#10
殊勝な心がけとは思わない。
親父が生前、何かの拍子に口にした言葉がきっかけだった。
「犯罪者の子供まで犯罪者なわけではない」という言葉がやけに記憶に残っていた。
「犯罪者を取り締まるのが刑事の仕事だが、その家族たちを風評被害から守るのも刑事が担うべきだと俺は考えている」何でもないことのようにそう言っていた。
その時は適当に聞き流したフリをしたが、恥ずかしげもなく言ってのけた親父の正義感に尊敬の念を抱いた。
そんな親父が亡くなってから、大仰な志とは言わないまでも少なからず俺にとって信念のようなものにはなっていた。
ひったくり犯を捕まえようと危険を顧みることなく飛び出したその尊い正義感に敬意を抱き、困っている誰かを助けることのできる男になりたいと願った。
だから俺は、
ただ、いきなり首筋の匂いを嗅がれたことにはさすがに狼狽えてしまったが。
「わかった。家業とは切り離して接することにする。そこで早速なんだが……」
いまだこそばゆさの残る首筋を撫でながら、生まれ出でた家がたまたまヤクザだった華詩子さんに話しておかなければならないことを思い出す。
「はい、なんでしょう?」
昨日、華詩子さんの乗るリムジンを降りた後に起こった、にわかには信じられない出来事を語って聞かせようとしたところ、遮るように玄関のブザーが鳴り響いた。
「……お客様でしょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってて!」
やたらめったらブーブー連打されるブザーに急かされ、玄関に辿り着いた俺が引き戸に手をかけようとしたところ、
「
先に引き戸が開け放たれ、友達の家に遊びに来たくらいの軽い調子で顔を覗かせたのは
こちらは昨日見た時と同じであろうラフなパーカーにキャップを目深に被り、ぴったりとしたショートパンツから剥き出しの健康的な素足を出している。
肩に引っかけた少し大きめなリュックと足元にボストンバッグが置かれていた。熟れたヒッチハイカーのようだ。
華詩子さんとは違ってお付きの人はいないのかと思ったが、すっかり暗くなった表の塀の影からこちらの様子を窺っている、明らかに怪しい風貌のきっと構成員だろう男がいた。
しかしこちらも、俺が玄関先に現れたことを確認すると黙って姿を消してしまった。
「あ、あのっ、鷲見さん――」
「あンっ、そんな『鷲見さん』なんて堅っ苦しいなー。梓って呼んでくれていいよー。あたしら許嫁なんだしさー」
ざっくばらんに言い放ちながらも、少しだけ照れ隠しみたいにはにかんで見せる。
「それじゃ、お邪魔するよー」
「いや、ちょっと――」
俺の制止を気にも留めず、梓さんはスニーカーを脱ぎ捨ててずんずん廊下を進み客間の襖を開け放つ。
当然そこには先にやって来ていた華詩子さんがいた。
凜と背筋を伸ばして膝を揃え、上品な正座姿で首だけを捻って梓さんを見上げ、視線が交わる。
「…………えぇっ?」
「…………は?」
しばしの沈黙の後、二人がそれぞれたっぷり疑問を含ませた吐息を漏らした。
「あー……、その……、これはだな――」
華詩子さんに説明する暇もなく、鉢合わせてしまうという恐れていた事態に陥ってしまった。
考えられうる中でも最悪の事態なのだが、どう取り繕えばいいのかわからない。
それでもなんとか間を取り持とうと切れ切れの言葉を発したところ、
「おーいっ、ゆうせー!
「それではミア様、お達者デ~」
もはやブザーが鳴らされることさえなく玄関から甲高い声が響き、ドスドスと廊下を小走りで駆け寄ってくる足音が響き渡った。
さながら親戚の小さな子供が遊びにやって来た様相なのだが、そんな可愛らしい状況であるはずもなく事態はより深刻さを増していく。
「おいコラ、ゆうせー。出迎え無しとはフィアンセに対して無礼だろう? ああ、それと、わたしのことは美逢と呼んで良いからな。荷物があるから運んでくれ――」
小柄な身長で背伸びをしながら、客間の敷居に立ち尽くしていた俺の背中をバシバシ叩いてくるのは、白金色の細い髪が映えるシックなアンティークドレスで装った
八重歯を覗かせて愛らしく笑顔を浮かべていたのだが、客間の中から突き付けられた二つの視線に気が付くなりスッと笑顔を引っ込めてしまった。
「…………これは、どういうことなんだ?」
宝石と見紛う碧眼を瞬かせ、威嚇するように半眼で眉をひそめて二人を睨み返しながら美逢ちゃんが当然の疑問を口にする。
彼女はその見た目のせいで、どうしても美逢ちゃんと呼びたくなってしまうのだが今はそれどころではない。
華詩子さんにしてみれば、許嫁の家にやって来たら、後から立て続けに二人の女の子がやって来たのだ。
梓さんにしてみれば、許嫁の家にすでに別の女の子が座していて、続いてさらに別の女の子が現れた格好だ。
美愛ちゃんについては、やってきた許嫁の家にすでに二人の女の子がいたという寸法だ。
これ以上はないくらい最悪の鉢合わせと言えるだろう。
親父が勝手な口約束を簡単に交わしたせいで、とんでもない確率が収束してあり得ない修羅場が発生しようとしていた。
「……悠誠様、こちらのお二方とはいったいどういうご関係なのでしょうか?」
「……ねえ悠誠? この二人って、つまりどういうアレなのー?」
「……おい、ゆうせー。こいつらは家政婦的な小間使いってやつでいいのか?」
それぞれの口調はともかく視線の冷たさだけは一致させて、三者三様に詰め寄ってくる。
俺は針のむしろと化しながら両手を挙げて仰け反ることしか出来なかった。
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