー? なんか胸の辺りが苦しー……」

「ふむ。まあまあ可愛い制服だな、気に入ったぞ。ほら、ゆうせー行くぞ?」


 きちんと校則に準ずる着こなしの華詩子さんの隣で、さっそくリボンを盛大に緩めブラウスのボタンを大きく開けて着崩す梓さん。さらにその側で、やや制服に着られている感の拭いきれない美逢ちゃんが手招きしてくる。


「………………えっ、どうして三人が、うちの制服を?」

 見るからに真新しい制服に身を包んだ三人に、辛うじて問いが口を衝いて出たが、

「もう、悠誠様ったら。転入すると言ったではないですか」

 口元に手を添えて華詩子さんがくすくすと笑みを零す。


 ああ、そういえば確かにそんなことを言っていた気がする。

 立て続けに起こった濃密すぎる出来事の連続ですっかり抜け落ちていた。


 制服姿の三人がこの後に巻き起こすに違いない騒ぎを想像するだけで、治まっていたはずの頭痛がやかましいほどガンガン鳴り響いて途方に暮れてしまった。



 

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