第30話 太陽を食べたがる8つの物語の大人達⑮
⑧どれもこれも外に見るものが良く見える
園子さんは、出会う人に影響を受けては長続きせず、また新しく出会う人の影響を受けるということを繰り返していた。そうであると自らが気が付いたのは最近のこと。何度目かのNANAとのワークでのことだった。ひとつのことを続けていけない自分が問題であり、継続力の無さが問題点なのだと言う。
「続けるということが出来ないんです。自分の努力不足なわけですが……どうしてこうも続けられずにやめてしまうのか、この病を治すことは出来ないでしょうか?」
園子さんは自分のことをそう話した。なかなか治らない病だと言うのだ。
まず、私たちのとある特徴について考えよう。
何しろ私たちという存在は、自分のことを当り前と思っている。自分の価値観が自分にとっては当り前なのだ。他の人も同じだと思って話してみると、他の価値観が存在していることを知って驚くことがある。食事の作法のひとつも、洗濯の手順さえもどれもこれにも、我が家で教わった当り前さは存在していて、当り前であるからして違和感など無い。
他者の常識と並べる機会が無ければ、世界は自分と同じ価値観で存在しているのだと大きな勘違いで歩き続けることにもなる。やがてより広い世界に縁した時にちょっとしたショックを受けることになるのだ。
園子さんは、凄い人を外に見てきたのだと話した。園子さんにとっての凄い人というのは、自分の目的を持って活動している人のことなのだそうだ。
例えば職業。何らかの専門的な知識や技術を必要とするような分野で仕事を続けている人のことを凄い人と呼んでいるそうだ。次に活動。独自の活動をしているような人たちのことも凄い人としてみているのだという。
いずれも園子さんには出来ない、していないようなことをしている人たちなのだということが話を聞いているとわかってくる。
それと同時に、園子さんはそういう「凄い人」に対して自分は「凄くない人」という見方をしているのだということもわかってくる。まるでどちらかにしか道が無いようにさえ思えてくるこの二つの価値の間で常に判断し続けている日常が存在しているのだろうと思われた。
話をするほどに「凄いか凄くないか」という話があまりにも多いからである。しかし園子さん本人はその状態に無自覚なのだった。自分にとってそれが当り前のものだからなのだろう。
凄い人はいつもどこかで何かの活動をしている。園子さんはその人の活動場所に行って、その人の話を聞いて感動するということから始まるようだった。何かの分野の仕事をする人を見て、出会って、その話を聞いているうちに本当にその通りだと感じるのだそうだ。そこから次のステップへと移っていくのだが、その「凄い人」のやっていることを真似てみるということをやるらしい。
最初は楽しさを感じるのだが、やがてどう発展させていくことが凄いことなのかがわからなくなってくる。楽しいままでも無いし、発展というと難しく感じてしまって手も足も出なくなってしまう。そうしているうちにそこから離れてしまったり、やっていたことからも手を離してしまうという行動をすることになる。
手を離してしまうと今度は上手く元には戻っていけなくなってしまう。なぜなら離れてしまった自分のことを「ダメな人間」であるとか「才能が無いからだ」ということにしてしまう、自分の中の判断が始まってしまうからだ。この判断は外に見ていた「凄い人」と自分との違いを並べ立てて、自分のことをいかに出来ていないかということを責め立てていくようなそんな判断のようだった。
ゆえに結果を出すのは、ある意味早い。あの「凄い人」のようには出来ないんだから、それをする資格や才能も無いし、可能性も無い。凄い人たちが乗り越えて行く姿を見て真似できないと思ってしまうし、そんな嫌な思いもしたくないなと思ってしまう自分もいる。そもそもそれは自分のやることでは無かったのでは無いだろうか、もっと違う道があるのでは無いだろうか、と思い始めるのだそうだ。
そう考え始めると、もう元の夢を抱いていた自分には帰ることが出来なくなってしまう。悪い夢を見たのだ、ということになりやすい。そうして手を離してしまう。
そうやって園子さんは、様々な場所や活躍している人たちを転々としてきていた。少しの間は触ってはみる、けど続かないということの繰り返しをやって来ていたのだ。
さらに長続きしないということだけが問題なのでは無かった。
それは手を付けては離すという繰り返しの中で、その数を重ねるごとに自分の価値が低くなっていくということにもなっていたのだ。自分のことを何も出来ない人という自己紹介をしてしまう習慣が知らない間に生れていたことに気が付いていなかった。それは園子さんにとっての、実は大きな悩みだったが自覚するチャンスがこれまで無かったようだった。
本当に何も出来ないのか、本当には何か向いているものがあるのか、見てきた凄い人たちのように自分もなれるのか、なれないのか、ぐるぐると考え続けて来たのだと言う。でなければ自分は本当にただの「ダメな人」になってしまう。それが怖いとも言った。
「どうして皆さん、凄い人なんでしょうか? いったいどうやって凄い人になっていったんでしょうか? 私はダメな人間で、私にはまるで縁が無いってことなのでしょうか?」
園子さんは言った。
出会う人の影響をすぐに受けるが長続きもしない、ということに最近気が付いたのだという話から始まっていたが、どうもそこには別のテーマが隠れているらしいことが見えて来ていた。
「他者の影響をすぐに受けて手を付けるものがあるがそれは長続きしない」という継続力自体が問題なのでは無さそうだ。
問題は、彼女の発言の中にあった。
「凄い人」と「凄くない人」という括りの中のみで何かを見つけたり、近寄ってみたり、真似したり、結果を判断したりということの中に住んでいるようにNANAには見えていたのだ。
「自分も何か凄い人にならなければいけないと、そう思っていたりしますか?」
NANAの質問に園子さんは躊躇すること無く答えた。
「何か出来る、特別な感じとか、凄い人にならなきゃいけないと思って、それが何なのか、自分は何者になればいいのかを探してきました」
「そう……ですね。やはり」
「何かどれかになればいいのだと思っていたんです。でも続きません。ずうっと何かになれなくて、何かにならなくちゃいけないのに、なれなくて、そうなれるような気もしませんし、なんだかわからなくなってしまって、逃げ出したくなるんですよね、最後は」
「それで、あれでは無かった、これでは無かった、ということが増えていったと?」
「そうです。その職業じゃ無かったんだって思うと、ちょっと気が楽にもなります。その時はですが。でもそこからまた、自分は何になる必要があるのかを考え続けることになります。探しはしますが、やっぱりこれだとも思えなくて、凄い人にはなれないなぁって思います」
「それ、そこですね」
「え、どれ、どこですか?」
「そこです。凄い人になるための職業として探しているっていうところです」
「は?」
「凄い職業も凄くない職業も、この地球上には無いですよ。どれも立派な職業です」
「は?」
「どの職業に就くのも能力じゃ無くて、好きか、やりたいか、やる必要があるのだと自分が思うのか、その職業体験から何を学ぼうとしているのか、そういうことの方が重要なことかもしれませんね。時には職業そのもののこだわる必要さえ無いかもしれません」
「え……凄いって誰かに言われるものに就くってことで、安心できるのかと思っていました、私……」
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