#2


 俺が高校に入学した昨年の年末、刑事だった親父が殉職した。

 

 非番の日に街中で偶然遭遇したひったくり犯を追いかけ、取り押さえて揉み合っている最中に犯人が隠し持っていた刃物が胸に突き刺さったのだ。


 母親は俺が幼い頃に病気で亡くなったらしい。物心つく前の出来事なので、強がりでも何でもなく掴み所のないおぼろげな記憶しかない。なので母親がいないことに対する特別な感慨はなかった。


 父方にも母方にも頼れるような親族がいなかったため、親父の殉職を境に俺は孤独の身の上となった。

 幸いにもオンボロではあったが親父が残してくれた一軒家のおかげで、住む場所に困ることはなかった。

 雨風が凌げるだけで充分だったが、少し強めの台風の直撃に見舞われたりした場合、真剣に避難を考える程度には古い平屋だった。


 刑事という親父の職業柄、家を留守にしていることが多かったため家事全般も、ひとまず不自由なくこなすスキルが自然と身に付いていた。

 こんな風に言ってしまうのは気が引けるが、親父がいなくなっても生活していく上で困ることは意外なほど少なかった。


 もちろん金銭的な余裕は一切ない。

 親父の殉職により、遺族年金や死亡退職金、さらに特別賞じゅつ金などが唯一の遺族となる俺の元に転がり込んできた。

 高校二年生の俺にとっては額面だけなら目玉が飛び出そうな桁が並んではいたが、当然ながらそれで将来安泰なはずはない。安易に楽観して浮かれるようなことはなかった。


 親父が亡くなった際の煩わしい手続きは、親父の部下だった女性刑事がほとんど代行してくれた。魚住うおずみ南波みなみさんといって、いまでも頻繁にうちにやって来ては俺のことを親身に気にかけてくれている。

 三十代前半くらいのはずだが見た目はとても若ぶりで、お世辞ではなく女子大生と言われたら疑うこともなく信じてしまうくらい綺麗な人だった。

 魚住さん本人は、そんな童顔は仕事の邪魔にしかならないと不満を漏らしていたが、確かに刑事という職業とのギャップが大きすぎて、人によっては警察手帳を目の前に突き付けられても疑ってしまうだろう。


「あ、おかえり悠誠ゆうせいくん」


 まだ六月中旬なのにやけに気温の上がった土曜日、普段はなかなか手の回らない掃除を午前中に済ませ、近所のスーパーに食料品の買い出しに出掛けた。

 お買い得品を手に帰宅した俺を、ちょうど通りかかっただけと魚住さんが自宅前で待っていた。


 親父の殉職をもって、今はもう担当係も変わって別の班に属しているはずなのだ。

 もう部下でもなんでもないはずなのに、元上司であり世話になった先輩である親父の、その息子のことをいまだに気にかけてくれる本当に義理堅い人だった。


「これ、頂き物のブドウ持ってきたの。好きだったよね」

「ありがとうございます。ほんとにいつもいつも……」

「気にしないで良いの。来週くらいにまた晩ご飯食べに行きましょうね、連絡するから」

 手にしていた紙袋を俺に握らせ、本当に通りがかっただけだったのだろう、スマートフォンを持った手をひらひらと振って見せると魚住さんは足早に帰っていった。


 親父の息子である俺のことを、いったいいつまで気にかけ続けるつもりなのだろうか。


 心配にはなるものの、こんな風に接して貰える分だけ一人の寂しさを感じずに済んでいたのも事実だった。さらに刑事である魚住さんが頻繁に出入りしてくれることで、犯罪的な側面からも守られているはずだった。


 そう、守られているはずだったのだ。これまでは。


 当然というべきだろうが、事件は魚住さんが帰ってから起こった。

 よりにもよって刑事である魚住さんが帰ってからだ。いまにして思えばもちろん、犯行に及んだ側もそれを見越して待ち構えていたのだろうけれど。




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