第24話 太陽を食べたがる8つの物語の大人達⑩

「私にも……くれたっていいじゃないっ!」


 大声でそう叫んでいる。

 時に黙り込んだまま叫び続けている。


 それは苦しんでいるようにも見えるし、渇望の中にある自らの欲望の大きさに対応できかねているようにも見えていた。外からの動きが自分に向ってくることを待っているのだ。


「今なら見えるでしょう。堕ちていくことも。昇っていくことも。目を開けて、周りを見渡しましょう。自分の、その手の中にすでにあるものを見てください……。あなたは一人でしょうか……。HIROさんが言う、外側にしか無いんだっていうその愛っていうヤツの姿を見てください……、今はどう見えるでしょうか……」


 それは、とある催眠療法(ヒプノ)で自分の感情解放へと向うというテーマでの催眠に入っている時のことだった。


 催眠療法(ヒプノ)では、完全に記憶を失うということは無い。自分が自分である意識を持ちながら、軽い誘導による催眠に入っていき、そこで見えて来たものを体験したり観察したりしていくということをしていく。

 その中でその時のテーマのヒントや答えとの出会いが起きたり、体験に没入する時間を持つことで大きな感情解放へと繋がることがある。結果的に無自覚に抱え込んできていた、本当は負担だったものを整理していくことになり、軽くなっていくことで、心身への開放効果があるとされているセラピーのひとつでもある。これは簡単すぎる説明ではあるが、この催眠療法には多くの可能性がある。



「私を止めている、未来へと進めない、その原因の場所へと連れて行ってください」


 今回のテーマ、目的をHIROさんは告げていた。

 催眠療法(ヒプノ)によって、今回は過去への旅をしているのだ。彼女はもっともっと解放されて愛になりたいのだと言う。それはHIROさんの独特な表現の仕方だ。


 いくつかの段階を経て、やがて、意識はより深みへと入っていく。


「いや……っつ」


 それまでの長い沈黙が破られた。NANAは黙って、そして起きていることを見逃さないようにして、いくつもの方向から起きていることを見ている。


「ちょうだい! くれよっ! いやだいやだ! 放っていかないでっ!」


 泣きじゃくる子供のように見えた。

 そう駄々をこね続ける日がこれまでに幾度もあったに違いない。NANAにはその幼い姿の彼女が居る場面もありありと見えてくるかのようだった。

 目を閉じて横になったまま彼女は手足をばたつかせている。


(一番欲しいものが……手に入らない……日々)


 胸が痛い。NANAは両の手を自分の胸にそっと添えるように運んだ。きゅうっと、つーんと来るような感覚があった。

 自分に起きていることをゆっくりと観察していた。自分を通して体験はしているが、これは自分のものでは無い。今はNANAは自分であって自分では無い、という状態に入っている。混同してはいけないのだ。わかっていることではあるが、あらためて意識していた。


 目の前のHIROさんは胸に両手を当てて小さく震えている。泣き出していた。


「どうして……? どう……してっ……死んじゃったの?」


 目を閉じて床に寝転がった状態のままでそう言いながら、言葉を強め、首を横に何度も振っている。もう何年も経っている話なのかもしれないが、その愛していた人が今まさに旅立ってしまった、その現場にいるかのようでもあった。


 その人はこれまでの彼女にとっての幾人かとは違って、彼女が手放したり捨ててきた相手とは違っているのだろう。おそらくは、彼女が一番こだわっているたった一人の人が、今彼女が催眠療法(ヒプノ)の中で出会っている風景の中にいるのだろうと思われた。その人は、おそらくいつの日にか彼女よりも先に旅立ってしまった人なのだ。永遠に美しいまま、先に逝ってしまった人なのだ。


 理由も言わず、それ以上の未来を共に作ることも共有することも無く、期待していた未来があったのに、残酷にもある時あっという間に突然のように、形無き世界へと逝ってしまった人だと、泣きながら彼女は話をしていた。NANAはほとんど頷く程度の返事だけをしてただただ聞いていた。


「嘘つきっ」


 その人は嘘つきのように居なくなってしまった。彼女は怒っていた。


 彼女を置いて、その後をどう生きていけばいいのかも教えないままに伝えないままに、人生という長い時間の中に一人っきりで放り出されてしまったという風景なのかもしれない。くしゃくしゃの顔と共にそこにあるのは嗚咽だった。


 彼女を「女神」にしたのは、その人だったのではないだろうか。


 与えられた女神の役割であれば、自ずから女神性が勝手に溢れ出るという形では無いはずだ。誰かによって、女神のようにそのように見られ、扱われたという体験が自分を女神にしていった。だとすると、一人ではその「女神」という存在を起こすことも維持することも出来ないということになるだろう。

 あれほど光っていたはずの自分に、そうだったであろう自分に、近付くためには必要なものがある。それが他者という位置から美しき自分を求める存在だ。


(置き去り……)


 そんな言葉がNANAの脳裏に浮かんだ。


(大きな意味としては、きっとそうでは無い……のだろうが、置いて行かれてしまった出来事と思えてしまう物語の中で、そういう感情体験をしているのかもしれません……置いて行かれてしまったら、もう、どうしようもないんですよね……)


 HIROさんには言わない、言葉だった。今はまだ、この瞬間には。


 物語の中にどっぷりと浸かって感情体験した後に、客観的な位置から観察へと入っていくことで、それまでこだわり続けていたことや何らかの不具合というものが軽くなったり、解けていくことが起こせることもあるのが、この催眠療法(ヒプノ)でもある。没入しているようでありながら、冷静に見ている自分も居るということを同時に起こすことができる。


 HIROさんは、ひとしきり泣いて叫んで、怒ってぶつけて、また泣いた。どれだけ経っただろうか。段々と静かに泣き続けている彼女がいた。


 やがていつかは明日の方を見ることが辛くなくなる、そんな日も来るだろう。NANAはそう思いながらHIROさんの静かな鳴き声を聴いていた。


(あとしばらく……もう、しばらく……このままで)


 通常の意識状態へ戻る時間は迫っていた。残念ながらどうしても時間には限りがあるのだ。時計の針を見ながら、あと1分……と数える。少しでも長い時間を用意したかった。


 女神になるというのは、とある人にとっての特別な女神だったという、その唯一のお話しの中に存在している彼女と愛する人との間にある物語なのだろう。他では置き換えなどきかない、たった一人のただその人をあなたが求めることが出来るかどうか。その愛していた人はもっと大きく、あるいはもっと格好悪く狭く、彼女のことを愛していたのかもしれない。そしてそれは問題では無い。


 確かにそれはあったと思う自分の実感が重要であり、それを真実と呼んでもいいだろう。それは自分の方がもらい続け、そして受取り続けていた、相手から流れ込んで来るようなそういう愛だったのかもしれない。

 愛されていた実感、ということだろうか。その愛によって自分という存在に価値が生れ、その愛によって輝かせてもらっていたのだ。


 今度はHIROさんが、HIROさんからその人への愛を育んでいくという時間の経験をすることが可能になるのだろう。それは自分からその人を愛すること、である。これはあくまでも可能性ではあるけれど。


 彼女の足元はまだ弱い。

 しかし私たちはそういう自分を乗り越えていく力を備えている。身の奥に。


 


 


 キーワード 水星


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