#17
「ふう……、お待たせしました
二人を追い払うためにいったん書斎を出ていった
「これは?」
「寝付きの良くなるカモミールティーです。お口に合えば良いのですが」
差し出されたカップを受け取るとリンゴのような甘い香りが鼻腔をくすぐった。
うちにはカモミールに限らずハーブティーなんて小洒落たものは置いていないので、華詩子さんが自宅から持参したものだろう。
透明感のある薄い茶色の液体を口含むと、やや苦みを感じたがすっきりとした味わいが広がった。
しかし、こんなものでリラックス出来るとはとても思えず、緊張を誤魔化すために一気に飲み干してしまう。
なにしろこれから、華詩子さんと隣り合った布団で眠ることになるのだ。ハーブティーごときの安眠効果では荷が重すぎるだろう。
前触れもなく突然、許嫁が現れたのだ。しかも三人も。
そのうえ許嫁たちが一斉に押し掛けてきたと思ったら、昨日初めて顔を合わせたばかりのとんでもなく美人な華詩子さんと並んで寝る羽目になるだなんて。
「少し早いですが、もうお休みになりますか?」
飲み終えたカップを受け取ってくれた華詩子さんの、どこまでも上品でたおやかな所作に視線を奪われてしまう。
しかしすぐに、まじまじと見つめているのも不躾だと思い視線を逸らしたが、今度は手持ち無沙汰となってしまい逸らした視線を落ち着かせる場所が定まらない。
そんな俺の態度を見てなのだろう、華詩子さんはクスッと微笑みを浮かべてやんわりと促してくれた。
「え、あっ、ああ……、そうだなっ、そろそろ寝ようか……」
「それでは、明かり消しますね」
振り子人形のように何度も頷き、華詩子さんに背を向けて素早く布団に潜り込む。
やがて明かりが落とされ、暗がりの中で隣の布団から衣擦れの音がやけに大きく響いてくる。
さすがに別々とはいえ、少し手を伸ばせば届くすぐ隣に華詩子さんが身体を横たえていると想像すると、いらぬ緊張感と無駄に高鳴る胸のドキドキが耳鳴りのように反響してやかましかった。こんな様では一睡も出来ないだろう。
「……悠誠様、眠りましたか?」
「い、いや、まだ」
「ふふっ、緊張なさらないでください。取って食ったりはしませんから」
可能な限り布団の端に身体を寄せて華詩子さんに背中を向けていたのだが、暗がりの中で笑いを噛み殺す息が漏れる音は、むしろ耳元で聞こえてくるように感じた。
気を遣ってくれているのだろうが、取って食ったりという表現が何かの暗喩のように聞こえてしまい緊張感は増すばかりだ。
俺が手を出さなくても、手を出される可能性を示唆しているようで猛獣の檻に放り込まれた気分になる。
「こんな、押し掛けるような形になってしまい申し訳ありません」
「ああ、うん……」
「本当はもっとゆっくりと、時間をかけて悠誠様のことを知っていきたいと考えていたのですが、油断ならない方たちに出しゃばられてしまって……」
「あの二人の本心は存じませんが、わたくしは悠誠様との関係について……、その……、真剣に、考えておりますので……」
背後でごにょごにょと歯切れ悪く言葉を紡ぐ華詩子さんの声が、なぜだか猛烈に遠く響いて聞こえ、落下しているのか浮いているのかわからない心地よさを覚える。
「……眠そうですね。匂いでわかります」
上品な声のトーンのせいなのか、穏やかな波を思わせるゆったりとした抑揚のせいなのか。
それとも、親同士が勝手に決めた許嫁だなんて時代錯誤な約束を、真剣に考えてくれているらしい心境が垣間見えたせいなのか。
眠そうな匂いとはどんな匂いなのだろうか。
背後の華詩子さんからは、甘い香りが漂ってきている気がする。
カモミールティーの効果だろうか、嗅いでいるだけで脳が痺れてしまうようでうまく考えがまとまらない。
「……おやすみなさい、悠誠様。良い夢を――」
華詩子さんのその囁きは、やけに耳元をくすぐってきた。ような気がした。
もしかして耳元まで近寄ってきていたのか。
だから甘い香りを強く感じたのだろうか。
結局、考えはまとまることはなく、まとまらないことで逆に落ち着いたのか、包み込まれるような浮遊感に抗うことさえ出来ず、俺は眠りに落ちてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます